美輪明宏

歌手、俳優、タレント

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

美輪明宏の名言

美輪明宏の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間は、一人ひとりが違っていて当たり前でしょう。この世の中で、同じ種類のものがありますか? 動物も植物も何もかもそう。どうして人間だけが、「同じでなきゃいけない」という考え方をするんでしょう。傲慢ですよ。

  • 白の白さを際立たせるには、その白のかたわらに黒い色のものを置けばよいのです。黒の黒さが深く、濃ければ濃いほど、黄なりの白さのものでも真っ白に見えるものなのです。黒は苦労です。苦労したことが多く、苦しみの深さが深ければ深いほど幸せが訪れたとき、それがどんなにささやかな幸せでも、大きな幸福感として満喫できるものなのです。

  • 幸せになるには、感謝することを探しなさい。歩けるでしょ、見えるでしょ、聞こえるでしょ、しゃべれるでしょ。それができない方はいっぱいいらっしゃるんです。

  • みんながブランドになる可能性をもっているのよ。自分がブランドになれば、ブランドものなんて邪魔でしょうがない。

  • 苦しめば、苦しんだ人ほど、それがたとえささやかでも幸せが訪れたときに、苦しまなかった人の何倍もの幸せ、充実感を大いなる幸福として感じることができます。

  • 人間はね、何度も死期に近づきながら生きています。普段、そのことを意識していないだけです。大地震に大災害、私たちの世代は戦争や原爆もありました。いつ死ぬかわからない。それを老年になったから死期が近づいたなんて、とんでもない。人間はいつでも、死と隣り合わせで生きているんです。

  • 苦しみを経験するから幸せの有り難みが分かる。苦しむことは幸せになるためのプロセス。

  • 恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの。

  • 孤独には孤独の素晴らしい良さもあります。孤独とはみじめでも哀れでもなく、「自分一人だけで充分満ち足りている、充足しているんです。ほかの人のお助けには及びません」という、毅然とした、誇り高い姿なのです。堂々としていればよろしいのです。

  • 人生は浪漫。自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる。

  • 白が幸福、黒が苦労とするならば、白の白さを際立たせるには、黒を隣に置いてみることです。

  • 叱ることと怒ることは違います。叱るとは怒りの感情を抑え、子供のためになることを子供が理解できる言い方で説得すること。子育てに必要なのは、愛情と理性。

  • 妄想しているだけならただの怠け者。浮かんだアイデアを書き留めて、面白く整理できれば妄想癖も才能になる。

  • お洒落とは「これでいいのよっ!!」と強烈な気迫でするもの。本当にお洒落な人は、自分自身がブランド。他人のブランドにしがみつく必要はない。

  • 人間いくつになっても新たな道へ踏み出す時が来る。それまでの苦労や人生体験はその時ための基本教育。

  • 昔は、結婚というものはハナから辛いものだと覚悟していた。今みたいに夢なんか抱いていなかった。花嫁は泣きながら嫁に行ったんです。だから僅かな幸せを喜べた。つまりマイナスから始まっていたのでちょっとしたプラスがすべて幸せになり、結婚も上手く行っていたんです。

  • 財産、知性、知名度…不完全な女ほど男に対する要求が多い。殿方は美しければ結構。そう言えるのが一流の女。

  • 誰かが今、悪い時のまっただ中にいるというのなら、私はこうお伝えしたい。「頭を低くして嵐が通りすぎるのをお待ちなさい」。そうすれば、いたずらに感情的になったり、悩んだり苦しんだり、酒を飲んだりする必要はありません。冷静でいられるはずです。

  • 世の中の人は願い事が叶うように何かとご先祖さまや神さまを拝んだり、占い師に頼ったりします。わざわざ遠くのパワースポットを訪れることもあるようです。まあ、それも悪くないかもしれませんが、もっと確実で身近なパワースポットに気付くべきです。自分自身の微笑みが、それです。

  • 私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、「自分の手や足を鏡に映して、よく見てみなさい」ということ。ずうずうしく、でんっと生き続けてきた自分の姿かそこにはある。ものはついでです。今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。

  • いつでもどこでも、いますぐ幸福になる方法、常に幸福感を味わえる方法はあります。それは簡単なことです。つまり、どんなことでも感謝することを自分の中に、まわりに探して見つけることです。「見える、ああありがたい」、「聞こえる、ああありがたい」、「手足が動く、雨露がしのげる天井や壁のあるところで寝起きができる、ああありがたい」、「着るものがある、食べ物がある、ああありがたい、幸福だなあ」と。

  • 努力しない人も平等になどと、そんなバカなことはありません。それこそ不平等です。努力した人もしない人も同じ収入で、同じ家に住んで、同じ洋服を着て、同じ食べ物を食べる。それでは正直者がバカを見ます。うらやましいのだったら、妬ましいのだったら、自分もそれ以上に努力すれば報われるのです。

  • どんな人でも、完全な人格者はこの世にはおりません。お互いの長所もあれば短所もあります。浅くさえ付きあっていれば長所の部分だけで付き合っていられるのです。嫌な部分はお互い見ない、見せないで平和に過ごせるのです。

  • 一番肝心なことは、悪いことが起きたからといって、嘆き悲しむことはないということです。悪いことは長く続きませんから。そのかわり、良いこともまた長くは続かない。だから、良いことがあったときには、施しをするなどして、そこそこの負を先回りして自分で意識してつくるとよいでしょう。そうすれば予期しない、ものすごい負に襲われなくてすむようになります。

  • 人間をみんな同じにしようというのは傲慢以外のなにものでもないし、いずれそういうものは滅びます。

  • 同性愛者だと公表する時、記者の方に「同性愛者なんて言っちゃ駄目だ、葬られますよ」と言われたけれど、「いいえ、書いてください。人を殺したわけでも物を盗んだわけでもありません。これは日本の古い歴史で文化ですよ」と答えました。

  • 若くして成功した人は苦労を知らないからのぼせ上がる。自分の価値基準と世間の価値基準がズレていることに気づかない。人生がうまくいっている時ほど自分の立場を冷静に判断して謙虚に行動することです。

  • どこの扉を叩いても開かない悪い時期っていうのは外へ向かおうとしてもドアが開かないから、じゃあどうすればいいのか、内に向かえっていう指令なんです。美・知識・教養・技術、そういう自分の財産を増やしておきなさい、そういう時期。

  • 理想を実現したければ与えられるのを待たないで、自分から動くこと。良き理解者と同じ理想を持つ仲間を作ること。

  • いつも素敵な音楽を聴いて、素敵な本を読んで、素敵な人と出会って、常にいいものに触れていると、その人が歩いているだけで自然にものすごいオーラが放たれているものです。

美輪明宏について

美輪明宏は長崎県出身のシャンソン歌手、俳優、タレント。本名の丸山明宏としてシャンソン歌手としてデビュー。美少年ぶりで人気となり、「メケメケ」「ヨイトマケの唄」をヒットさせる。その後俳優に挑戦し、主に舞台で活躍し女装で出演して話題となる。1971年に美輪明宏に改名。女装のキャラクターを活かしてテレビ番組のバラエティ番組にも進出。コンサート、舞台、テレビ番組などで幅広い活躍を見せる。同性愛者である事を公表している。

1935年(昭和10年)5月15日、長崎県長崎市で生まれる。実家は飲食業や金融業を営んでおり豊かな家庭だった。歌手を志した美輪明宏は1951年(昭和26年)、上京して国立音楽高校に入学する。しかし、帰省した際に父と仲違いし絶縁されてしまい、仕送りも止められたため音楽高校を中退。しばらくアルバイトをしていたが、シャンソン喫茶「銀巴里」が歌手を募集しているのを知り応募し、専属歌手となる。1957年(昭和32年)、フランスのシャンソン「メケ・メケ」の日本語カバーで本名の丸山明宏でレコードデビューし人気に。この頃、同性愛者であることを週刊誌で公表した。1965年(昭和40年)、美輪明宏の幼少時の友人の母を歌った「ヨイトマケの唄」を発表しヒットを飛ばす。

その後、美輪明宏は俳優の道に進み、舞台「黒蜥蜴」に女装で主演するなど俳優としても人気を得る。1970年(昭和45年)から25年にわたってTBSラジオ「ラジオ身の上相談」を担当。1971年(昭和46年)、「美輪」という名字を読経中に思い浮かび、姓名判断でも好結果だったため本名の丸山明宏から「美輪明宏」に改名。歌手活動、舞台、映画、テレビドラマ、テレビのバラエティ番組、ラジオ番組などで幅広く活躍。2010年(平成22年)スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞。2012年(平成24年)に美輪明宏はNHK紅白歌合戦に初出場し、「ヨイトマケの唄」を披露して話題となった。77歳での紅白初出場は市場最年長であった。

美輪明宏の名言を見ている方へお薦めする名言

美輪明宏の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。