桑田佳祐
ミュージシャン
桑田佳祐の名言
桑田佳祐の過去の名言をまとめた名言集です。
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いかに悲しく辛い時期でも音楽にはそれを乗り越える力がある。
出典: 公式webサイトのデビュー40周年インタビューにて
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バンドっていうのは、まったく違った個性を持ったヤツが集まってきて、葛藤とか縄張りの取り合いするみたいなのが本当の姿だと思うんだけどなぁ。
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音楽界はなんでもかんでも新譜至上主義でね、とりあえず新譜じゃなきゃ売れないっていうのは、とりあえず新装開店しないと新しい客がつかない飲み屋と一緒で、商品の賞味期限は日ごとに短くなっていく。
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曲って不思議なもんでさ。たとえば「東京シャッフル」なんか真剣に作ったんだよね。死ぬほど真剣に。だけど、今考えてみると、どうも新鮮味がない曲だなって気がするの。
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音楽も映画も娯楽だから、娯楽を追求するのになんで責任感持たなきゃいけねぇんだ!って思うよ。
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人は誰もが舞台に立っている。輝く主役になれ。ひとりひとりの命に意味がある。生きてく理由がある。
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自分自身を含めて日本人の男は甘いよね。本当になにか一点に関して秀でていなくても就職できたりするし、先達が作ったものを引き継いで多少それをアレンジして生業とすれば、社会人男性という一般的な名刺をもらえちゃうもんね。
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日本のミュージシャンも守ることばっかではなく、攻撃的な部分も大切だと思うんだ。
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ボクなんかビートルズとか外国の文化にもろに影響を受けてるけど、やっぱり日本の「ワビ」「サビ」の感覚っていうのを、もっと音楽に出していきたいね。みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ。
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ステージでは俺が常に新しい情報をお届けする「サザンという番組のホストであり顔」なんだよね。そういう意味での別の人格のよるところの「演技」かもしれない。だから、サザンのライブビデオを俺は観る気にならないし、観ることができない。
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「そんなにレコーディングが好きなら、レコーディングの現場を見せてくれ」というファンもいるんだけど、それとこれとは話が別だし、言い訳してる場合じゃない。ただ、音楽小僧としてある種、等身大でいられるのはレコーディング・スタジオなんだ。
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我々サザンとしては、スタッフも含めて、東北のことを忘れてはいない。震災は終わっていません。だから自分を戒めるじゃないですけど、「TSUNAMI」は歌わないようにしてきました。
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サザンオールスターズのこれまでの歴史の良いところは、たとえ時代が変わり、変化が絶えなくても、常に仮想敵を見つけつつ、何かに向かっていけてることだと思うんです。
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今でも逢いたい気持ちがいっぱい。そんな惨めな恋などしたくない。
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諦めないで何事も。無理しないで何もかも。人生を楽しんでいきましょう。
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やっぱり女って良いこと言うもん。俺以上に俺のこと見てるもん。それはすごいと思うね。男って、女を通して世の中を見たり、自分自身を見たりするわけでさ。女ってそういう才能あるからね。うん、だから恋愛をたくさんこなしたヤツは強いよ。
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20世紀まででポップミュージックの「分母」はほぼ出来てしまったと言っていいと思う。あと、21世紀の分子は当たり前だがとてもバリエーションに富んでいく。神が創った人間の美的感覚を電脳による作意が乗り越えていくんだろうか?う~んさっぱりわからん。
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1982年はノッてただけだから、浮かれてたね。やることデタラメですべてが当たってるという。やったあの場では楽しかった。
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ミュージシャンがスポーツ選手と違うところは、必ずしも実力がチャートの数字になっているわけではないからね。曲に打率はないもん。そのへんをわかってないと、老後がすぐやって来る感覚に見舞われてしまう。
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炊事洗濯しながら音楽もやってるんだから。たとえば、朝10時に食器洗って、夜の9時にはコンサートやってるわけでしょ。それを全部やっちゃうわけだから凄いよね。ホントに原由子って人は。内心辛いこともあるんだろうけどすべてを自然に見せてしまうから偉いよ。
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責任感強い人は、頭を切り換える時にいろいろ考えちゃってパニック起こしちゃうんだろうけど、オレは責任感弱い。芽生えない。
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やっぱり俺としても「勝手にシンドバッド」に執着があったんだ。自分で聴いて新鮮というか、オリジナルの中では一番受けがいいだろうと思ったね。漠然と。ただあそこまで売れるとは夢々思わなかった。そこそこいけばっていうイメージしか当然なかった。
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やっぱり音楽やっててよかったなと思いたいですよ、ボクは。音楽やってるから映画が撮れたんだとは当然、思っているし。だったら、そういった音楽っていうのかな、やっぱりノリですかね、そういったものがうまくその中に出ていればいいかなぁという気がするんだけどね。
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日本人であるかぎり、何としても日本語は最大のよりどころだもの。たくさんいる音楽評論家さんたちも、ほとんどは音楽をサウンドで語ることなく、歌詞がどうのこうのになるのは、そう考えれば仕方ないかもしれませんね。
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サザンオールスターズという一本の道が見えているというより、その都度その都度、突貫工事で切り抜けてきた感覚でもあるんです。メンバー同士で助け合ったのはもちろんですが、自分達だけでやってきたわけではなく、まわりのスタッフが力になり助けてくれて。大事なところではひょいっと抱き上げてくれたりしたし、そういう意味では、関わってくれたみんなの歴史でもあるんですよ。
出典: 公式webサイトのデビュー40周年インタビューにて
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俺だって、サザンより売れているバンドやシンガーには、やっかみがあるよ。
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解散ってのはどうしたって毎日その可能性はあるでしょ。それはお互いがいつもわきまえてるわけだよ。バンドが続いて行く以上、そういうことって多いと思うしね。表と裏って言うか、グループのね。解散という言葉を一番身近に感じたのは随分前だったけど。
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得られたものの大きさはやってみた者にしか分からないでしょ。トライしてみないことにはどうにもこうにもね。
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みんな、評論家がどこかのメディアでしゃべったり書いたりしたことを無意識に日常に持ち込んでいるのかもしれないね。その意味では「解説の時代」なんじゃないの?スポーツでも映画でも、なんで解説が必要なんだ?って思うときがあるけど、やっぱり必要なんだよね。
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いろんなバンド作ってやってるやついるけど、みんな今、軟弱すぎるよね。バンドがなんかひとつの単位になっちゃってて、管理されたみたいになってるじゃない?でも、バンドってそうじゃないよね。ジョン・レノンのトロントでのライブ盤の、あの刺激を知らなすぎる。
桑田佳祐の名言を見ている方へお薦めする名言
桑田佳祐の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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熱意というものは確実に伝わって行きますし、その熱意があれば次第に人は感化されて行くものです。
北尾吉孝 SBIホールディングス創業者
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よい判断力はよい理解から生まれ、よい理解はよい法則から引き出された理論から生まれる。そしてよい法則は、ありとあらゆる化学および芸術の共通の母、よい経験の娘である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 画家、彫刻家
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ぼくは人のやらないことを、やりたがる欲があるんです。そして人にマネさせるのが楽しい。
手塚治虫 漫画家
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何をやるのかを決めるのは簡単だ。何をやらないのかを決めるのが大事で、何をやらないか決めるのは難しい。
マイケル・デル デル創業者
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死の恐怖を味わうということは、まだしなければならない仕事をしていないということである。
武者小路実篤 小説家、詩人、政治活動家
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画期的な技術を入れても売れないなら、それはニーズを読み間違えているんじゃないでしょうか。
樫尾和雄 カシオ計算機創業者
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忙しい人達が、やめても問題ないことをいかに多くしているかは驚くほどである。なすべきことは、自分自身、自らの組織、他の組織に何ら貢献しない仕事に対しては、ノーと言うことである。
ピーター・ドラッカー 経営学者
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10人中9人がうなずくことは、たいてい間違っている。
松井道夫 元松井証券社長
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僕は歌でありギターを通して「いったい自分は何者であるか?」と探し求めていく。僕はそれを死ぬまでやり続けていくんです。そうしなければ、生きている意味がない。
長渕剛 シンガーソングライター、俳優
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他人から「狂っている」と思われないことをしているなら、あなたは間違ったことをしているんです。
ラリー・ペイジ Google創業者
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儲けようと考えたのがいけない。この世の中のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった。そして最初に考えたのが、不毛地の開発事業であった。
堤康次郎 西武グループ創業者
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僕はね、日本はそんなに捨てたもんじゃないと思っています。日本が駄目なのは、適材・適所をしなかったこと。よく考えたら同じ会社に30年勤めるなんて99%の人は合わない仕事をしてるってことですよ。雇用環境は厳しくなっていますが、昔に戻ることはできないし、戻る必要もない。
夏野剛 iモードの開発メンバー、ドワンゴCEO
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あら探しをするよりも、改善策を考えなさい。
ヘンリー・フォード フォード・モーター創業者
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若手時代からずっと「スタジオコント」が大好きなんです。ほこりっぽいスタジオの隅で、チマチマと笑いを構築していく。そして身内ではあるけれど、現場のスタッフたちがすごい近くで笑ってくれる。そういう現場って実はとても幸せなんですよね。若い芸人たちにも同じ空気を味わわせてあげたいと思うんです。
内村光良 コメディアン、タレント
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基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
椎名林檎 歌手
桑田佳祐について
桑田佳祐は神奈川県出身のミュージシャン。人気バンドサザンオールスターズでボーカル、作詞、作曲を務める。サザンオールスターズはデビュー曲「勝手にシンドバット」がヒットし、翌年「いとしのエリー」で人気バンドの地位を確立。その後40年以上にわたって人気バンドとして活躍。最大のヒット曲は2000年発売の「TSUNAMI」で、シングルCD294万枚を売り上げた。また、桑田佳祐はソロアーティストとしても活躍し「白い恋人達」、「波乗りジョニー」がミリオンセラーを記録している。
1956年(昭和31年)2月26日 、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。実家は映画館を経営していたという。鎌倉学園高校を卒業して青山学院大学に入学。青山学院大学で桑田佳祐は音楽サークルに所属して音楽活動を始める。1977年、桑田佳祐はサークルで出会った原由子、大森隆志、松田弘、天野和平とともにバンド「サザンオールスターズ」を結成。直後に天野和平が脱退して関口和之が加入。サザンオールスターズはヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」で入賞を果たし、桑田佳祐はベストボーカル賞を受賞。その後野沢秀行が加入した。翌1978年音楽レーベル、ビクター音楽産業に所属し6月に「勝手にシンドバット」でメジャーデビュー。勝手にシンドバットはオリコン最高週間3位、年間23位というヒット作となる。同年11月、2作目のシングル「気分しだいで責めないで」を発売しオリコン週間10位を記録。
デビュー直後のサザンオールスターズはその曲調からコミックバンドとして見られていたが1979年3月発売の3rdシングル「いとしのエリー」ではバラードに挑戦。いとしのエリーはテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」の主題歌となったこともあり、73万枚の大ヒットとなりサザンオールスターズは単なるコミックバンドではなく、本格派のバンドとして認識されるようになった。1982年に桑田佳祐はメンバーの原由子と結婚。「チャコの海岸物語」、「ミス・ブランニュー・デイ」などのヒット作を生み出した後、1986年に活動を一旦休止。1988年のデビュー10周年を機に活動を再開し、「みんなのうた」、「さよならベイビー」、「真夏の果実」などのヒット作を生む。1990年初監督映画「稲村ジェーン」公開。1992年には「シュラバ★ラ★バンバ」、「涙のキッス」を同時発売しオリコン週間ランキングで2週連続1、2位を獲得。その後も「エロティカ・セブン」、「愛の言霊 〜Spiritual Message」、「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」など立て続けにヒットを飛ばす。1998年ベストアルバム「海のYeah!!」を発売し、359万枚を売り上げる大ヒット。2000年1月には最大のヒット作で294万枚を売り上げた「TSUNAMI」を発売。この頃、桑田佳祐はソロ活動も活発に行い、「白い恋人達」、「波乗りジョニー」でミリオンセラーを記録している。2008年1月、デビュー30周年を機にサザンオールスターズは活動を無期限で停止。2013年、デビュー35周年の年に活動を再開した。