萩原朔太郎
詩人
萩原朔太郎の名言
萩原朔太郎の過去の名言をまとめた名言集です。
-
幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。
出典: 萩原朔太郎「絶望の逃走」
-
愛は、その愛するものを独占しようと願っている。しかしながら、愛はそれに成功してしまった後では、競争もなく、嫉妬もなく、退屈でさめやすいものに変わってくる。
出典: 萩原朔太郎「虚妄の正義」
-
人は新しく生きるために、たえず告別せねばならない。すべての古き親しき知己から、環境から、思想から、習慣から。
-
人生ではアマチュアであることが、また1つの職業である。
-
崇高な不徳は賛美される。だが卑陋(ひろう)なけち臭い者共は、どんな事情においても許されない。
出典: 萩原朔太郎「虚妄の正義」
-
すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る。
出典: 萩原朔太郎 「新しき欲情 情調哲学」
-
人は新しく生きるために、絶えず告別せねばならない。すべての古き親しき知己から、環境から、思想から、習慣から。
-
社交の秘訣は真実を語らないということではない。真実を語ることによってさえも、相手を怒らせないようにすることの技術である。
出典: 萩原朔太郎「港にて」
-
非常な善人と、非常な悪人とは、感じがほとんど同じです。
-
結婚の利益は、女性の本質を知ることであり、結婚の損失は、女性への幻滅を知ることである。
-
「真面目になる」ということは、しばしば「憂鬱になる」ということの外の、何のいい意味でもありはしない。
-
最も親しき友人というものは、常に兄弟のように退屈である。
-
懺悔者の背後には美麗な極光がある。
-
もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。
-
羞恥心は塩のようなものである。それは微妙な問題に味を付け、情緒をひとしお深くする。
-
自由とは、自分が「自由である」と信ずるところの、一つの幻覚にすぎないのである。
出典: 萩原朔太郎「虚妄の正義」
-
音楽の演奏者や、劇の俳優たちは技術家である。彼らは芸術家ではない。なぜといって彼らは真の「創作」を持っていないじゃないか。
出典: 萩原朔太郎「新しき欲情」
-
すべての場合を通じて、恋愛は忍耐である。
-
男と女とが互いに相手を箒とし、味噌漉しとし、乳母車とし、貯金箱とし、ミシン機械とし、日曜の勝手道具と考える時、もはや必要から別れがたく、夫婦の実の愛情が生ずるのである。
-
五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。
-
愛を求める心は、悲しい長い疲れの後にきたる。それはなつかしい、大きな海のような感情である。
-
どんな妻たちも、決して夫のためには化粧しない。
-
ああ婦人は窓にふる雨の点々、しめやかな音楽のめじろいのようなものだ。
-
我々の子供は、我々の中での原始人である。
-
おもうに人間の感情というものは、極めて単純であって、同時に極めて複雑したものである。
-
全てのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う。
-
詩は悦ばしいものであるけれど、詩を求める人生は幸福ではない。
-
酒は文明に対する一つの風刺である。
-
雑婚から一夫一妻制度へ。一夫一妻から多夫多妻制度へ。時代はかく必然に推移して行く。
出典: 萩原朔太郎「虚妄の正義」
萩原朔太郎の名言を見ている方へお薦めする名言
萩原朔太郎の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
-
戦争が終わって、人は自由になった。だけど、自由になった個人は、自由になった自分にものすごい不安を抱いている。なんでも自由にやっていいんだよと言われた途端に、自分が何をしたらいいかわからなくなってしまった。だから、誰でもいいからリーダーを探してくっついていこうとしたり、なんとしてでも友達の輪の中に入れてもらおうとする。
北野武 お笑い芸人、映画監督
-
何もいらない。今の私に必要なのは思い出だけだ。それは持っている。
星新一 小説家
-
信用したり期待しなければ裏切られることもないのです。それを頭に入れておくと、意外と対人関係は楽になります。
美輪明宏 歌手、俳優、タレント
-
自分も犯したことのある過ちなら、人が犯しても好感をいだくものだ。
ゲーテ 詩人、劇作家、小説家
-
ホントに羽を伸ばして生きていけるなって思えるのは、親が死んだときだと思う。
マツコ・デラックス タレント
-
人生の目的は死なないこと。
蛭子能収 漫画家、タレント
-
人身を以て之れを言へば、則ち気を神と為して精を鬼と為す。
朱子 儒学者
-
成功には嫉妬が伴い、成功者の多くは老獪と目されやすい。地位と名誉には、それぞれ付随する慎みがあることを忘れてはならぬ。
渋沢栄一 実業家、官僚
-
わずか一言でも悪く受け取られると、十年の功績も忘れられてしまう。
モンテーニュ 哲学者
-
「みなさんのおかげでした」もう一度やりたいという気持ちはないんです。時代はやっぱり進んでいくし、それはしょうがないこと。終わった時に思いましたけど、やっぱ永遠はないんだなって。
石橋貴明 お笑いタレント
-
天才とは、わずかに我々と一歩を隔てた者のことである。天才の悲劇は、こじんまりとした居心地の良い名声を与えられることである。
芥川龍之介 作家
-
信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります。
村上春樹 小説家
-
私の無意味さを許して下さい。私も意味があると思って話す無意味な人たちを許しているのですから。
ロバート・フロスト 詩人
-
私の前を歩かないでください。後についていかないかもしれません。私の後ろを歩かないでください。先に立って導かないかもしれません。私と並んで歩いてください。そして私の友でいてください。
アルベール・カミュ フランスの小説家
-
私が結果を出し始めた頃、「野村の技は天才的だ」といわれました。けれども中学、高校時代は、背が低くて体重も軽く、必死に練習してもなかなか結果は出なかったのです。
野村忠宏 柔道家
萩原朔太郎について
大正時代から昭和初期にかけて活躍した詩人。新しい感覚の口語詩を創作し、「近代叙事詩の頂点」、「日本近代詩の父」などと言われる。代表作に「月に吠える」、「青猫」、「純情小曲集、「氷島」、「猫町」など。
1886年(明治19年)群馬県に開業医の長男として誕生。群馬県前橋中学校入学後、短歌に興味を持ち従兄弟の萩原栄次に短歌を教わる。1902年16歳のとき文芸誌「新声」の上毛誌友会に出席、中学校校友会誌「坂東太郎」に短歌5首を発表。さらに「文庫」「明星」「スバル」「朱欒」等文芸誌に短歌を発表するなど、短歌の創作活動に励むようになる。1907年第六高等学校に入学したが、1910年退学。1911年慶應義塾大学部予科に入学するも、同年に退学している。1913年(大正2年)歌集『ソライロノハナ』を製作。北原白秋主宰の雑誌「朱欒」に「みちゆき」ほか詩6篇が掲載され、詩壇で知られる存在となり、「詩歌」「創作」「異端」「アララギ」「鈴蘭」「風景」「地上巡礼」に盛んに詩を発表するようになる。1917年(大正6年)最初の詩集となる「月に吠える」を発表。1923年(大正12年)詩集「青猫」1925(大正14年)年詩集「純情小曲集」を立て続けに発表。この後、三好達治、堀辰雄、梶井基次郎などの書生や門人を多く迎え入れるようになった。1934年(昭和9年)詩集「氷島」を発表。同年明治大学文芸科講師となる。同年には小説「猫町」も発表している。1939年急性肺炎により死去。享年55歳。