志村けん

コメディアン

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志村けんの名言

志村けんの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 毎回新しくて実のあることをやるのは無理に決まっている。とにかく新しいことをやるんだってなっても、それが新しいのかだんだんわからなくもなってくる。楽しい、面白いは確実にわかるけど。ならば、そこを追求して笑いを作っていかないと。

  • みんなと同じだったら、一番楽だろう。不安もなくなる。でも、その代わり個性もないってことになる。あいつは変わってる、と言われるのは光栄なことだ。1回きりしかない人生なんだから、自分の好きなように、自分に正直に生きようよ。

  • 子供に「志村ってバカなんだよ」って言われることは最高の褒め言葉。「本物」だと信じられているわけだから。

  • 何もしてない奴が「じゃあ、お前ちょっとやってみな」って言われることはあり得ない。ふだんから何かをやり続けているから、誰かの目にとまって声をかけられるんだ。

  • 仕事に限らず何でもそうだけど、「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから。

  • お笑いみたいなものでも、常識を知らないと本当のツボというものがわからない。常識は基本線で、お笑いはその常識という基本線をひっくり返すところで、コントとして成り立っている。だから、笑えるワケよ。お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対に出来ない。

  • が心がけているのは、お客さんが観ながら「これ、絶対こうなるよ、こうなるよ」って期待する通りにある程度進めていくことです。「ほら、思った通りになった!」っていうのを半分以上入れようと。僕らの世界では「ベタ」っていうんですけど、ベタをないがしろにしたらダメです。「もっと新しい笑いを」ってやると、ある層はついてくるけど、それ以外の層には響かないですよね

  • いろいんな人たちを遊びの場で見てきた。思うのは、人生は不公平だってこと。若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見てもあきらかだろう。ただし、ひとつ言えることがある。ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。

  • よくマンネリと言われたけど、僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。お客さんにすれば、「たぶんこうするよ、ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑いと、「意表を突かれた、そう来たか」とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと、お客さんも見ていて疲れてしまうだろう。

  • 誰もが思いつきそうなことを、人より鼻の差ぐらい先を見越して、現実化すればいいんだ。「鼻の差ぐらい」がポイント。それ以上先でも、それ以下でもダメ。

  • ギャグはみんなが飽きても自分は飽きちゃいけない。やり続けることが大事。

  • キャラクターは心がこもってないと見透かされちゃうし、「子ども用」と設定してやるとバカにされます。子どもっていつも背伸びしたくて上を上を見てるもんです。僕が大人として上から下に目線を合わせようとすると、絶対にいいことないですね。僕は自分が面白いと思うことしかやらないです。

  • 気取らないこと。とにかく飾らない。自分を大きく見せようとする段階で人はうそをつくし、それはすぐに見破られるものですよ。

  • マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって。

  • 古今東西、いつの時代も、自分が楽しいと思わない仕事からよい結果は生まれない。

  • テレビの仕事は、僕たちもスタッフも、手を抜こうと思えばいくらだって抜ける。でも1回手を抜いたら、つまらなくなってしまうのは目に見えている。だから、やっている間はとことんまでやるしかない。

  • 自分の一生なんだから、自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。売れるか売れないか、先のことは誰にもわからないけど、自分が納得いくまでやれば、それでいいんじゃないか。

  • なんでもそうだけど、ずっと続けているとうまくなる。うまくなると、またおもしろくなってきて、さらに一生懸命やろうという気になってくる。そうやって、一人前になっていくんだと思う。

  • 「飽きられず、忘れられず」、これがキャラクター・ブランドを長期にわたって維持していくための戦略。

  • 舞台ではアドリブのように見せることもありますが、あくまで「アドリブ風」です。その場の瞬発力で笑いを取るようなことはない。舞台歴は長いんでね、ウケ方は知っているつもり。ずーっと大爆笑なんて続くわけがない。これはこのくらい、次はこれくらいだなって一応、全部計算はしています。

  • 僕は自然と、自然体が好きなんです。人生の目標も「自然でいること」。普段からできるだけ見栄を張ったり、大きく見せようとしたりしないよう心がけてるんですが、コントも「あ、こんなシーンあるよな」っていうところをまず入り口にします。それがどんなふうに運んでいくかを考える

  • ドリフターズのいいところは、リーダーのいかりやさんがきちっとまとめているんだけれども、各メンバーのアイデアを積極的に取り入れる柔軟性や自由な雰囲気があったことですね。「面白そうじゃん、やってみよう」みたいなノリで、僕みたいな若造の意見もずいぶん取り入れてくれました。

    出典:  週刊文春2012年10月11日号のインタビュー

  • 非常識なことをするためには、まず常識を知らなきゃいけないんだよ。

  • 分かる人には、演者が馬鹿で無い事くらいわかる。むしろ利口ぶったり、文化人ぶったりするようになったら、芸人としておしまい。

  • 「見たいけど、たまにしかやっていない」という、放送回数を腹八分目ぐらいの満腹感に抑えてきたこと。それがロングセラーになった要因だ。

  • テレビでも、あまりに普通の人が普通のことをやりすぎている。そんなのはおもしろくない。変わった人、珍しい人、平凡な人、少し狂気のようなものを感じる人。それを見たいから世間の人はテレビや舞台を見る。芸人はもともと変わってるんだ。僕たちはそれでいいんだ。

  • 自分自身の絶対条件がクリア出来れば、その他の項目には目をつぶる。人間の欲望や要求にはきりがない。「三割満足で十分」でいけば、世の中腹の立つことも少なくなるだろうし、けっこう丸く収まると思う。

  • 「全員集合」をやっている頃、合間に地方営業があって。行った先々で、みなさんがすごく喜んでくれた。本当にいい笑顔でね。老若男女が一緒に笑える舞台が理想で、そこにもっと近づきたい。でも、一生100点は取れないでしょうね。芸事に終わりはないですから

  • スタッフや出演者との飲み会は「俺は本当はこうしたい。こういうコントがやりたい」って、スタッフたちにわかってもらうための場だよね。「ごきげんテレビ」と「だいじょうぶだぁ」を並行してやっていた時期なんて、各番組で3日ずつ、週に6日間も飲んでた。そのせいで一日の睡眠時間が3時間しか取れなくなってしまったけれど、やりたいことや伝えたいことがたくさんあるから、どうしてもそうなっちゃう。

  • マックボンボン時代から数えるともう40年か、あっという間だね。こんなにお笑いを長くやるとは思ってなかったけど、僕にはこれが一生の仕事ですからね。死ぬまでずっと続けますよ。

    出典:  週刊文春2012年10月11日号のインタビュー

志村けんの名言を見ている方へお薦めする名言

志村けんの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

志村けんについて

志村けんは日本のコメディアン。「ザ・ドリフターズ」のメンバーとなり、最高視聴率50.5%という国民的お笑い番組「8時だョ!全員集合」で活躍。番組終了後は「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」などの冠番組を持つ人気コメディアンになった。特に特別番組として放送された「志村けんのバカ殿様」は30年以上続く長寿番組となった。

1950年(昭和25年)2月20日、現在の東京都東村山市に生まれる。父・憲司は小学校の教諭をしていた。東村山第二中学校から都立久留米高校に進む。1968年、高校卒業直前の2月にコミックバンド「ザ・ドリフターズ」のリーダーであるいかりや長介の家を訪問し、弟子入りを志願。熱意が認められて付き人として採用された。「ザ・ドリフターズ」メンバーの加藤茶の付き人などをしたのち、1972年に志村けんは同じくドリフターズの付き人だった井山淳とお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成して芸能界デビュー。しかしマックボンボンの人気は低迷して解散してしまう。1973年に見習いとしてドリフターズに加入。1974年荒井注の脱退に伴って正式メンバーとなる。加入当初は人気がでなかった志村けんだが、1976年に「8時だョ!全員集合」で披露した「東村山音頭」がウケて知名度が上昇。その後も「ヒゲダンス」、替え歌「カラスの勝手でしょー」などで人気メンバーとなっていった。

1985年に「8時だョ!全員集合」が終了すると、翌1986年から「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタート。同年、ドリフターズで披露していたコントを単体の番組にした「志村けんのバカ殿様」が放送開始。1987年には「志村けんのだいじょうぶだぁ」がスタートし、「変なおじさん」のコントが人気に。その後はコントを中心にテレビや舞台で活躍。2004年からは司会を務める「天才!志村どうぶつ園」が放送開始。2020年3月、志村けんは新型コロナウイルスcovid-19に感染し、死去した。享年70歳。