井上靖

作家

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井上靖の名言

井上靖の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間の苦しみの中で、猜疑心という奴が一番苦しいものかな。火刑よりも苦しいかもしれないな。

  • 人間は自分が価値があると信じた仕事に全力を挙げて没入すべきであり、ただそうすることだけに価値があるのかもしれない。私は今日、人間の仕事というものについてそうした考えを持っている。

  • 私が一貫して描いてきたのは「仕事に没頭する人間の孤独」ですよ。

  • 夜毎、空には神秘な星の光が輝き、地上には正しく生きることを考え、悩みながら人間が生きている。

  • 女というものは、夫が何をしていてもいいんです。ただ、それに協力して、いつでも夫と一緒にいたいんです。愛情というものはそういうもの。

  • 大体、人間というヤツは、年齢をとるとロマンティックになるよ。若い者はロマンティックだなんて笑うが、あれは本当は嘘だ。若い時は、驚くほど現実的だよ。

  • 人間の幸せというものは、しみじみと、心の底から、ああ、いま、自分は生きているということを感じることだな。そうすれば、自分のまわりのものが、草でも、木でも、風でも、陽の光でも、みんな違ったものに見えて来る。

  • 人生は使い方によつては充分長いものであり、充分尊いものであり、充分美しいものである。

  • 万事、焦ることはない、ゆっくりやればいつか事は成る

  • 自分で歩き、自分で処理して行かねばならぬものが、人生というものであろう。

  • 何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方の中で、一番いいようだ。

  • 人間というものは、生きているということに多少の意義がないと、生きていけないものですよ。

  • 人間にできることは、ただ一つしかない。それは何かというと、出会いを大切にすることです。運命は人間の力でどうすることもできないが、その運命の出会いを大切にすることはできる。

  • 日本が国際化するために小説家として自分ができる国際貢献は、日本の本を世界の人々に読んでもらい、日本を理解してもらうこと。

  • すべての子供にとって父親というものは常に完全でなければならぬもので、ここに子供と父親の悲劇の根源はあるようである。

  • 本当のことを言うことで、本当のことを言う相手を持つことで、お前はこの世に生きて来たことを肯定しようとしている。自分の人生に意義を見出そうとしている。

  • 人間は、何か目当てがないと生きて行けないのだ。

  • 地球上で二人が顔を合わせたら、そこには一つの約束がある。何だといったら相手の立場に立って物を考えよう。「仁」ですね。いわゆる思いやりです。

  • これまでとまったく違った新しい人生というのは、十五年ぐらいかけてチャレンジすると、かなり達成できるものなんですよ。

  • これから何年、何十年生きても、おそらく人生というものなどわかりっこないに違いない。ただ、そうした分からない人生というものの終局点に立ったとき、人生を肯定する立場に立っていたい。

  • 天はわれわれを助けてくれない。

  • 自分が歩んできた過去を振り返ってみると、何とたくさんの素晴らしい一生に一度の出会いがあることか。

  • 女は美しく装うことによって、自分以上の力を持つものでございます。女というものを、神様はそのようにお造りになっていらっしゃいます。

  • 旅から苦難が消えてしまったといっしょに、旅情の宝石もまた消えてしまったのである。

  • 女は好きな人と結婚しなけりゃだめよ。好きな人だったら、その人のために、どんな苦労したって、後悔しないと思うの。お金も、地位も何も要らない。大切なのはその人が好きだってことね。

  • 愛というものは執着だ。

  • 年齢というものには、元来意味はありませんよ。これは私の持論なんですが、若い生活をしている者は若い。老いた生活をしている者は老いている。

  • 現在、君はもう、昨日までとは違った新しい現実の上に立っている。前穂の氷の壁よりも、もっと冷酷な地盤に立っている。よく覚悟しておくことだ。

  • 若い人たちはもっと積極的に一期一会の精神を、日々の生活の中に生かすべきである。

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井上靖の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

井上靖について

井上靖は毎日新聞社に勤務する傍ら小説を執筆し、「闘牛」で芥川賞を受賞した小説家。毎日新聞を退職後は主に新聞紙上で連載小説を発表。代表作に「闘牛」、「あすなろ物語」、「風林火山」、「氷壁」、「天平の甍」、「敦煌」など。日本芸術院会員・日本ペンクラブ会長・日中文化交流協会会長。1976年(昭和51年)文化勲章受賞

1936年(明治40年)北海道旭川市に生まれた。井上家は代々続く医者の家系で、井上靖の父も軍医だった。生誕の翌年に父が韓国に従軍したため母の故郷である静岡県伊豆市に転居。1930年(昭和5年)九州帝国大学文学部に入学したが、福田正夫主宰の同人誌「焔」に参加するために上京。1932年(昭和7年)京都帝国大学哲学科に入学する。京大在学中に井上靖は同人誌「聖餐」を発刊。大学卒業後の1936年(明治14年)「サンデー毎日」の小説懸賞に「流転」が入選した縁で毎日新聞に入社し、学芸部に配属。1950年(昭和25年)「闘牛」で第22回芥川賞受賞。翌年、井上靖は毎日新聞を退社し、執筆活動に専念する。退職後は「あした来る人」、「氷壁」などの新聞小説に加え、「風林火山」、「真田軍記」、「淀どの日記」などの日本の歴史小説、「敦煌」、「楼蘭」、「蒼き狼」といった中国やモンゴルなど題材にした歴史小説などへも創作の幅を広げていった。1964年(昭和39年)から日本芸術院会員。1976年(昭和51年)文化勲章受章。1981年(昭和56)年から5年間日本ペンクラブ会長。1991年(平成3年)井上靖は急性肺炎のため死去。享年83歳。