高倉健
俳優
高倉健の名言
高倉健の過去の名言をまとめた名言集です。
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人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。
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一番大事な自分より、大事に思える人がいる。不思議ですね、人間って。
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何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている。
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人間が人間のことを想う、これ以上に美しいものはない。
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愛情の反対は無関心。関心があるということは愛情があるということ。
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スタッフや共演の方たちが寒い思いをしているのに、自分だけ、のんびりと火にあたっているわけにはいかない。
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いいか、監督がよーい、スタートと言ったら人生劇場を歌うんだ。
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気持ちは映らないっていうけど、でもやっぱり映るんですよ。どこかそういうのがあるんだよ。それがないやつはきっと、ちょっときらっと光らないんだよね。
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人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか。
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自分、不器用ですから。
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拍手されるより、拍手する方がずっと心が豊かになる。
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人生ってそれだけって気がします。泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり、すべてが出会いから起きていますよね。
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何色でもできますっていうカメレオンは、真の役者にはなれないんだよね。
出典: NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」
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籍が入ったとか入らないとか、子供を持ったとか持たないとか、そんなことよりも、悔いのない人に出会えたという記憶があるかないか、僕はそっちのほうがとっても大事だと思いますね。
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人間にとっていちばん寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間おしまいだと思うんですね。こんな淋しいことはないと思います。
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同じことを何度も演じろといわれても、できない。
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いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと。
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映画は国境を越え言葉を越えて、「生きる悲しみ」を希望や勇気に変えることができる力を秘めている。
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企画書を書く時間ももったいない。企画書は、議論のためのたたき台でしかない。「あのデータがほしい」「もっときれいに見せたい」と努力する余裕があるなら、不完全でもいいから外に出すべきだ。
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やっぱり切ない役をやりたい。たとえ一言も言わなくても、「切なさ」が出れば良い俳優なんじゃないですかね。
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演じるに当たっては役のイメージをあらかじめ決めず、徐々に固めていきます。だから、共演する人がものすごく大事というか、影響を受けますよね。
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ただ映画を撮ってお金をもらう生活というのが、とてもむなしく感じたんです。だから映画だけじゃない、CMも何もかも一切を断ったんです。
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自分がここで死ぬんだというところを早く見つけたい。
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問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。
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人生で大事なものはたったひとつ。心です。
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もう「八甲田山」みたいな映画は二度とできないですよね。撮影に3年もかかるような話は作ることができるわけがない。僕自身は酷い目に遭ったので、恨んでいますけど、あの作品に出演したから今の自分があるのかなと思ったりもします。「映画ってこういうことなのか」と体感した作品なので。
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やっぱり、察する文化っていいよ。戦後、はっきりとものを言うのがいいっていう時代があったんです。「いいことはいい」。そういうのを「格好いいなあ」と思う時代があったんだけど、今はそういう時代とは違ってきています。「そんなことはない、上品というのはこういうことだったんじゃないの」という時代がきているんじゃないかな。
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もちろん、学生時代の学問、そしてこの世界に入って演じた役柄とかから学んだことも多いですけど、大きな影響を受けたのはやはり人です。
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やっぱり出会う人でしょうね、一番大事なのは。どういう人に人生で出会うか。そこで決まるんじゃないですかね。やっぱり、いい人に出会うと、いろんなものをもらいますよね。
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おなごちゅうのは弱いもんなんじゃ。咲いた花のごと、弱いもんなんじゃ。男が守ってやらないけん。大事にしちゃらんといけん。
高倉健について
高倉健(タカクラ・ケン)は福岡県出身の映画俳優。オーディション「東映ニューフェース」に合格して映画俳優となり、当初は任侠映画を中心に活躍。「網走番外地」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズなどがヒットして人気俳優となる。その後、人間ドラマやアクション映画にも活躍の場を広げ、「君よ憤怒の河を渉れ」、「八甲田山」、「幸福の黄色いハンカチ」、「野性の証明」、「南極物語」、「ブラック・レイン」、「鉄道員」など数々の映画で印象的な演技を披露した。紫綬褒章、文化勲章受章。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を4回受賞。
1931年(昭和6年)2月16日、福岡県中間市に生まれる。父は日本海軍の軍人で、母は教員だった。東筑高校から明治大学商学部に入学。大学在学中に映画会社・東映のオーディション「東映ニューフェース」を経て第2期ニューフェースとして東映に映画俳優として入社。1956年(昭和31年)、高倉健は映画「電光空手打ち」に主演して映画デビュー。1965年(昭和40年)にスタートし主演を務めた「網走番外地」シリーズ(全18作)で人気俳優となった。その後「日本侠客伝」シリーズ、「昭和残侠伝」シリーズなどの任侠映画をヒットさせた。1976年(昭和51年)、高倉健は東映から独立。同年、東映退社後第一作「君よ憤怒の河を渉れ」に主演。同映画は日本のみならず中国でもヒットした。1977年には(昭和52年)「八甲田山」、「幸福の黄色いハンカチ」に主演。「幸せの黄色いハンカチ」で高倉健はアカデミー賞最優秀主演男優賞、キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。その後も「野性の証明」、「動乱」、「駅 STATION」、「南極物語」、「ブラック・レイン」、「あ、うん」、「鉄道員」など多数の映画で活躍。総映画出演本数は205本に及んだ。また、高倉健は1998年(平成10年)に紫綬褒章、2006年(平成18年)に文化功労者、2013年(平成25年)に文化勲章を受章。2014年(平成26年)、悪性リンパ腫により死去。享年83歳。
高倉健の名言を見ている方へお薦めする名言
高倉健の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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社会に住んでいるときは、仮面を被って、生きているんですよ。ずっと地で行っていたら疲れてしまう。仮面をかぶり、舞台を演じていていいと思う。ただ、それに自分が気づけているかどうかが、重要なんです。これは、本当の自分ではない、ってね。
出井伸之 元ソニーCEO、クオンタムリープ創業者
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人生はテニスのシングルスゲームと同じで、誰かが誰かを幸福にすることなどできない。他人にしてやれることなど何もない。他人を支配するのも無理だし、支配されることもできない。もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。
村上龍 小説家、脚本家
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人間の過ちこそ人間を本当に愛すべきものにする。
ゲーテ 詩人、劇作家、小説家
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互いに相違点があることは認めよう。たとえ今すぐ相違点を克服できないにしても、少なくとも多様性を認められるような世界を作る努力はできるはずだ。
ジョン・F・ケネディ アメリカ合衆国大統領
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気取らないこと。とにかく飾らない。自分を大きく見せようとする段階で人はうそをつくし、それはすぐに見破られるものですよ。
志村けん コメディアン
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人は皆、それぞれ違った魅力と才能を持っています。一人として同じではありません。だから特定の人を他人と比較してはなりません。
ジョセフ・マーフィー 著述家、宗教家
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短い人生の中で、最も楽しいことは、自分の心の波長と合う人との出会いです。
稲盛和夫 京セラ創業者
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人間関係は鏡のようなものです。相手のあなたに対する態度は、あなたの相手に対する態度そのものと考えてください。
ジョセフ・マーフィー 著述家、宗教家
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変な雰囲気ではなく、もっとシンプルに自分の気持ちを表現できる人間であれば、きっとほかの人も自分を理解してくれて、楽しい人生を送れるんではないかと思います。
西田敏行 俳優
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とにかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。
新渡戸稲造 教育者、思想家
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あなたは実際私がどのようであるかではなく、私がどのように見えるかということでしか私を知ることができない。
イマヌエル・カント 哲学者
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アーティストは、自らの感性や自己表現で作品を生み出して、それまで魅力が伝わってこなかったものを美にしてしまう“美の概念”を拡張した人だと思う。現代のように、先行きも不透明で混沌とした時代において、アートがもたらす美学は生きる上での道標にもなりうる。「美の基準」を変えると、人は合理的な判断ではなく、感情や本能で行動するんです。
猪子寿之 チームラボ創業者
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人を誘惑することのできないような者は、また人を救うこともできない。
キルケゴール 哲学者
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誰かに恋したならば、それは相手のせいだ。誰かを憎んだならば、それは自分のせいだ。
ゴッホ 画家
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一つの考えというものは正しいか正しくないかだけで評価できない。正しい考えであって、しかも一顧の価値さえないものあるし、間違っていても価値を認めないわけにはいかぬ考えというものがある。
志賀直哉 小説家