どんな小さなことでもいいから「一等賞」になること。何も学校で一番になろうだなんて、大きなところで競わなくたっていいんだよ。クラスで一番を目指してみようか。ううん、もっと小さくてもいい、クラスの中の男の一番。次はクラスの座席の列で一番。さらに座席の前後左右の中での一番。どんどん小さくしていいんだ。でもまだ一番になれないなら、隣の奴と自分とで一番はどっちかな。そこまでしても一番になれなかったら?それはね、隣をかえればいいんだよ!そうしていれば、いつかは勝つ。「勝つという味わい」をどこかで抱いていなきゃ。
萩本欽一 コメディアン、タレント
この名言を見ている方にお薦めの名言
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僕らは運も良かったんですよ。芸能界は椅子取りゲーム。初めてゲームに加わったら、すぐに音楽が止まって、目の前の空いた椅子があったから座れたようなもの。どうして、その幸運に恵まれたのか自分たちにもわからないんですよ。とはいえ、そこからが大変でしたね。
石橋貴明 お笑いタレント
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満点なんか取らんでええねん。満天は星空だけで十分や。
明石家さんま お笑い芸人
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私はね、研究が得意なんですよ。ただ自己流で考えることが得意なんですね。非常に簡単なことですよ。研究のテーマとして人がやってないことを選んで、それを突き詰めて考えて考えて、あとはやるしかない。それ以外は特にないです。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
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自分に付加価値を付けるには「人のしていないことをする」ことです。僕が放送作家を始めた当時、SMクラブがはやっていたんです。でも、その割には実際に行ったことのある人がいない。ならば行ってやろう、と。翌日、みんなの前で「僕、昨日SMに行ってきたんです」と話したら「お前すげえな!」と、それまで僕に興味なかった大人たちが初めて僕の話を聞いてくれた。
鈴木おさむ 放送作家
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受験競争をリタイアすれば、やりたいことに取り組む時間が十分に取れます。極論になりますが、好きな道で成功したかったら、今の日本の学校からは早く落ちこぼれた方がいいくらいです。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
萩本欽一の他の名言
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今考えると、向いていなかったことがよかったんだと思います。もし最初からうまくできて「俺はコメディアンに向いている」とか「司会だってできるんだぞ」なんて思ってたら、天狗になって成功しなかった気がするの。だから、向いていない場所にこそ、運は落ちているって思います。
萩本欽一
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ウソがバレるほど、でかいウソをつけ。
萩本欽一
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「石の上にも3年」って言うけど、みんな何だかんだいって3年ぐらいは辛抱してると思うの。だから3年じゃ、しょせんは人と同じ程度のものしか身につかない。本気で何かを成し遂げようと思ったら、5年は辛抱しなきゃ。
萩本欽一
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「つらいなぁ」というのは、大きな運をつかむ予兆だと思う。そこを逃げずに踏ん張ることが大事なんだ。
萩本欽一
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「なりたい」じゃなくて「なる」という前提で人生を過ごしなさい。君はね、35歳になって新聞に顔が載るよ。だからその前提で生きていきなさい。有名な脚本家になるんだという前提でものごとを進めていきなさい。
萩本欽一
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人生は当たり前のことばかりしていちゃつまらない。運の神様だって、変わったことをしていると面白がって運をくれたりするんです。
萩本欽一
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僕、浅草で修行を始めたころ、「オマエは才能がない」と言われ続けていたの。でも、ぜんぜんめげなかったね。だって、チャップリンもエノケンも、若いころは「才能がない」と言われていたらしいから。天才と呼ばれていた人よりも才能がないと言われていた人のほうが成功している。だから、「才能がない」と言われてむしろうれしかった。「これで成功するための条件をひとつクリアしたぞ」ってね。
萩本欽一
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頭のいい人、お勉強ができる人は自分の努力で頑張って、今の状態へ来ているから、なかなか運を信じないよね。一方、間抜けな人はもう無理なんだから。努力ばかりでは来れない人っているじゃない。間抜けな人が頭のいい人に勝つには、運に賭けるのがよい。すべてが運ですから、僕の人生。
萩本欽一
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職業柄、僕は番組のロケなどで「名人」とか「名工」と呼ばれる人に会います。包丁を作る職人さんに聞いてみると、「小さい頃から好きで仕事に就いた」という人はいなくて、仕方なく家業を継いだという。だけど、努力して超一流になり「うん、やって良かったよ」と笑いながら話してくれます。
萩本欽一