忌野清志郎

ミュージシャン、ボーカリスト

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忌野清志郎の名言

忌野清志郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ?でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ。

  • それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ。

  • どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい?俺は主張できるよ。

  • ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

  • 人に言われて、いわゆる普通から浮いてるって言われても、自分が自分であることが普通だと10代、20代の若い頃は思ってたね。

  • 希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

  • 色んな人とコラボしてきましたけど、ほとんどはレコード会社が主導で、自分でやりたいって言ったのはないですね。プロはね、やれと言われたら、相当な理由がない限り断っちゃダメだと思うんですよ。言われた仕事とかね、行きたくないとかやりたくないとか言ったらプロじゃない。どんなことでも、それを楽しめなきゃ。

  • 負け戦かもしれない、それでもやっぱり、戦わないよりはよっぽど素晴らしいと思いますよ。

  • 大人がやっぱりもっと真面目になんないとダメだと思うんです。真剣に生きるっつーかねぇ。いい加減な大人が増えたんじゃないですかね。子供から見て大人が怖くもないし、尊敬もできないっていう。

  • ミュージシャンだけじゃなくて誰でも若い時は、自分の力で何か変えてやろうという気持ちで始めたと思うんですよ。たとえば、レコード会社の今のシステムを変えてやろうとか。でもだんだん成功するにつれ、どんどん体制側に取り込まれていくっつーか、普通になっちゃって。で、今度は何か新しいものに対して、昔自分がやられたようなことをやってるっていう。これが不思議ですよね。

  • 大人になったらつまんなくなっちゃうって若い頃は思いがちじゃないですか。大人になってくってのはすごく面白いことで、自分が楽しいことなんだってことを伝えたいです。

  • たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね。

  • ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ。

  • どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ。

  • 楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

  • ソロ活動もやってるんですけど、やってくうちに、だんだんバンドになってっちゃうんですね。自分の昔の曲をやるんでもね、その通りにはできないって言うか、その時組んでるバンド流にアレンジしないとしっくり来ないんです。

  • 親達や社会とかがどんな基準で言ってるのか分からない、イイ会社に勤めて、どうもよく分からない幸せな結婚とやらをして、平和な家庭を築いて、そして、いつか死んでゆく。そういう生き方を否定する権利はオレには無いけど、自分にはそういう考えが一切無かった。

  • 自分を信じて、自分が面白いっていう気持ちを大切にしてほしい。

  • もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。

  • 「ロック・ミュージシャンになりたい」なんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな100%反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

  • こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。

  • 腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

  • 昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

  • 何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない。

  • 周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

  • あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない。

  • 大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

  • 音楽やってデビューして、スターになってとか考えたこと無く、とにかく音楽をやっていれば幸せで、そうやって人生終わればいいなって、高校生の時は考えてたな。向こう見ずなのか、度胸があったのか。人間、やれば何とかなるんじゃないかな。まあ、やらないであれこれ言うヤツ、多いけどね。

  • 「日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだ」って言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

  • 地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。

忌野清志郎の名言を見ている方へお薦めする名言

忌野清志郎の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

忌野清志郎について

忌野清志郎(イマワノ・キヨシロウ)は東京都出身のミュージシャン。ロックバンド・RCサクセションを中心に活動し、パンクロック調の演奏スタイルが人気を呼んで、熱狂的な支持を集め後進のバンドにも影響を与えた。「ぼくの好きな先生」、「スローバラード」、「雨上がりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」などのヒット曲がある。社会問題や政治問題に取り組み、反原発を主張したアルバムや、君が代を編曲した楽曲が発売中止になるなどして世間を騒がせた。

1951年(昭和26年)4月2日、東京都中野区生まれ。生後すぐに一家は東京都国分寺市に引っ越し、国分寺市で育つ。東京都立日野高校を卒業後1970年(昭和45年)にバンドRCサクセションのボーカルとしてデビュー。デビュー曲は「宝くじは買わない」。デビュー当初はフォーク調の曲が多かった。デビュー後、ロック調の曲が増えていき1970年代後半からライブシーンで人気を集めるようになる。

1980年(昭和55年)にシングル「雨あがりの夜空に」と「トランジスタ・ラジオ」、アルバム「RHAPSODY」がヒット。忌野清志郎は新進ミュージシャンとして注目されるようになる。1982年、坂本龍一とのユニットでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発売。これ以降、RCサクセションとしての活動の傍ら、ソロミュージシャン忌野清志郎としての活動、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどの他バンドの活動も行うようになる。1991年(平成3年)、RCサクセションは活動を無期限休止。1995年(平成6年)、忌野清志郎は映画「119」に音楽監督として参加して日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。2006年喉頭ガンにかかったことを公表し、音楽活動を休止。2007年に復活するも再びがんにより2008年に活動を休止。2009年、癌性リンパ管症により死去。享年58歳。