椎名林檎

歌手

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椎名林檎の名言

椎名林檎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

  • 私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるかこないかっていう、ただそれだけ。

  • 人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で「たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?」って思って、「どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?」と。

  • 女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。

  • 基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

  • 「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている。

  • 夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

  • 自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし。

  • 大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね。

  • アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れしていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

  • 死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。もしかしたら古くさいのかもしれないですけど。誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います。

  • 子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

  • 40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

  • かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。

  • 「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

  • 死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

  • 私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

  • 今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね。

  • 女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました。

  • 己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです。

  • 私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……。

  • 作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

  • 20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

  • 私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

  • やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

  • 多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

  • よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

  • 否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

  • 今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

  • 三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。

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椎名林檎について

椎名林檎(シイナ・リンゴ)は福岡県出身の歌手。シンガーソングライターとして活躍する一方、ロックバンド・東京事変のボーカルとしても活動。2枚目のシングル「歌舞伎町の女王」をきっかけに渋谷系ミュージックと対比して「新宿系」と呼ばれた。3枚目のシングル「ここでキスして。」もヒットし、デビューアルバム「無罪モラトリアム」は170万枚以上を売り上げる大ヒットアルバムとなった。2016年、リオデジャネイロオリンピック閉会式で東京へと五輪旗の授受を行うフラッグハンドオーバーセレモニーでで音楽監督を務めた。

1978年11月25日、埼玉県浦和市に生まれる。小学校6年生の時、父の仕事の関係で福岡に転居。中学校でバンドを始め、高校では軽音楽部に所属。高校2年の時、当時組んでいたバンド「Marvelous Marble」が「 TEENS' MUSIC FESTIVAL」で福岡地区1位、全国大会でも奨励賞を受賞。高校卒業後は音楽活動をしながらフリーターをしており1996年の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」でソロ歌手・椎名林檎として「ここでキスして。」を披露し、優秀賞を受賞。それがきっかけで音楽レーベル「東芝EMI」と契約。

1998年にシングルCD「幸福論」で「椎名林檎」としてデビューを果たす。2枚目のシングル「歌舞伎町の女王」は、渋谷系の音楽をもじって「新宿系」と呼ばれ話題に。翌1999年、3枚目のシングル「ここでキスして。」がヒットし人気に火が付き、ファーストアルバム「無罪モラトリアム」は170万枚以上を売り上げるなど椎名林檎はカリスマ的な人気を得た。さらに2000年発売のセカンド・アルバム「勝訴ストリップ」も250万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。2001年、椎名林檎は妊娠と結婚を発表し男児を出産。音楽活動を一時休止する。2002年早々に離婚し音楽活動にも復帰。2004年からはロックバンド「東京事変」のボーカルとしても活動。バンド活動、ソロ活動に加え、映画「さくらん」の音楽を担当するなど多彩な活動を展開。2012年、「東京事変」の解散を発表。2016年、リオデジャネイロオリンピック閉会式で、東京オリンピックへのフラッグハンドオーバーセレモニーで音楽を担当。2018年、椎名林檎作曲で宮本浩次とのカップリング曲「獣ゆく細道」が話題となった。2020年1月、東京事変が復活した。