テリー伊藤
テレビプロデューサー、タレント
テリー伊藤の名言
テリー伊藤の過去の名言をまとめた名言集です。
-
自分で自分の枠や限界線を決めちゃうと人はそれ以上伸びない。自分の可能性は図々しく持っていていい。
-
その人を叱るよりも先に、その人の良さを引き出すためにはどうすればいいかをもっと考えてあげればいいんじゃないの?
-
強い個性や欠点が、あるとき、武器となって輝き始める。
-
人間が本質的に抱えている不安を力に変えれば、力んだ決意がなくてもやれちゃうもんなんです。
-
人間、キャリアを重ねると冒険をしなくなる。それは若い人でも同じことだ。年数の長さに関わらず、実績とともに自分のスタイルができてくると、それをもとに考えたり、行動することしかできなくなる。それでは、何も新しいことを生み出せない。
-
知らないまま否定するのはもったいない。興味を持った時に動かないと人って一生興味を持てないままになっちゃうんだよ。
-
欠けているモノよりも、自分の中の良さを探していくべきなんです。俺なんか完全にそういう考え方。基本的に、自分の中のいいところしか見ないんです。
-
世間というのは面白いものである。最初は、面白おかしく「天才ディレクターのテリー伊藤」と自分で言いふらしていたら、ある日から世の中の人たちが「天才ディレクターのテリー伊藤」と言い始め、「テリー伊藤って天才ディレクターなんだ」というふうに定着していったのだ。これは、まぎれもなく自己演出である。自分で勝手に「天才」を名乗って、勝手に自分のポジションを上げてしまったのだ。
-
他人と差をつけるための勉強をしても挫折するだけ。自分の頭で考えてみる。まずはココから始めてみてよ!気づいたら周りの人の発想レベルとは大きな差がついているはずだからさ。
-
元気と勢いは大切。アイデアや企画を社内や社外へプレゼンする時、データを積み上げたり、根回しをしたり、通りやすくする準備っていろいろあるけど、最終的には提案者の熱量が物を言う。
-
「不満なことは、これとこれ。でも、幸せなことはこれとこれ」。その割合が「幸せ51:不満49」であれば、人間相当ハッピーだ。
-
「昨日の自分に興味がない」というのは天才の条件のひとつだ。天才は基本的に昨日の自分を信じていない。たとえ昨日、何を成し遂げようとも、昨日の自分をみんなが賛美しようとも、本人はすでに興味がない。もう「次」を見ているのだ。
-
凡人は昔の自慢話をする。しかし、天才は昔の自分に興味がない。
-
大切なのは、自分が置かれたポジションをどうポジティブに語れるかということ。
-
「ああしろ、こうしろ」と言ったって、いいものは絶対に生まれないし、「あれをするな、これもするな」と禁止事項を並べていては伸びる人も伸びない。
-
逆転は座して待っているだけでは起こり得ない。当然、今こそやっておくべきことがある。それは逆転のための準備。花を咲かせるための準備だ。
-
やはり、安住の地にいてはいけないよね。居心地が良くなると感性が鈍るもの。大事なものをどんどん捨てるのもいいかもしれない。感性を磨こうなんて思っちゃいけないよ。好きなことを一生懸命やるのがいい。
-
「俺にできないわけねぇや、たいしたことねぇや」と思った上で、一生懸命やる。
-
仕事はナメてかかって、真面目にやれ。
-
「人間、50年」と言われた時代なら「40代か。もう歳だな」という感覚だったかもしれないが、80歳でもバリバリの現役の先輩たちがたくさんいる時代、40代はまだまだ「青年」なのである。
-
仕事は自分のキャパを超えようが断らない。仕事の価値を決めるのは自分じゃなくて、頼み事をする方だから。その姿勢の大切さを芸人さんたちから学んできた。みんな基本的に断らない。後々、売れていった人ほど、「苦しければ苦しいほどおいしい」と思うメンタリティーを持っていた。
-
昨日の自分を信じない。昨日の自分が好きじゃない。昨日の自分に興味がない。何かを成し遂げようというとき、これはとても大切なことだ。何かを成し遂げるためには、延々とその場で粘ることが大事だと思われがちだが、じつはそうではない。自分を成長させるためには、昨日の自分のままではいけないのだ。
-
常識にちょっとしたアレンジを加えるだけで、大きなアクセントになる。みんなが知っている常識にはしっかりとした軸があるから、崩しやすいんですよ。
-
再確認したのは、動くことの大切さ。チャレンジしないとお金は降ってこない。深刻な顔をしててもしょうがないから、動いてみようよ。
-
熱い思いがないと言葉にパワーが出なくなる。誠心誠意で超えられる壁はいっぱいある。
-
矛盾を受け入れる力をサラリーマン時代につける。サラリーマン人生は僕にとって最高の地獄でしたね。最低じゃなくて最高の。だからこそ、いまの自分がある。
-
無理に好かれようとすると、今度は万人に嫌われるんじゃないのかな。
-
常識に感謝した上で、常識の裏を読む力を持たなくちゃいけないと思う。
-
いいよ、おまえ。違う世界を見るって、それ、すごくいいよ。芸能界にはさ、最初は面白かったのに売れるようになったら、スタジオと飲み屋の行き来だけになって全然つまらなくなるヤツがいっぱいいる。世界が狭くなっちゃうからなんだよ。だから、外の世界を見ようとするおまえはすごくいい。
-
自分の年収の10倍を稼いでくるのが一人前だと思っている。600万円から700万円の年収のあるヤツが、年間に稼いでくる額が150万円だったら雇っている意味がないんだよね。
テリー伊藤の名言を見ている方へお薦めする名言
テリー伊藤の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
-
挫折や失敗こそ新たな変化へのチャンス。失敗は決して恥ずかしいことではありません。恥ずかしいのは失敗ではなく失敗を恐れて何もしないこと。
山中伸弥 医学者、iPS細胞の開発者
-
社会で広く共有されている価値基準の下で、すべての人がナンバーワンになるのは不可能です。また、社会に認められたい一心で努力を重ねていると、ふと「自分は本当は何を喜びとしているか」、すなわち個人としての価値観を見失ってしまうかもしれません。すると、成功しても本人は幸福を感じられなくなってしまうでしょう。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
-
最初からあきらめていては、何も始まらないのだ。
松井道夫 元松井証券社長
-
しっかりと自分の軸を持って本物を追求すれば、いつか周りが認めてくれる。本物だけが、勝ち続けられる。
原晋 陸上指導者
-
待っていたら誰も声なんてかけてくれない。自分の未来は自分の力で勝ち取るもんだ。
長谷部誠 プロサッカー選手
-
自由のない世界に対処する唯一の方法は、あなた自身の存在が反逆となるほど完全に自由に行動することだ。
アルベール・カミュ フランスの小説家
-
ミスったっていーんだよ!どうせお前なんか誰も見ちゃいねーよ!
石橋貴明 お笑いタレント
-
引退ではなく、卒業だと。これは、新しい修造の始まりだと。
松岡修造 元プロテニスプレーヤー
-
過剰に何かが欠けているのも才能のうち。
糸井重里 コピーライター、株式会社ほぼ日創業者
-
イチローも4割・5割の打率は記録できず、6割以上失敗する。人生も同じだ。失敗しても構わない。大事なのは、失敗してもそこから起き上がることだ。
桑田真澄 元プロ野球選手
-
君はこの先何度もつまづく。でも立ち直る強さも持っているんだよ。
藤子・F・不二雄 漫画家
-
自分が努力して名をあげる望みのないものは、人が自分の位置まで落ちるのを喜ぶ。
ベンジャミン・フランクリン アメリカの政治家、科学者
-
なにかに成功する前に、あなた自身がそれを成し遂げる気持ちを持たなくてはならない。
マイケル・ジョーダン プロバスケットボール選手
-
取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。
湯川秀樹 物理学者。日本人初のノーベル賞受賞者
-
百歩先の見えるものは、狂人扱いされる。五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。十歩先の見えるものが、成功者である。現在が見えぬのは、落伍者である。
小林一三 阪急グループ創業者
テリー伊藤について
テリー伊藤は日本のテレビ演出家、タレント。テレビ番組制作会社「IVSテレビ制作」に入社し「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「ねるとん紅鯨団」で演出を務め、人気番組へと育て上げた。その後独立してテレビタレントとしての活動も開始。バラエティー番組や情報番組のコメンテーターとして活躍。
1949年(昭和24年)12月27日、東京都中央区に生まれる。実家は築地市場で卵焼き店を営んでいた。早稲田実業中等部・高等部を経て日本大学経済学部に入学。学生時代は学生運動に参加し、その時に負った怪我で外斜視になる。大学卒業後はアルバイトなどをして過ごすが、1973年(昭和48年)に前年に設立されたばかりのテレビ番組制作会社「IVSテレビ制作」に入社。ディレクターとして頭角を表したテリー伊藤は、日本テレビの人気番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の演出を担当。1985年(昭和60年)IVSテレビ制作に籍を残しながら「株式会社ロコモーション」を設立してフリーでも活動するようになる。1987年IVSテレビ制作が制作し、テリー伊藤が演出した「ねるとん紅鯨団」の放送が開始され高視聴率番組となる。1992年ロコモーションが制作を担当した「浅草橋ヤング洋品店」の放送開始。浅草橋ヤング洋品店はその奇抜な内容から人気を獲得しロコモーションの代表作となった
その後テリー伊藤はテレビ番組製作者としての知名度を生かしてタレント活動も展開するようになる。当初はラジオ番組のMCを担当からタレント活動を開始。1997年放送開始の「ここがヘンだよ日本人」では、日本人代表として外国人出演者と激しい口論を展開し話題となった。2002年から朝のワイドショー「ザ!情報ツウ」で火曜・金曜のレギュラーとなる。さらに後継番組の「スッキリ!!」ではサブMCとなり月曜-金曜まで毎日出演した。さらにテリー伊藤は「サンデージャポン」、「ビビット」といった情報番組でもコメンテーターを務めた。