ジョン・レノン

ミュージシャン

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ジョン・レノンの名言

ジョン・レノンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 誰を愛するか、どこで愛するか、なぜ愛するか、いつ愛するか、どう愛するか、そんなの問題じゃない。あなたが愛しているということが大切なんだ。

  • 全員を喜ばせることなんて不可能だ。もしそうしたなら、中途半端に終わって誰もあなたを好きにならないだろう。あなたは何が一番なのか決断し、それを実行しないといけない。

  • いつも正直であればたくさんの友達ができることはないかもしれない。でも、本当の友達ができるんだ。

  • 根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。

  • 何事も最後には全て丸く収まるんだ。もしそうなっていないなら、それは終わりじゃない。

  • 政府の問題点は人々を代表していないことだ。政府は人々を操っている。

  • 人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。

  • みんな平和について語るけど、誰もそれを平和的な方法でやってないんだ。

  • 幸せはあなた自身の中にある。他人の中には無いんだ。

  • あなたが誰で、どんな人なのか、他人に伝える必要はない。あなたは、あなたなんだから。

  • 「どんな人だって成功できる」自分にそう何度も言い聞かせ続けていれば、絶対に成功できるのです。

  • 僕たちは愛し合っていることを隠さなければならない世界に住んでいる。暴力はいつも白日の下に晒されるのに。

  • 相手がどう反撃していいか、わからないような戦法で、僕は権力と戦いたい。

  • 結局、あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい。

  • 未知なる物を恐怖するからこそ、みんな夢や幻想や戦争や平和や愛や憎しみなどを追いかけて、右往左往するのさ。

  • 問題は、これからのことや過ぎ去ったことを思いわずらう必要はないってことなんだ。大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ。

  • ひとりで見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる。

  • ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。

  • 希望、それ自体は幸福の一様態にしか過ぎない。だけど、ひょっとすると、現世がもたらし得る、一番大きな幸福であるかもしれない。

  • 間違いはただの過失に過ぎない、それが正されないときに間違いになる。

  • もし自分を愛せなければ、人を愛することもできないし、創造性を発揮することもできない。

  • 動機を生み出す2つの力がある。それは恐怖と愛だ。恐れた時、私達は後退する。愛した時、人生がもたらす栄光と不完全さの情熱、興奮、寛容さを受け入れる。

  • 年齢は年月じゃなく友人の数で決まる。人生は涙の数じゃなく笑顔の数で決まる。

  • 歌というのはいきなりやって来るものであって、職人がなにかを作るみたいにすわっていてできるわけじゃないんだ。

  • 虚偽で生きていくのは、現実によって、肉体的な意味や外部的な意味の悩みを含む現実によって生きていくのよりよほど大変だからね。虚偽の方には必ず内面的な問題がつきまとうものだよ。

  • やるべきことはやる。自分がどうなろうとも、いかなる障害、危険、圧力があろうとも。

  • 大成功?いいんじゃない?大失敗?いいんじゃない?それがあなたの人生なんだから。

  • 君が独りの時、本当に独りの時、誰もができなかったことをなしとげるんだ。だから、しっかりしろ。

  • 僕がこれまでどうやってきたかは教えられるけど、君がこれからどうするかは自分で考えなきゃ。

    出典:  ジョン・レノン・ミュージアム「ジョン・レノンからのメッセージ」

  • 思い違いしないでくれ。ぼくたちは自分の未来を築いてるんだから、必要なものは自分で用意しなくっちゃ。

ジョン・レノンについて

ジョン・レノンは20世紀中盤に活躍したイギリス出身のミュージシャン。ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターとともにビートルズを結成、「ラヴ・ミー・ドゥ」、「シー・ラヴズ・ユー」、「ヘルプ!」、「デイ・トリッパー」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」、「カム・トゥゲザー」などなど数々の名曲を送り出し、世界的な名声を手にした。ビートルズ解散後もソロ活動を続け、「ラヴ」、「イマジン」、「ハッピー・クリスマス」などを発表した。また、妻のオノ・ヨーコとともにベトナム反戦運動に積極的に参加したことでも知られる。

1940年イギリス・イングランドのリヴァプール生まれ。父アルフレッド・レノンは商船の上船員をしていた。高校生になるとロックンロールに興味を持ち、ギターを購入してバンド1957年「クオリーメン」を結成した。クオリーメンのメンバーはジョン・レノン以外は固定されてずに頻繁に入れ替わっていたが、その中に後にビートルズのメンバーとなるポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンがいた。1958年美術学校リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学。1960年、クオリーメンのメンバーはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人だけになっていたが、ジョンの大学の友人スチュアート・サトクリフが参加。ドイツのハンブルグで演奏活動を行った。スチュアート・サトクリフはハンブルグでの活動後に脱退し、代わりにピート・ベストが加入。この頃「ビートルズ」と名乗り始める。1961年レコード店を経営していたブライアン・エプスタインと知り合い、エプスタインがマネージャーとなってレコード会社への売り込みを始めた。1962年6月イギリスの音楽会社コロムビア傘下のレーベル、パーロフォンと契約にこぎ着ける。同年8月にはピート・ベストが脱退し、「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」でドラマーをしていたリンゴ・スターが加入。同年10月に「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューした。

デビュー翌年の1963年前半までにはイギリスで大きな人気を獲得し、1964年にアメリカでのデビューを果たす。その後世界的な人気を獲得していくが、コンサートでファンが絶叫して音楽が聞こえないなど、あまりにも人気の高まりにメンバーが困惑。1966年をもってライブ活動を停止すると発表した。1968年ビートルズに所属したままソロ活動を開始。1969年オノ・ヨーコと結婚。この頃、ジョン・レノンは、ベトナム反戦運動にのめり込んでいった。1970年ポール・マッカートニーがビートルズからの脱退を発表。主要メンバーを失ったビートルズは解散状態となった。1971年初のソロ・アルバム「イマジン」を発売。1973年にジョン・レノンはヨーコとニューヨークで会見を開き、地球上のいたるところにあり、いたるところにないという架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言。その後はソロ活動を続ける傍らハリー・ニルソンの楽曲のプロデュース、カヴァー・アルバムの発売、オノ・ヨーコと共同でのアルバム製作など活動の幅を広げていった。1980年レコーディング・スタジオからの帰り道、自宅近くでジョン・レノンマーク・チャップマンに拳銃で撃たれて死亡した。享年40歳。マーク・チャップマンは精神病を患っており、ジョン・レノンの伝記を読んでその金満生活に激怒していたという。

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