クリント・イーストウッド

映画俳優、映画監督

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クリント・イーストウッドの名言

クリント・イーストウッドの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私は分別のある人間になろうとしている、私はそれが嫌なんだ。

  • 私が年をとって耄碌したのか、懐古主義に陥ったのか、またその両方なのかはわからないが、今の人達は腹を立て過ぎている。昔は意見が違ったとしても友人でいられたものだ。しかし今では、右翼でも左翼でも、自分と違う意見の相手は間抜けか愚か者と考えている。

  • ポリティカル・コレクトネスについて、みんな心の中ではうんざりしている。今のこの時代では、人にへつらいながら生きなくてはいけないんだ。本当に軟弱な時代だ、みんなが殻を被って歩いている。他人のことを人種差別主義者などで非難する人たちを見てきたが、私が若い頃にはそれらの行為が人種差別と言われることはなかった。

  • 自信を持たなくてはいけない。もし自信がなければ、ためらいがちになり、受け身になってしまう。そして色々ことがあなたにとって不利に働くだろう。

  • あなたのしてきた努力を尊重しなさい、あなた自身を尊重しなさい。自分自身を尊重することは、自己管理につながります。それがしっかりと身になった時、あなたは本当の力を持ちます。

  • 同性婚に反対している人たちにとって、他人が同性婚をすることは重大なことなのだろうか?誰かと結婚したいという人を邪魔してはいけない。世の中の人たちは自分と関係のないことについて文句を言っているんだ。「健全さ」についてのたわごとにもうんざりだ。みんなに自分の望む人生を歩む機会を与えることが大切だ。

  • 仕事には真面目に取り組みなさい。ただ、自分自身について真面目になりすぎてはいけない。

  • 政府の銃器返上計画は馬鹿げている。犯罪者があまりに多くの銃器を持っているから銃を捨てるという考えは、近隣にあまりに多くの子供がいるから自分を去勢するというのと同じだ。

  • 考えすぎて前に進まずに、台無しにしてはいけない。

  • いつも自惚れを捨てて他人の言葉に耳を傾けなくてはいけない。人の話を聞くというのは優れた振る舞いだ。

  • 確固としたものがない人間というのは、極端な偏見を持ちやすいという事実は興味深い。

  • 即興で作ってみて、それを脚色していくと、圧倒的なものができるんだ。

  • 過激主義に走るのは簡単だ。自分の立場を主張する、ただそれだけで、たいして考えなくていい。だがあなたが極端な右翼思想に走ったその先では、左から来た同じ種類の愚か者と出会うだろう。

  • 私には拳銃の管理についての一つの厳格な方針がある。それは私の周りに拳銃があるなら、私の管理下に置くということだ。

  • 自分に恐れを抱かせているのは、自分自身なのだ。

  • 銃を撃つことは問題ない、撃たれるべき人が撃たれている限りは。

  • 幸せな結婚をする方法が一つでもあるとしたら、すぐにそれを学んでもう一度結婚するよ。

  • いつの日か我々はバラク・オバマ政権を振り返り、それがアメリカ国民に対して行った欺瞞を知ることになるだろう。

  • 私は自分の根性を拠り所にしている。多くの人たちは知的になって本能をないがしろにするが、本能的に何かを感じたときにその道に進まなくてはいけない。例えば一掴みの札束は私にとって重大な直感を抱かせる、なぜなら、ここにいる私は西部劇を演じていた人間なのだから。

  • 人々は結婚は天国だと言うが、私はそこに雷鳴と稲妻を感じる。

  • 20代の女性とデートすることは歳を取るにつれて魅力的ではなくなってくる。人生のある時点で我慢できなくなって、こう感じるんだ「あまりに若い相手といても、何も話すことがない」と。

  • 善良な人間は自分の限界を知っているものだ。

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クリント・イーストウッドについて

クリント・イーストウッドはアメリカの俳優、映画監督。俳優業を始めた当初は主に西部劇やアクション映画で美形の俳優として活躍。主な出演作品に「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「真昼の死闘」「ダーティーハリー」シリーズなどがある。一方で俳優をしながら監督業も開始し、「恐怖のメロディ」で監督デビュー。「許されざる者」、「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー監督賞と作品賞をそれぞれ二度受賞。その他にも「マディソン郡の橋」、「ミスティック・リバー」、「硫黄島からの手紙」、「父親たちの星条旗」、「グラン・トリノ」などの監督作品がある。

1930年5月31日、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。クリント・イーストウッドはイギリス、アイルランド、スコットランド、オランダの血を継いでおり、アメリカに移住して12世代目にあたる。1930年代は父クリント・イーストウッド・シニアが転々と職を変えたため、それに伴って一家も移住を繰り返すが、1940年から1949年まではカリフォルニアのピードモントに定住。その後一家はシアトル、オレゴン州スプリングフィールドに移住し、クリント・イーストウッドはスプリングフィールドのパルプ工場で最初の仕事を得た。仕事は長続きせず、ライフガードの仕事、陸軍への召集などを経てロサンゼルスで俳優業を始めた。

俳優となったクリント・イーストウッドだが、当初は役に恵まれず苦労を重ね、ようやく1959年の西部劇ドラマ「ローハイド」の主演で名が知られるようになる。そこからイタリアの映画監督セルジオ・レオーネに見出され、彼の監督するイタリアの西部劇映画「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」に出演して名声を得た。ハリウッドに戻ったクリント・イーストウッドは「真昼の決闘」、「白い肌の異常な夜」に出演した後「ダーティーハリー」シリーズなどに出演。

一方で映画監督としての活動も開始し、1971年の「恐怖のメロディ」で映画監督デビュー。「アウトロー」、「ブロンコ・ビリー」、「ペイルライダー」などを監督したのち、1992年西部劇「許されざる者」が公開。「許されざる者」は1億5900万ドルを稼ぎ出すヒット作となり、アカデミー作品賞と監督賞を受賞、クリント・イーストウッドは主演男優賞にもノミネートされたが受賞は逃した。1995年中年の不倫を描いた「マディソン郡の橋」が1億8200万ドルの大ヒット。2000年「スペース・カウボーイ」、2003年「ミスティックリーバー」が公開。2004年「ミリオンダラー・ベイビー」で再びアカデミー作品賞と監督賞を受賞、再び主演男優賞にノミネートされたがまた受賞は逃した。2006年第二次大戦を日米双方から描いた「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」を公開。2008年公開で主演・監督した「グラン・トリノ」をもって俳優からの引退を宣言。その後「インビクタス/負けざる者たち」、「アメリカン・スナイパー」などを監督。