山本周五郎

小説家

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

山本周五郎の名言

山本周五郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできない。

  • 人間、本当に生きようと思って、実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、金というものは付随的についてくるものです。

  • 能ある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、目に見えない力を貸している。

  • この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。短い一生なんだ、自分の生きたいように生きるほうがいい。

  • 人間はたいてい自己中心に生きるものだ、けれども世間の外で生きることはできない。

  • 人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。

  • この世には、おのれと同じ人間はいない、…人はみな、誰にも理解されない絵を、心の中に持っているのではないか。

  • 情事とはお互いがお互いの中に快楽を認めあうことだろう。与えることと受け止めることのよろこびではないか。

    出典:  山本周五郎「おさん」

  • 己をなくしてはならぬ人物まで鍛えることもまた重要な事なのだ、そして現代青年にもっとも望むべきはこの一点であろう。

    出典:  山本周五郎「抵抗小説集」

  • どんなに重大だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです。

  • 夢のゆきついたところに結婚があるのではなくて、結婚から夢の実現がはじまるのです。

  • 苦しいときほど人間がもっとも人間らしくなるときはない。

  • この世で経験することは、なに一つ空しいものはない。歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。

  • 過ちを犯す人間は、たいてい責任を人になすりつけるものだ。

  • この人生には、無数の教訓がちりばめられている。しかしどの一つとってみても、万人にあてはまるものはない。それを教訓にするかどうかは、君自身の選択にかかっている。

    出典:  山本周五郎「泣き言はいわない」

  • 人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。

  • 人間が本気でやることはそのままで立派だ

  • 人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる。

  • よしよし、眠れるうちに眠っておけ。明日はまた踏んだり蹴ったりされ、くやし泣きをしなくちゃあならないんだ。

  • 心に傷をもたない人間がつまらないように、あやまちのない人生は味気ないものだ。

  • 目的を定めて事を起こすとき大切なことは、目的が達せられるかという結果ではなく、目的を達成するために努力する過程である。

  • 人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると、大体ものになるものだ。

  • なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい。

  • 人の一生は曲がり角だらけだ

  • 一度本音を吐いてしまえば人間案外肝が据わる。

    出典:  山本周五郎「夜明けの辻」

  • 人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります。どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません。現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう。まあ焦らずに悠くり構えるんですね。こんな暮らしの中にもまた味のあるものですよ。

  • ある意図によって操作されたものは、たいてい他の意図によって潰される。

  • 一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるしそれよりも、一歩、一歩を慥かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。

  • 勤労の裏づけのない富は人間を誤る。

  • 幸運を望む男よ、お前が三つしか事を為さないのに十の結果を望んでいる間は、幸運は来はしない。幸運を望む男よ、お前が二つ結果を得る為に、十の事を為したら必ず、幸運は来るぞ。

山本周五郎の名言を見ている方へお薦めする名言

山本周五郎の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

山本周五郎について

山本周五郎は昭和に活躍した小説家。主に時代小説を書き、庶民や名も無き武士を主人公としたり、歴史に埋もれた人物や事件にスポットライトを当てるなど、時代の傍流で苦闘する人々を描くのが山本周五郎小説の特徴である。

1903年山梨県生まれ。1924年21歳で帝国興信所(現:帝国データバンク)に入社。同社に勤務しながら小説を投稿していたが、勤務状況が良くないとの理由で1928年(昭和3年)解雇される。それから山本周五郎は大衆雑誌「キング」に大衆時代小説を掲載するようになり、さらに「婦人倶楽部」、「少年倶楽部」などの雑誌でも小説を発表するようになる。1942年(昭和17年)婦人倶楽部に「日本婦道記」が掲載され人気を集める。同作は翌年直木賞受賞が決定していたが、山本周五郎は受賞を辞退している。1954年から日本経済新聞で「樅ノ木は残った」を連載。江戸時代に仙台藩伊達家で起こったお家騒動を描く内容で、映画化もされ、NHK大河ドラマなど度々テレビドラマ化もされている。1958年「オール讀物」で赤ひげ診療譚を連載。江戸時代中期の小石川養生所の医師を描いたヒューマンストーリーで黒澤明監督の映画「赤ひげ」の原作。1962年「季節のない街」、1963年「さぶ」、1966年「ながい坂」を発表。1967年肝炎のため死去。享年64歳。1988年、新潮社の後援で優れた大衆文学・時代小説に送られる山本周五郎賞が創設された。