司馬遼太郎

小説家

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司馬遼太郎の名言

司馬遼太郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

  • 通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。

  • 日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。

  • イデオロギーというものは宗教と同様それ自体が虚構であることを思わねばならない。虚構はその虚構に人が酩酊するときしか実在しない。

  • 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようには作られていない。

    出典:  司馬遼太郎「21世紀に生きる君たちへ」

  • ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない。

  • 古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。

  • 人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

  • 人間はもっとも崇高なものに騙されないと幸せになれないという厄介な生きものではないか。

  • 心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、それはもう、話すにも値しない人間のヒモノですね。

  • 食が英雄を成立させた。不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった。

  • 人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。

  • 人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい。

  • 男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。

  • わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

  • 人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。

  • 男が自分の技量に自信をもったときの美しさというものは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻持ちならなくなる。

  • 自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、頼もしい君たちになっていくのである。

    出典:  司馬遼太郎「21世紀に生きる君たちへ」

  • 日本の昭和の半世紀というものは、変化のすさまじさという点で、人類史上、どの人類も経験しなかったものではないか。

  • 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。――自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。

  • 自分の防衛に汲々としているようなことでは、大事が成せるか。

  • 心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。その気になって背負えば、日本などは軽いものだ。いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い。

  • 人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。

  • 志を持って天下に働きかけようとするほどの者は、自分の死骸が溝っぷちに捨てられている情景をつねに覚悟せよ。勇気ある者は自分の首が無くなっている情景をつねに忘れるな。そうでなければ、男子の自由は得られん。

  • 人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならん。

  • ともかく若い間は、行動することだ。めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。

  • 議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬ。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。

  • 人の諸々の愚の第一は他人に完全を求めるということだ。

  • 楽天家たちは、時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

  • 人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるバネになる。

司馬遼太郎について

司馬遼太郎は歴史小説の大家として知られる小説家。膨大な資料に裏打ちされた高い実証性の一方、娯楽性も備えた歴史小説で国民的な人気作家となった。最も売れた「竜馬がゆく」は2,500万部を超えるとされ。全作品の総発行部数は、正確な数字はないが1億5千部前後ではないかと言われている。

1923年(大正12年)大阪府大阪市浪速区生まれ。1941年大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)に入学。在学中、第2次世界大戦の学徒出陣により大学を卒業し日本軍に入隊し、満州や栃木県佐野市に配属された。終戦後の1946年司馬遼太郎は新日本新聞社に入社するが、入社後二年で倒産。同年産経新聞社に転職する。新聞記者として働きながら文筆活動を行い、1956年短編小説「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞を受賞。1960年に司馬遼太郎は「梟の城」で直木賞を受賞。翌年産経新聞社を退社。

専業小説家となった司馬遼太郎は「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、「翔ぶが如く」、「国盗り物語」などを発表し、驚異的な売上を記録、NHK大河ドラマでもたびたび原作となった。司馬遼太郎の小説は、執筆にあたって膨大な歴史資料を読み込むと言われていたこと、非常に多くの人に読まれた歴史小説であることにより、小説をそのまま史実として受け止める者もおり、日本人の歴史観に多大なる影響を与えた。しかし一方で、一部の内容が史実と異なるのではないかとの批判の声もあり、たびたび論争となってきた。1993年文化勲章受賞。1996年腹部大動脈瘤破裂のため死去。享年72歳。

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