僕らは運も良かったんですよ。芸能界は椅子取りゲーム。初めてゲームに加わったら、すぐに音楽が止まって、目の前の空いた椅子があったから座れたようなもの。どうして、その幸運に恵まれたのか自分たちにもわからないんですよ。とはいえ、そこからが大変でしたね。
石橋貴明 お笑いタレント
この名言を見ている方にお薦めの名言
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自分に付加価値を付けるには「人のしていないことをする」ことです。僕が放送作家を始めた当時、SMクラブがはやっていたんです。でも、その割には実際に行ったことのある人がいない。ならば行ってやろう、と。翌日、みんなの前で「僕、昨日SMに行ってきたんです」と話したら「お前すげえな!」と、それまで僕に興味なかった大人たちが初めて僕の話を聞いてくれた。
鈴木おさむ 放送作家
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トップに躍り出ただなんて気持ちを、持ったことがなかった。自分以外に30%の視聴率をとる人間がいない、だなんて思いもつかなかった。レギュラー番組を一本持つことは誰にでも出来るだろう、と思ったから二本目を始めた。二本なら誰でも出来ると思って、三本目を始めた。三本だって…と思い、四本目に取り掛かろうとしたら「スケジュールがありません!」と止められた。そこで初めて、僕は高視聴率をとっているらしいと知ったの。取材やなんかで言われるからね。「視聴率30%をとる秘訣は何ですか」「視聴率100%男と呼ばれていますがどんな気持ちですか」って。
萩本欽一 コメディアン、タレント
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例えば、世の中に男が100人いるとしよう。多く見積もってもその中に天才は3人といないと思う。仮に3人として、庶民には4位になれる権利があると思え!
つんく ミュージシャン、音楽プロデューサー
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自分は病弱だったから、すべて人に任せました。結果的にはそれで人が育ち、事業が成功しました。病弱だったのは不運でしたが、結果的にはそれが幸運でした。
松下幸之助 パナソニック創業者
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天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。
立川談志 落語家
石橋貴明の他の名言
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「とんねるず」としてなら、何だって出来るんだけど、一人になると途端にね、石橋貴明に戻っちゃうんですよね。
石橋貴明
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当然のようにいろんな失敗は繰り返しているんですよ。「みなさん」でも何度叱られたことか。そのたびに偉い人が謝りに行ってね。でも多少の失敗は付いてくるもんだと思えば、あんまりそこで足元見ててもしょうがないし、下向いてても何も落ちてない。だったら、突き進んでいくしかないよね
石橋貴明
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笑いに関して、計算ずくかって言うと全部知ってるぞってものじゃないですから。くっだらねぇ部室笑いですから、俺ら。サッカー部と野球部の部室に面白いやつがいた、それで来てますから。ポリシーなんてないし。
石橋貴明
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僕はコツコツやるなんて大っ嫌いですけどね。でも、この不器用をどういう風に武器にするかは、自分次第ってところがある以上、やるしかないのかなと思ってます。まあ、必要以上にまではやらないですけど。
石橋貴明
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どんどんチャレンジして、どんどん色んな人に会って、ガンガンやるべきだと思う。
石橋貴明
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マッコイ斉藤が、俺があんまりにも暇してるんで、働け!って。ほぼほぼね、戦力外通告だから、もう。「最期の死に場所、俺が作ってやる」ってマッコイが言うから。それでYoutubeを始めたんです。
石橋貴明
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運は良かっただろうね。でもそれが永遠に続くとも思ってない。運なんて不確かなものでしょ。まだまだあると思えば「ここで終わりなの?」というのかもしれないし。「もうダメかな」と思えばずっと続いているのかも。
石橋貴明
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コンビを組んだ時には、歌をやるなんて思っていなかった。秋元さんに乗せられ、「一気!」とか「雨の西麻布」が当たり、次利さんと「ガラガラヘビ~」、「情けねえ」とかを作って。そうですね、「情けねえ」ぐらいですかね、武道館とかで歌ってる時は、ちょっと勘違いしてました。
石橋貴明
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その、「バッカだなー、あいつら!」っていうのがないと、オレは楽しくないの。それがいつも欲しいの。
石橋貴明
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踏ん張れるかどうかは、常日頃頑張ってるかどうかなの。
石橋貴明