灰谷健次郎

児童文学作家

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灰谷健次郎の名言

灰谷健次郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 悪漢をやっつけて喜ぶのはテレビや映画の観客だけ。そんな感情は、人生には何の役にも立てへんねん。

  • 人に好き嫌いがあるのは仕方がないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。

    出典:  「天の瞳」

  • 知らなくてはならないことを、 知らないで過ごしてしまような、 勇気のない人間になりたくない。

  • 人間の優しさや楽天性の通らない社会は、何処かに大きな病巣を抱えているものだ。 人間の犯す罪の中で最も大きな罪悪は、人が人の優しさや楽天性を、土足で踏みにじることだろう。

  • 自分の方に理があると思っているときほど、よく考えて行動しなくちゃいけない。居場所のなくなった相手に、自分の方に理があるからと言って、一方的に攻め立てるのは、本当に勇気のある人がすることなの?

  • 人は悪いこともして人間になる、とでも言うんかな。自分の欲望に負け、みっともないことをして自分を知る。そういうこともあるやろ。

    出典:  「天の瞳」

  • 知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまような、勇気のない人間になりたくない。

  • 自分にカッコ悪い、というのが一番大事や。人の目なんかは、本当はどうでもええんや。カッコつける、というのは人の目を意識しての行動やろ。そこらあたりをうろちょろしてる奴は、スケールが小さい。自分に対して恥ずかしいかどうかを考えられる奴が大物や。

  • 人の仕事はこれまで、色々学ばせてもらったことへのお礼。いつも人の役に立っているという、心棒がなければそれは仕事ではない。

  • 出合いを大切にすると、見えなかったものが見えてくる。好き嫌いが激しいと、せっかくの出合いを遠ざけてしまい、見えるものまで見えなくなってしまう。

  • 負けず嫌いもいいけど、度を越すと性格歪むよ。

  • 神様が、人間に授けてくれた記憶という宝物は、つまらんことを覚えるためにあるわけじゃない。自分につながった人間の魂を、いついつまでも覚えていて、その人を生かしておくためにある。死んだ人を生かし続けるのは、たぶん人間だけじゃろ。

  • 強いものは、柔らかくて優しい。

  • 仕事が深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。

  • 人は時に憎むことも必要な場合もあるのでしょうけれど、憎しみや怒りにまかせて行動すると、その大事なところのものが吹っ飛んでしまうのが怖い。憎しみで人に接していると、人相が悪くなるわ。正義もけっこうだけど、人相の悪い人を友達に持ちたくない。

  • 力が強くても正しくなければ、それは暴力と同じです。悪い人が暴力を振るっても、すぐにやり返して傷つけたりせず、正しいことを教えるのも、愛のひとつです。

    出典:  「天の瞳」

  • あなたの知らないところにいろいろな人生がある。あなたの人生がかけがえのないように
    あなたの知らない人生もまたかけがえがない。
    人を愛するということは知らない人生を知るということだ。

    出典:  灰谷健次郎「ひとりぼっちの動物園」

  • 生身のじいちゃんはやがてこの世から消えていくが、おまえの心に宿っているじいちゃんは、いつまでも生き続けるわい。

  • 自分の子どもの行動を、他人や友達のせいにするような 薄汚い親だけにはならんとこ。

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灰谷健次郎について

灰谷健次郎は「兎の眼」、「太陽の子」で知られる児童文学作家。もともとは小学校教師として17年間働いており、その傍ら児童詩誌「きりん」に携わっていた。退職してアジア各地を放浪したのちに小説家デビューした。

1934年(昭和9年)神戸市生まれ。生家は貧しく、定時制高校を経て大阪教育大学学芸学部卒業、地元で小学校教師となる。小学校で働く傍ら終戦後に大阪で発行された児童雑誌「きりん」にも関わっていた。1962年、灰谷健次郎は文芸雑誌「新潮」に「笑いの影」を掲載。「笑いの影」は被差別部落出身の中学生が暴力、強姦などをはたらくという内容で、灰谷健次郎は部落解放同盟から批判を受けた。小学校教師としては1971年まで17年間働き、1974年「兎の眼」で小説家デビューした。「兎の眼」はいきなりミリオンセラーとなる成功を収めた。以降「太陽の子」、「ひとりぼっちの動物園」、「子どもの隣り」、「天の瞳」、「ろくべえまってろよ」などを発表。1997年(平成9年)神戸連続児童殺傷事件において、新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が加害者少年の写真を掲載したことに対し、灰谷健次郎は抗議。新潮社が出版していた灰谷健次郎自身の著作の版権を全て引き上げ、新潮社と絶縁状態となった。2006年(平成18年)食道がんのため死去。享年72歳。