北野武

お笑い芸人、映画監督

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北野武(ビートたけし)の名言

北野武の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない。

  • 変な言い方だけど、自分のために死んでくれる人間が何人いるよりも、そいつのためなら命をかけられるって友達が1人でもいる方が、人間としては幸せだと思う。

  • おいらは、自分ではさんざん悪いことをやってきたと思っているし、前科もあるのに、好感度ナンバーワンタレントに選ばれたりする。みんな、おいらのことを、悪い人と認めるのが怖いんだろうね。悪いやつでものうのうと生きていけることになるから、自分の立場がなくなってしまう。

  • バイク事故で助かったことは、そんなに嬉しくもない。嬉しくはないけれども、価値はあるな、生きてる価値は。

  • 自分はまだ未熟だと言い訳にしてる奴が多いが、君達は完璧な人を見たことあるのか?俺はここまでの人生で、まだ出会ってないし、これからも出会わないだろうよ。

  • バイク事故のあと、自分の過去に対する嫌悪感が襲ってきた。自分がどういうふうに生活してどんなことをしてきたかっていうのが思い出されて、ホントに馬鹿だったなって。果たして今までの芸能界の仕事はなんだったんだろうか。何一つ満足してなかったな、と。

  • 夢は、夢。目標とは違うんだけど、勘違いしてる奴が「夢をもっていきなきゃ」なんてごちゃごちゃにしている。

  • おいらは、カミさんの文句の届く範囲には絶対にいないからね。向こうも言う気がなくなっちゃった。カミさんが期待するような人になっちゃいけない。期待のしがいのない男として生きていくのが一番いいんだ。

    出典:  ビートたけし「たけしの死ぬための生き方」

  • 人には持って生まれたその人なりの生き方というものがあって、他人が変えられるものじゃないんだね。どれがいいというんじゃない。

    出典:  ビートたけし「たけしの死ぬための生き方」

  • もう一回、人生をやり直せたとしても、苦しくても何でも、熱い人生を選ぶ。

  • 芸人の実力が人気に追いついてきて「いい芸してるね」「技術があるね」なんて批評されはじめた頃には、もうブームは終わりに向かってるってことなんだよな。

  • よその国の政治家は、国を牛耳るためにどうやってもめることなく国民を一からげで同じ方向に向かわせられるか、頭をしぼって考える。ところが日本みたいなお気楽な国は、指導者が何もしなくても、国民の方で一つの流れになってくれる。

  • 物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。はたから見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。だけど、輝いている本人は熱くてたまらない。

  • 芸能界で権力を持っちゃったら、とにかく自分でそれを壊しにかからないといけないんだ。だから、森繁久彌さんが生きてるときは、よくケンカしたからね。「森繁、順番を守れ!」って。「人の葬式ばっか出やがって、お前が葬式に出されろ」って言ったら怒ってた。「人の棺桶ばっか担いでるから、足腰強くなっちゃうんだよ!」って言ったら、「なんだ、たけしコノヤロー!」って。ああいう権力者がいるから、悪口が言えるんだよ。そういう人がいてほしい。

  • おいらは何度でも言う「六本木のおねえちゃんと、おいらがなんで同じ一票なんだ」とね。きちんと税金を納めるという義務を果たしている奴が、はじめて選挙という権利を行使できるんだよ。

    出典:  ビートたけし「たけしの死ぬための生き方」

  • 日本人は、もともと自我が強くない。その反対に自己犠牲の好きな国民。平気で国の犠牲になったり、会社の犠牲になったりする。家族の犠牲なんて朝飯前。子供の病気なら、親が肝臓を半分切ってあげる。

  • 本音を言えば、21世紀にこの国がどうなろうと、おいらの知ったことじゃない。けれど、あまりに脳天気な政治家やマスコミを見ていると「なんで言わないんだ」と怒りたくなる。

  • 結局、芸人としては何もしていないという反省がある。何の芸もないし。

  • 浅草のコメディアンをやるということは、そこで当たらなくても、結局浅草のコメディアンとして死んでいくっていうロマンがあるんだね。落ちぶれていくロマンが。

    出典:  ビートたけし「たけしの死ぬための生き方」

  • バイク事故があっても生きていたことが、良かったと思えるような、これからどれだけいろんな事を考えて、どうやって生きていくかってことが肝心なんじゃないか。それで失敗したら生かされた意味はなくなってしまう。

  • 人は何か一つくらい誇れるものを持っている。何でもいい、それを早くみつけなさい。

  • 臭いものには蓋をする文化とでもいうか、最近は世間がとにかくきれいごとの、その場しのぎばっかりするようになった。そんなものは、差別用語の問題と同じ話で、ものごとの本質には何も手を触れずに、表面に覆いをかけて誤魔化しているだけのことだ。

  • 貧乏を貧乏の中に封じ込めて、その中で金を回すという商売が多すぎるんだよ。服でも食べ物でも、安売りの品だけを買ってたり、安くて早くてという所に並んでばかりだと、絶対上に上がれないよ。

  • 邦画が元気いいってよく耳にするけど、オイラには停滞しているようにしか思えない。映画の技術が進歩してても、やってることは相変わらずでさ。

  • 生きていればいいじゃんってこと。何もしないで死ぬのが一番嫌だな。

  • 鳥のように、自由に空を飛べたら、魚のように泳げたら、なんて思わない。自由を楽しむ生き物などいない。生きて行く事は、つらく、悲しく、目的も分からないものだ。

  • 昔から「運も実力のうち」なんて言葉があるとおり、おいらも所詮人間の成功なんて運があるかどうかに尽きると思ってる。

  • 場所を変えることは自分を変えることにはならないんだよ。どこにいても自分だけの問題で周りの景色なんかどうでもいい。

  • よく生きがいっていうんだけど、生きがいなんてそんな大切なもんかね。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。

  • 漫才出身だから、同じネタを何回もやりたくないの。役者さんって、ドライから始まってランスルーだなんだって、何度もやってるなかで気持ちを高めていくって言うんだよね。でもどんどん新鮮さがなくなるじゃん。

北野武(ビートたけし)について

北野武は1980年代にお笑いコンビ「ツービート」で人気を博し、その後非常に多くのテレビ番組で活躍したお笑い芸人であり、「キッズ・リターン」、「HANABI」などで知られる映画監督。お笑い芸人としては、タモリ明石家さんまとともに「お笑いBIG3」と呼ばれ、「オレたちひょうきん族」、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」、「世界まる見え!テレビ特捜部」などに出演して長きにわたって活躍、映画監督としては「HANA-BI」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、ヨーロッパでの人気も高い。フランス政府からレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、日本政府からは旭日小綬章を受賞している。

1947年東京都足立区に北野菊次郎と北野さきの四男として生まれる。父・北野菊次郎は塗装工をしていた。母・さきは教育熱心で、子供の頃から厳しい勉強を課したという。東京都立足立高等学校を経て明治大学工学部に進学。学生時代はアルバイトに励みつつ、学生運動に参加したり、舞台に出演するなどしていた。大学での学業にはそれほど熱心ではなく、明治大学を除籍されている。

1972年浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」でお笑い芸人の見習いになり、エレベーターボーイとして働き始めた。2年先輩にあたる兼子二郎から誘いを受け、ツービートを結成。北野武はビートたけし、兼子二郎はビートきよしという芸名を名乗った。ツービートはたけしの毒舌を活かした漫才で人気になる。そして1980年に始まる漫才ブームでは、B&B、横山やすし・西川きよし、紳助・竜介、太平サブロー・シローらとともに脚光を浴び、その知名度は全国区に高まった。同年に出版したネタ本「ツービートのわッ毒ガスだ」は85万部を売り上げたという。お笑いブームが収束する1982年頃から、ビートたけし単独でのテレビ番組への出演が増加。「オレたちひょうきん族」、「スーパージョッキー」、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」、「ビートたけしのスポーツ大将」、「風雲!たけし城 」などの番組が始まりいずれも高視聴率を記録。ビートたけしは日本屈指のお笑い芸人となった。

深作欣二が監督し、北野武が主演する予定だった映画「その男、凶暴につき」で、深作欣二が降板したため、北野武が監督を務めることとなる。「その男、凶暴につき」は1989年に公開され、これが北野武の監督デビュー作となった。その後、北野武は映画製作にのめり込むようになり、自らも製作資金を拠出して映画製作に取り組み、1990年「3-4X10月」、1991年「あの夏、いちばん静かな海。」1993年「ソナチネ」。1995年「みんな〜やってるか!」と立て続けに映画を製作。1996年の「キッズ・リターン」はカンヌ国際映画祭の監督週間で正式出品され、高い評価を得た。そして1998年「HANA-BI」はヴェネツィア国際映画祭の最高賞にあたる金獅子賞を受賞した。

1994年原付バイクで新宿付近を酒気帯びで走行して自損事故を起こし、頭部に重傷を負い顔面の一部が麻痺するなどした。この影響で約7ヶ月テレビ出演を休むこととなった。

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