三谷幸喜

脚本家、映画監督

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三谷幸喜の名言

三谷幸喜の過去の名言をまとめた名言集です。

  • いずれ依頼は来なくなるでしょうから、その時はゆっくりしたスタンスで、自分がおもしろいと思うものを作ります。

  • お客さんが入らなかったらという不安は常にあります。でも、自分の笑いを信じてやっていくしかない。

  • 僕は自分が「選ばれた人間」だとはまったく思ってない。たまたま運が良かったことと、いい出会いをしたこと。その恵まれたチャンスを生かす力はあったと思うけど、何万人に一人の才能の持ち主だとかは思わない。

  • ストーリーが破綻していても、その破綻が力を持っていることがあるんですよ。

  • 小劇場の出身なので、どっちかというと自分がやりたい、見たいものを優先しがちで。自分の好きな世界を共有してくれるお客さんに作品を提供する。そういうやり方をしてきた人間ですから。1億人が面白いと思う笑えるものを作ろうとは思わないし、そんなのは作れない。

  • 僕は99%を理詰めでつくる。それは1%の破綻を魅力的にするためでもあるんです。

    出典:  三谷幸喜、松野大介「三谷幸喜創作を語る」

  • 僕は無茶な発注をされた方が楽しい。逆に成約がないとダメです。「主役の○○が喉を痛めて声が出ないんで、次の回はセリフ無しでお願いします。」とか言われたら、喜んで書きますよ。

  • お金のこと、時間のこと、いろんなしがらみのある中で一番いいものを作るというほうが、考えやすい。決まり事があると、その中で構想、構成が立てられますから。

  • 僕は自分が楽しいと思うことをやっているだけで、言葉は本当に悪いけど、遊びの延長なんですよ。僕が楽しんでやってる。

    出典:  三谷幸喜、松野大介「三谷幸喜創作を語る」

  • 僕は本来いい加減な人間なんです。昔は「なるようになれ」ってところがあって、芝居づくりも妥協しまくってた。「まあいいか」みたいな感じであまりこだわりがない。そういう座長には本当に演劇を愛するスタッフがついてこない。とにかく舞台監督がすぐ辞めちゃうんです。

    解説:  座長を務めた劇団「東京サンシャインボーイズ」について

  • 映画監督は仕事を依頼されてやらせていただいているものですから、プロデューサーやいろんな人の意見を聞きながら、それを総合しつつ、「いいですね、そうしましょう」と。そう思っていなくても言ったりもします。だけど、その中で本当に自分のやりたいことは曲げないように。曲げられるところは曲げて。

  • 映画監督を始めた理由は、他人に任せると脚本の「テンポ」や「間」が作品にうまく反映できていなかったり、大事なセリフやシーンがカットされてしまったりするから。

  • 「東京サンシャインボーイズの罠」を最後に「30年間の充電期間に入る」と決めた。周りのみんなは「今、やめることはないんじゃないか」と言っていたけど、今しかないんだと。というのも、劇団を解散するなら、人気が下火になってからではなく、ピークの時のほうがその後の劇団員たちの展開も良くなっていくはずです

  • 僕は仕事の他にはやることがないんですよ。趣味もないし、芝居や映画をつくる以外にはなにもやることがない。遊びの延長で好きな物語をつくっている。

    出典:  三谷幸喜、松野大介「三谷幸喜創作を語る」

  • 選ばれてない人たちが、「この物語は自分たちのことだ」と思ってくれて、励みになるものを書く。それは選ばれた側の人間にはできないと思うんです。選ばれてない側だからこそできる気がして。

  • 舞台の特色は低予算でできること。だから誰でもやれる。それが良いところでも悪いところでもある。誰でも上演できるから、ひどい舞台もいっぱいあるんです。

  • 僕の一番やりたい形を作れるのは演劇の世界。自分のバックボーンは舞台。それは今も変わらない。

  • 最初は、自分が映画監督としてやっていくつもりはなかったんです。こんなに長く自分の監督作品が続くとは思っていませんでした。

  • 僕が映画を撮るのは、僕以上に僕の脚本に思い入れの強い人はいないから。でもそれは脚本家としては邪道で、本来の姿じゃない。脚本家としては、僕はある種折れちゃった部分がある気がするんです。

    出典:  三谷幸喜、松野大介「三谷幸喜創作を語る」

  • 僕は劇団の中で自分だけが階段を登ってちゃいけない、自分が連ドラでメジャーなことをやっていくなら、劇団員も一緒に登らなきゃいけないと思ってた。だから、劇団員をキャストに入れてもらうのは、僕が脚本を引き受ける絶対条件でした。コネですね。役者への絶対の信頼があるからできることだけど。

  • 「古畑任三郎」を書いた理由は、ぶっちゃけた話をすると、「刑事コロンボ」のドラマが大好きでまた見てみたかったから。当時は昔のドラマを見る手段がなかったし、映画版は以前と違うものになってた。それならもう「自分で作るしかない」と。

  • 今の僕が10年後に何をしているかなんてことは、まったく想像がつきません。逆に10年前に今の自分を想像していたかというと、そんなこともないし。理想は先のことを考えつつ、決断を下せればいいんでしょうけど、将来のことはわかりませんよね。

  • 1つだけ言えるのは、映画にしろ、舞台にしろ、テレビにしろ、僕は喜劇を作りたい。その一点は東京サンシャインボーイズを旗揚げした時からブレていません。次はどうなるかわからないけど、笑いは忘れたくない。

  • 人間とは成長しないものです。

  • 僕は今、2年に1本映画を作らせてもらいながら勉強させていただいているという感じです。どれだけラッキーなんだ、と。本当に幸せ者です。

  • 僕は好きなことをやってるだけで、なぜお客さんが入るのかがわからない。

  • 本当に自分がおもしろいと思えるものは舞台でやればいいわけで、映画は大勢の人が楽しめるものをつくる。今の自分がそういう土壌にいるなら、それをやらなきゃいけない気がした。

  • 「振り返れば奴がいる」で、脚本をカットされたり変更されたりしたのをヒントに、「ラヂオの時間」が生まれたんですよ。脚本を本番直前に変えられちゃうという状況をお芝居にしたいと思った。

  • 本当は脚本に専念したかったんだけど、僕が作った劇団だからしかたなく座長をやってました。

    出典:  三谷幸喜、松野大介「三谷幸喜創作を語る」

    解説:  自身が始めた劇団「東京サンシャインボーイズ」について

  • 僕は自分の書いたドラマをほとんど見ないんですよ。恥ずかしいから。

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三谷幸喜について

三谷幸喜は「古畑任三郎」、「王様のレストラン」などのテレビドラマや「ラヂオの時間」、「みんなのいえ」などで知られる脚本家。映画製作では自ら監督も務める。その作風はコメディタッチで、様々なトラブルを力を合わせて解決する中で起こるドタバタ悲喜劇をコミカルに描くものが多い。

1961年(昭和36年)東京都世田谷区に生まれる。日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。三谷幸喜は脚本、演出、役者の3役をこなした。そのコメディタッチの脚本によって次第に劇団の人気は高まっていき、三谷幸喜の名も知られるようになっていった。大学卒業後はバラエティー番組の放送作家や、ドラマやアニメの脚本の脚本家として活動。1993年フジテレビのドラマ「振り返れば奴がいる」で初めて連続テレビドラマの脚本を担当。同作はフジテレビがシリアスな医療ドラマを目指していたため、三谷幸喜の喜劇調の脚本がことごとく書き換えられた。それが「ラヂオの時間」で脚本の書き換えのドタバタを描くヒントになったと後年三谷幸喜は語っている。1994年脚本を担当したドラマ「古畑任三郎」が放送開始。「古畑任三郎」は3シーズンにわたって放送され、平均視聴率が20%を超える大ヒット作品となり、三谷幸喜の名声も一気に高まった。1995年テレビドラマ「王様のレストラン」放送。

1997年初の映画作品「ラヂオの時間」公開。三谷幸喜は脚本・監督を担当した。興行収入は4億円と決して多くなかったものの、作品の評価は上々でこの作品が後の映画製作へとつながった。2000年ミュージカル「オケピ!」の脚本で岸田國士戯曲賞を受賞。2001年映画「みんなのいえ」公開。興行収入12.5億円のヒットを飛ばす。2004年には三谷幸喜本人が夢だったというNHK大河ドラマ「新選組!」の脚本を担当した。2006年映画「THE 有頂天ホテル」公開。役所広司、佐藤浩市、松たか子、香取慎吾、篠原涼子などの豪華キャストを揃え、興行収入は60.8億円に達した。2008年映画「ザ・マジックアワー」、2011年映画「ステキな金縛り」、2013年映画「清州会議」、2015年映画「ギャラクシー街道」公開。2016年再びNHK大河ドラマに挑戦し、「真田丸」の脚本を担当。