横光利一

小説家

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横光利一の名言

横光利一の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 虚無へ行きつくまでの行為はすべて悪であり、虚無より這い出る行為はすべて善である。

    出典:  横光利一 「覚書」

  • いかなるものといえども、必ず急所を持つものだ。急所を見分け得る者は成功する。

    解説:  いかなるものとは「いかなる者」、「いかなる物」両方を意味している。人であっても物であっても、相手の弱点、あるいは物の要所をつかめば、自ずと物事の進め方がわかってくる。人でも物でもポイントを押さえることが大切。

  • 人の場合は相手の弱点、物の場合は要所をつかむことそうすることによってこちらがどうすれば良いかわかってきます。

  • 世界のどこかに自分の子供があるということは、全く捨て置き難い。この地を愛せずしてなるものか。

  • 愛という曲者にとりつかれたが最後、実にみじめだ。なぜかというと、我々はその報酬を常に計算するからだ。

横光利一の名言を見ている方へお薦めする名言

横光利一の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

横光利一について

横山利一は大正から昭和初期に活躍した小説家。川端康成らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の中心的存在と言われる。代表作に「頭ならびに腹」「上海」、「機械」、「寝園」、「紋章」など。

1898年(明治31年)福島県生まれ。早稲田大学入学後、文学にのめり込み、文学雑誌に小説を投稿し始めた。そんな中、文学仲間で親友の佐藤一英が雑誌新潮の「菊池寛氏に対する公開状」を公募に入選したのをきっかけに横山利一は菊池寛を紹介される。これ以降親交を続け、横山利一は菊池を師として仰ぐようになる。

1923年(大正12年)菊池寛が雑誌「文藝春秋」を創刊すると、横山利一はこれに参加し編集人となるとともに「蝿」を発表。文藝春秋は人気雑誌となり横山利一も世間に知られるようになった。1924年川端康成ら、文藝春秋に参加した新進作家とともに「文藝時代」を創刊し同誌上で「頭ならびに腹」を発表。評論家の千葉亀雄が同人の言語感覚の新しさに注目して「新感覚派の誕生」と評論。横山利一を含め文藝時代に参加した作家たちは新感覚派と呼ばれるようになる。以降「上海」、「機械」、「寝園」、「紋章」などを発表。1947年(昭和22年)急性腹膜炎により死去。享年49歳。