出川哲朗

お笑い芸人

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出川哲朗の名言

出川哲朗の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 才能なんかなくても何やったって生きていけるよ!

  • 恥を恥と思ったことが1回もないんです。僕のような仕事の場合、「恥=おいしい」って考えちゃうんですよ。恥をかくことで成長できるし、覚えるし。過去にいっぱい恥をかいてきたから、こうして多くの方に応援してもらえるようになったと思っています

  • すべて笑いに変えちゃえば「人生OK」だと思うんです。恥をかいても落ち込むなんてことはないし、笑いに変えちゃえば楽ですね。

  • 外国で言葉がわからなくても伝えたい気持ちさえあれば、絶対伝わるんですよ。文法なんて関係ないし、「恥ずかしい」なんて1ミリも思わない。

  • 体を張って、みんなを笑わせていられたら、それが一番の幸せだと思う。もし10年後、汚いオヤジになっても熱湯やザリガニをやりたい。

  • 顔のいい男が綺麗な女を落とすのは当たり前。俺みたいなブサイクな男が綺麗な女を落としてこそ恋愛はなんぼ。

  • 「一生懸命頑張れば、誰かが見てくれている」。売れない頃から仲がいい松村君と酒を飲んでいると、昔からいつもこういう話になるんですよ。どちらからともなく、「お互い頑張ろうな。一生懸命頑張れば、絶対どこかで誰かが見てくれているから」と言い合うんです。

  • これまで出会った人を思い出しても、何の疑いもなく、「自分はできる、成功する」とピュアに思っている人が成功している気がしますね。

  • もう英語はハートがすべてなんで。文法なんて関係ないですね。ハートと単語と自分の思いをすべて伝えれば、絶対に通じるので。

  • 1ミリも自分が成功しないと思ってなかったんですよ。さんまさんみたいな天才的なトーク力もないし、松本さんみたいな、奇抜な発想で笑わせるとか、そんなこともできない。何もできないのに、「じゃあ、なんでそんな自信あるんですか?」って言われちゃうと、本当困っちゃうんですけど、「もう絶対成功するんだ」としか思ってなかったんで。

  • 俺に5年の時間をくれ! 頭出したる。俺に10年の時間をくれ!有名になったる。俺に20年の時間をくれ! 頂点取ったる。まあ見とけや!

    出典:  横浜放送映画専門学院でのスピーチ

  • 今の芸風を変えるつもりは1ミリもないです。これでやって笑ってもらえればいい

  • ちょっと偉そうですけど、日本人って、すぐに「失敗したらどうしよう」とか「しゃべれないことが恥ずかしい」とか思うようなところがあるじゃないですか。もちろんその奥ゆかしさが日本人のいいところでもあるんですけど、そう思うことがどれだけもったいないかということなんですよ。

  • 首以外の骨は全部折ってきた。

  • とにかく好きなことを見つけろ。そして、それだけをブレずに一生懸命頑張れ。

  • 昔から「芸はないし、容姿もこれだし、でも何とかなるだろう。芸能界で絶対に売れる」とも思っていました。この自信の根拠は、困っちゃうことに何もないんです。

  • この世界に入った人は分かると思うんですけど、学校で教わることなんて、まったく何の役にも立たない。ウッチャンナンチャンや劇団SHA・LA・LAのメンバーたちと出会えたので、あの学校に行って本当によかったなと思いますけど、映画学校で学んだことはなに一つない

  • 女性を口説くとき場所や「シュツエーション」なんか関係ない。自分が抱きしめたいと思ったとき、口説けばいい。俺は、そうしてきた・・・。

  • 僕はひたすら前だけを見ます。テレ東さんで春からやらせてもらっている「電動バイクで旅をする番組」でも、僕は「前に進んでいれば、何か起きてもどうにかなる」と思っているから「行ける所まで、とにかく行っちゃおう!」というノリです。

  • 気持ち悪い話だけど視聴者の方が「かわいい」なんて言ってくれるなんて昔なら考えられないですね。これが永遠に続いてほしいですね

  • やってる芸風は何一つ変えていない。別にこびているわけでもない。正直、高感度が高いって言われるのは不思議でしょうがないですね。イッテQの影響はデカいけど、やっていることはなんにも変えてないですからね。だから、ホントに世の中って勝手だなって思いますね

  • スタッフさんとしょっちゅう揉めています。怒るのはしょっちゅうですね。もともとリアクションなんて大嫌いだから、ジェットコースターとか大嫌いで、乗らされて面白がられてリアクション芸人になったんで、好きでリアクション芸人になったわけじゃないから、現場は毎回揉めますよね。スタッフさんとの戦いですね。

  • ベストジ-ニスト賞は美男美女が取るイメ-ジが強い。正直この賞と僕が交わることは永遠にないと思っていたのでリアルに驚いています

    解説:  ベストジ-ニスト2019発表会にて協議会選出部門で選出されて

  • 海外ロケに行くと、日本の留学生から「僕、出川さんのおかげで留学を決心したんです!」と言われることがあるんですよ。みんなが僕が出ているテレビを見て、「これだったら、俺でもいけんじゃね~の?」と思ってくれているみたいで。

  • 俺の昔の、あだ名を教えてやろうか・・・・・・切れたナイフだよ!

  • 遊ぶ時も、本気で遊ぶ。

  • 仕事はとにかく一生懸命に取り組むようにしていたからか、たくさんのお仕事を頂けるようになりました。周りの皆さんが僕を見て、「こいつ頑張ってんじゃん」と共感してくれているのかもしれませんね。

  • 僕が大御所だなんて1ミリも思ったことはない。理想は「永遠の若手芸人」。「おまえはバカだな」といじられて笑ってもらうのが好きなんで。

  • 30何年やってますけど、仕事に対する取り組み方は正直全然変わっていないですね。だから本当に面白いなと思いますよね。僕自身やってることは何も変わらないのに、それが今、皆さんがこれだけ応援してくれているのは、嬉しいし、ありがたいですけど、本当に不思議な感じですね。

  • ロマンチストロだから。

出川哲朗について

出川哲朗は日本のお笑い芸人。ドッキリや体を張った仕事を得意とするリアクション芸人で、テレビで長くバイプレイヤーとして活躍。2010年代後半に入ると、毒の強い笑いよりも人を傷つけない笑いを求める風潮と、自らのリアクションや言い間違いで笑いを取る出川哲朗のスタイルがマッチし、好感度が急上昇。冠番組が始まったり、CMへの出演が増えるなど今まで以上の活躍を見せた。主な出演番組に「世界の果てまでイッテQ!」、「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」などがある。

1964年(昭和39年)2月13日、神奈川県横浜市で生まれる。実家は老舗の海苔問屋「つた金海苔店」を営んでいた。高校卒業後、は高級料亭に就職する予定だったが、矢沢永吉の「成りあがり」を読んで「自分のやりたいことやってみよう」と思い直し、役者を目指して横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)に入学し。同級生に、後にお笑い芸人となる内村光良と南原清隆、俳優となる入江雅人がいた。卒業後の1985年に芸能界デビューし、当初は映画に端役で出演するなどしていた。1987年に内村、南原、入江らとともに劇団SHA・LA・LAを結成、出川哲朗は座長となった。1990年4月、既に人気者となっていた内村光良と南原清隆によるコンビ「ウッチャンナンチャン」と共演でテレビ番組「ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA」に出演。この頃からお笑いの仕事を中心に活動するようになった。そしてバラエティ番組「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」で披露したリアクション芸が評判となり、リアクション芸人として多くの番組に出演し始める。女性誌の「嫌いな男」「抱かれたくない男」ランキングで常に上位をキープするなど、タレントとしての好感度は高くなかったものの、バラエティ番組に欠かせないタレントとして長く活躍した。

2007年から出川哲朗は内村光良司会の旅バラエティ「世界の果てまでイッテQ」に出演。「世界の果てまでイッテQ」はトップクラスの視聴率を記録する人気バラエティ番組となり、出川哲朗のリアクション芸が脚光を浴びる。2010年代後半になると、人を傷つけない笑いを求めるバラエティ界のニーズに出川哲朗のキャラクターが適合し、「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」など冠番組も始まった。好感度も急上昇し、多数のCMにも出演を果たした。

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