国木田独歩

小説家、詩人

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国木田独歩の名言

国木田独歩の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 実行せざる思いつきは空想と称し、また妄想と称す。

    出典:  国木田独歩「欺かざるの記」

  • 朝日が波を躍出るような元気を人はいつも持っていなければならぬ。

  • 人生は戦場なり。何物、何事、何人に対しても仇討ちの覚悟をもって戦うべし。死すとも勝つの覚悟あれ。

  • 女は三ヶ月経つと飽きてしまう。夫婦なら仕方ないからくっついているが、あくびをかみ殺してその日を送っているにすぎない。

  • 第三者の目より恋をする男女を見れば、ひとつの痴態にすぎず、されど恋する男女にとりては、その痴態も真剣なり、真面目なり。

  • 人は人以上の者になることはできない、しかし人は人以上の能力の全部を尽くすべき義務を持っている。この義務を尽くせばすなわち英雄である。

  • 男女相愛にして肉欲に至るは自然である。肉交なき恋は、事実にあらずして空想なり。

  • 恋は多くの人生の苦痛を包むオブラートなり。

  • 恋はあくまで純潔なるべし。高尚なるべし。堅固なるべし。大胆なるべし。この四徳の一を欠くべからず。

  • 人間一生、いやしくも命のある間は遊んで暮らす法はない。

  • 人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、即ちその人は真の幸福な人といい得る。

  • 品性の美はすべての美中の最美なものである。

  • 僕は時間の長短が人の真の交わりに関係するとは信じない。

  • 忍耐と勤勉と希望と満足とは境遇に勝つものなり

  • 富と功名!これ実に誘惑なり。吾は日々この誘惑に出あう。

  • 友を得るには急なるなかれ。親友は自然に得るものなり。

  • 自分を生んだから自分の母だ、母だから自分を育てたのだ。そこで親子の情があれば真実の親子であるが、無ければ他人だ。

  • 読書を廃す、これ自殺なり。

  • 武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方向へ行けば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。

    出典:  国木田独歩「武蔵野」

  • 色々なことを考へて久しぶりで自己の存在を自覚したやうな気がする。これは全く孤独のお陰だらうと思ふ。

    出典:  国木田独歩「定本 国木田独歩全集 第四巻・都の友へ、B生より」

国木田独歩の名言を見ている方へお薦めする名言

国木田独歩の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

国木田独歩について

国木田独歩は明治期に活躍した小説家、詩人。田山花袋、柳田國男らの詩人と交流し、「独歩吟」などの詩を発表。のちに小説に傾倒し、「武蔵野」、「忘れ得ぬ人々」などの作品を残した。雑誌「婦人画報」の創設者でもある。

1871(明治4年)千葉県銚子に産まれる。本名は国木田哲夫父は明治新政府の役人・国木田貞臣。1876年(明治9年)父・貞臣が山口裁判所への転勤により山口に移り住む。1887年(明治20年)山口中学校を退学して上京。1888年(明治21年)東京専門学校(現・早稲田大学)英語普通科に入学すると、「青年思海」「女学雑誌」などの雑誌に投稿。学校への不満から大学を退学。1891年(明治24年)国木田独歩は地元山口に帰って英学塾を開くも、翌年には再び上京して詩人としての文学活動を行う。さらに大分に移って約1年間教師として働く。1894年(明治27年)国木田独歩は民友社に入り国民新聞の記者となる。日清戦争では従軍記者として現地から情報を送った。1896年(明治29年)ころから作家活動に専念し、田山花袋、柳田國男らと知り合い、1897年(明治30年)「国民之友」に「独歩吟」を掲載。同年国木田独歩は処女小説「源叔父」を発表。その後はおもに小説を書き、「武蔵野」、「忘れえぬ人々」、「牛肉と馬鈴薯」、「春の鳥」、「竹の木戸」などの作品を残す。1908年(明治41年)国木田独歩は結核のため死去。享年36歳。