タモリ

お笑いタレント、司会者

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タモリの名言

タモリの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 長寿番組の秘訣は反省しないこと。毎日の番組でいちいち反省していたら身が持たない。

  • 公演会とか対談はほとんど断るんです。内容がなくて薄っぺらいから2秒で終わっちゃう。でも断ると逆に、あいつはなんかすごいことを考えてるんじゃないかと思われるんです。

  • お笑いをやってるのと教養番組やるのと気分的に差がないんですよ。同じ興味があることをやってるだけで。

  • あまり訊いちゃ駄目なんです。訊くと人は喋らない。まず自分のことか関連することを話す。そうすると「いやいや違いますよ」って感じで話してくれます。

  • 人間って「自分がいかに下らない人間か」ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな。

  • 人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。

  • オレ全然大人になってないですもん。むしろ拒否した。もうオレはいいんだって、オレはこうなんだ、こういうものなんだってこと、やっぱりこう周りにも見せないとね。アホだぞっていうのをね。

  • 頑張っちゃだめ。頑張ると疲れる。疲れると続かないですよ。

  • テレビは見ないね。テレビは見るもんじゃない、出るもんだよ。テレビ出るって面白いよ。いろんなことを経験できるし。

  • よく考えてみると、なんかオレ、テレビ出ている方が、本来の自由な自分のような気がするのよ。で、日常生活の方がオレは、なんか演技しているように思えてるのよ。

  • テレビはわかりにくい方がいい。その方が視聴者が興味を持って理解しようとする。

  • 緊張できるような仕事ができるっていうことを幸せに思うことですね。

  • 大切なこと、それは引きずらないことだ。乾杯すれば、それで仲良し。やったことはすぐ忘れる。それが大事。人間なんてそんなものだ。

  • コツはね、張り切らないこと。

  • カメラ別に関係ないんだよ。俺たちがやってることを勝手に映してるだけなんだから。

  • 一度や二度挫折したって「どうせ俺なんか、いい加減なもんじゃねぇか」って思えるヤツは、やっぱり強いよね。

  • 名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです。

  • 節操なんつうのはない方がいいですよ。節操を持ってるとね、やっぱ心が自由にならないからね。

  • やる気のある奴は、去れ。

  • 人生とは後悔する為に過ごすものである。

  • 批判はすごく気にする方なんです。ネットとか、何を書かれてるかわかったもんじゃないから、見ない。

  • 視聴者には悪いけど、テレビは自分が面白いからやってるところがある。

  • 俺のやる事に意味なんかあるわけないだろ!

  • 段取りどおりが一番つまらない。生放送はハプニングこそ面白いんだ。

  • いまだに何かをわかったわけでもなく、ただ迷いつつ手探りでやり続けております。

  • 一見、どうでもいい話題をじっくり掘り下げていくと、やっぱりどうでもいいんだよね。

  • 私も結構活躍してるみたいなんですけども、宇宙から見たらもうどうでもいいですね。

  • テレビに出始めた当時ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめくさっていた。そのくせ何もやったことがなかった。

  • 前を向いて歩いてたって、つまんないよ。後ろを振り返ったほうが「あれが楽しかった」って楽しいよ。

  • 日常で一番重要なことを伝えるには低いトーンで小さな声でしゃべる方が伝わる。そうすると相手の注意力が増してくる。大きな声を出せば面白いと思うのは勘違いだ。

タモリについて

タモリは「笑っていいとも!」などで知られる日本のお笑いタレント、司会者。ビートたけし明石家さんまと並んで、お笑いBIG3と称される。雑学などの知識も豊富で、音楽番組で音楽について語ったり、街ブラ番組で地質学や地理の知識を披露したり、選挙速報やニュース番組に出演したこともある。代表的番組に「森田一義アワー 笑っていいとも!」、「タモリ倶楽部」、「ジャングルTV〜タモリの法則〜」、「ミュージックステーション」、「タモリのボキャブラ天国」などがある。

1945年福岡県福岡市生まれ。本名、森田一義。父は満州出身で南満州鉄道の経理部で働いていたが、第二次大戦後に日本に引き揚げて三光汽船に勤めていた。福岡県立筑紫丘高校を卒業後、早稲田大学第二文学部に進学。大学ではモダン・ジャズ研究会に所属し、研究会の運営に関わったり、イベントの司会などをしていた。大学3年生のとき、親から渡された授業料を使い込んだため学費を払えなくなり、大学を除籍された。その後は一旦福岡に戻り、保険の外交員、旅行会社、ボーリング場など職を転々とした。この頃ジャズがきっかけでジャズピアニストの山下洋輔と知り合いになり、意気投合。タモリの披露する芸を面白がった山下は、友人のカンパを募ってタモリを東京に呼び寄せ、新宿のバーで即興芸を披露させた。さらに、漫画家の赤塚不二夫がタモリの芸に興味を持つ。赤塚はタモリに東京に残るように懇願。東京の赤塚の自宅で居候生活を始めた。

赤塚不二夫はタモリを芸能界にデビューさせることを思いつき、自身の出演する番組にタモリ出演させたり、所属事務所を紹介するなどした。1976年深夜番組「快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン」で「四カ国マージャン」などの芸を披露。「金曜10時!うわさのチャンネル!!」でレギュラーとなった。その後、テレビ番組「ばらえてい テレビファソラシド」、「今夜は最高!」、ラジオ番組「オールナイトニッポン」などで活躍。1982年には平日昼の帯番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」がスタートし、タモリの人気は不動のものとなっていく。1982年「タモリ倶楽部」がスタートし、1983年には「第34回NHK紅白歌合戦」の総合司会、1987年からテレビ音楽番組「ミュージックステーション」が始まる。さらに1990年から「タモリの音楽は世界だ」、1992年から「タモリのボキャブラ天国」、1994年から「ジャングルTV 〜タモリの法則〜」の放送が始まる。

2008年からは紀行バラエティ番組「ブラタモリ」の放送が開始された。2014年3月31日「森田一義アワー 笑っていいとも!」が31年にわたる放送を終えた。タモリは笑っていいともの司会を8,054回務め、これがギネスワールドレコーズから「生放送バラエティー番組 単独司会最多記録」として認定された。

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