立川談志

落語家

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立川談志の名言

立川談志の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 努力して良くなるなら、世の中みんな良くなってるはずですよ。

  • よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。

  • 己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。人生なんて食って、寝て、やって、終わり。

  • なんの職業でもいいのだけれど、そうなれる資格、レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。好きなことをやり、それで食えるようになりたい、だからそこに向かって懸命になるはずが、現代はアルバイトで食えてしまう。それは楽な誤魔化しになっていくのではないだろうか。

  • 初老人だから。老人に慣れるのかな。嫌だなあ慣れちゃうってのは。

  • 悩み、考え、挫折し、またやる。

  • 落語とは人間の業の肯定。「楽をしたい」とか、「悪いことをするなと言われてもやりたい」とか弱き者の視点を失わないこと。

  • 天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。

  • 努力とは、馬鹿に与えた夢である。

  • 幸運な人生の人には敗者、弱者の心情はわからない。

  • 声が出なくなっても落語を続ける理由、それはやっぱり未練があるから。

  • 尊敬されて、仕事があって、発想も、状況を把握できる頭脳もまだある。それを幸せと言わずして何というか。

  • 己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げ行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいればさらに自分は安定する。本来なら相手に学び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。

  • 冒険家、危険に対して判断が鈍い奴。

  • 酒は人間を悪くするものではなく、人間がいかにダメなものかを教えてくれるものである。

  • 賢い奴は何も言わなくても解ってる。馬鹿は言っても解らない。

  • 学問の量にしがみつくな。

  • 「執着」「執念」というのが、「好きの虫」のすんでるところです。

  • 馬鹿はとなりの火事より怖い。

  • 上品とは、欲望に対して動作がスローな奴。

  • 快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である。

  • 未来とは、修正できると思っている過去。

  • 前座として楽屋修業しないと一人前になれねえって?冗談言うな。修業はどこでもできるんだ。オレのいる所、そこがすなわち修業の場だ。安心しろ、寄席がなくてもいい落語家になれることをオレが証明してみせる。

  • 評価は他人がするものだ。

  • 60代後半の談志は素晴らしかった。芝浜、鉄拐、金玉医者、粗勿長屋、居残り等々、己で抱きしめてやりたい程の出来であった。加えて落語論も己なりに納得もした、わかったのだ。それが70代で一休み、好きな芸事で時を楽しむ予定がまったく崩れた。理由は体力だったのである。そのバックには病気であろう。まったく元気なし、ツマラナイ、古き名人達の芸も、懐かしき映画のビデオも、集めた演芸の資料も、それを聞き直し、楽しむ元気がないのだ。

  • いろんなことをやっているのはすべて寄席に客を呼ぶためだ。

  • 考え抜いてやることを悪知というんだ...そして感じたものをそのまま実行するのを英知という。

  • 「怒りとは共同価値観の崩壊」怒りは、相手の寛容さに対する誤認。

  • よく「芸を盗む」とかいうが、あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要だ。時間がかかるんだ。教える方に論理力がないから、そういういいかげんなことを言うんだ。

  • 勝負はこうでなくちゃ面白くねえ。長かったなあ。さあこい、これからが男のスタートだ。

立川談志の名言を見ている方へお薦めする名言

立川談志の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

立川談志について

立川談志は昭和中期から平成にかけて活躍した落語家。落語立川流家元。古典落語を現代的解釈で表現、新時代の落語を模索し続けた落語家。昇進試験制度を巡っての対立により一門とともに落語協会を脱会。落語立川流を創設した。日本テレビ「笑点」の企画から関わり、初代司会者となったことでも知られる。得意とする落語ネタは「芝浜」「黄金餅」「らくだ」「源平盛衰記」など。参議院議員選挙に無所属で出馬して当選し、自由民主党に入党して沖縄開発庁政務次官を務めたこともある。

1936年(昭和11年)現在の東京都文京区に生まれる。東京中学校卒業後の1952年(昭和27年)に落語家の5代目柳家小さんの弟子となり、柳家小よしを名乗る。入門から2年で柳家小ゑんに改名。1963年(昭和38年)真打に昇進し、立川談志を襲名。

立川談志は寄せで行っていた大喜利をテレビ番組にするという企画を発案し、テレビ局に売り込みをかけた。その結果、1966年(昭和41年)日本テレビの「笑点」がスタート。初代司会者となる。その後立川談志は正解進出を図り、1969年(昭和44年)衆議院選挙に東京八区から無所属で出馬するも落選。1971(昭和46年)参議院議員選挙の全国区に無所属出馬し、50人当選の中の50番目で当選。当選直後に自由民主党に入党。1975年(昭和50年)三木内閣の沖縄開発政務次官に任命されるが、失言問題などでわずか36日で辞任している。1977年に任期を終えたが、次の参議院議員選挙には出馬せず1期6年で議員活動に終止符を打った。

1983年真打昇進制度を巡って、当時の会長であった師匠の柳家小さんと対立。立川談志はこれを期に落語協会を脱会し、自ら落語立川流を創設した。その後は立川流の落語の確率と後進の育成に力を注ぎ、ほとんどメディアには登場しなくなった。2000年代に入ってテレビへの出演を再開するが、2008年喉頭癌が発覚。その後長期休養に入る。2010年に復帰するが、再び療養に入り2011年11月21日に死去。享年75歳。