自称文学青年、文学少女と名乗る輩と出会い好きな作家を問われ「太宰治が好き」と答えたとする。すると9割以上の確率で「あ~昔読んだわ」とか「あ~若い頃読んだわ」と返され、そしてなぜかやったった感を出される。先に読んだ方が偉いルールなどは無い。順番などどうでもよい。重要なのは何を感じるかだけだ。彼等がなぜ青春時代の通過点として太宰を捉えたがるのか?それは一昔前の批評家が太宰の一部の作品に対して発した言葉が簡略化され迷信の様にてきとうに出来上がってしまった定説を鵜呑みにしてしまったからである。彼等は可哀相な被害者達でもあるのだ。いずれにせよ読んで恥ずかしい本など無い。
又吉直樹 お笑い芸人、小説家
この名言を見ている方にお薦めの名言
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人は自分にないもの、むしろ反対のものに惹かれるんだ。
岡本太郎 前衛芸術家、画家、彫刻家
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ものごとの現象は、何が正しくて、何が間違っているかではなく、相手の価値観に立ってみないと、理解できないということなのではないでしょうか。
西村博之(ひろゆき) 2ちゃんねる開設者
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「世の中って理不尽ですよね」気が利いているようでいて、実のところ何も言い表していない、という台詞を私は言ってみる。こういう空虚な言葉が、間を埋めることはよくある。人間が好んで使う手法だ。
伊坂幸太郎 小説家
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「お前が今やってることは大丈夫なんだ」って。「少なくとも、この人たちは認めてくれる」っていう人が周りにいることは、すごい大事です。
坪田信貴 教育者、坪田塾塾長
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日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。
イビチャ・オシム サッカー監督
又吉直樹の他の名言
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何となく東京っていっぱい人がいて、テレビに出させてもらったり、劇場出たりとか、それを目指している人もいて、いろんな価値基準というか、勝ち負けがあるじゃないですか。勝ち負けがあるのは僕はいいことだと思うんですけど、そういう人間からすると、勝ち負けなんて関係ないような環境で生きている人がすごく眩しく見えたり、純粋に見えたりするのですが、逆の環境で生きている人からすると勝敗のケリがつくようなところが華やかに見えたりするかもしれない。
又吉直樹
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僕にとってファッションは自意識との闘いなんです。どう見られるか、どう見せたいかじゃないんですよ。笑われるのを覚悟のうえで、断トツに尊敬してる志茂田景樹さんとかドン小西さんみたいに、好きな服を好きに着るのがオシャレだと思うんですよね。
又吉直樹
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自分に過度な期待をしない。
又吉直樹
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芸人になって最初の頃は怖かった。毎日、僕らに何ができるんやろう。何かできることからやろうと徐々に思うようになった。
又吉直樹
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井の頭公園で昔、穴が空いた木があったんです。その木をお局様と呼んで、穴にゴミが入ってたらそれを片付けたりしていたんですね。そしたら何となくその木に対する愛情が湧いてきて、頭下げたり、「おはようございます」って声かけたり、ついには信仰心みたいな感情が芽生えてきて。
又吉直樹
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難解な問題を、ただ簡単にするだけでは伝えられない。難解なものを難解なまま提示しても伝わらない。伝えるために言葉を足して、説明しすぎたらかえってわからなくなるし。表現者が伝えるために工夫し、微妙な表現というものが生まれ、そこには個人差や好き嫌いがあって、そうやって作品が広がった先に文学がある気がしている。
又吉直樹
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入口で面白くないと思ってしまったら、そこから面白さを分かっていくのはめちゃめちゃ難しい。
又吉直樹
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目の前のその人が好き、嫌いで立ち止まるのはもったいない。価値観が合わない。関係性を築きたくない。そうやって斜に構えていたら、チャンスを棒に振る。
又吉直樹
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たとえば、社会保障制度の内容が変わるみたいな話になると、すぐに世代間の争いみたいになったりするじゃないですか。それも言葉の整理にすごく支配されてしまっていると思うんです。つい自分の世代の視点からいろいろ批判したりしてしまうけれど、60代~70代は自分の親の世代やで、90代はおばあちゃんの世代やで、同世代は兄弟やし、下の世代は子供やでって考えると、境界が曖昧になるというか、もう少し違う見方になるんじゃないかなと。自分の痛みと同じように人の痛みを考えるのは難しいと思うんですけれど、たとえば家族や恋人についてだったら、自分の痛みを越えることもあるじゃないですか。だから、自分は誰かで、誰かは自分だって考えることもできるやんって思うんです。
又吉直樹
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生活を脅かすものを排除したいというのは、みんなどっかである。でも、この世界の誰かに対する想像力、何かから喚起されるものがあれば、変わりそうですよね。
又吉直樹