芥川龍之介

作家

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芥川龍之介の名言

芥川龍之介の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 他をあざけるものは同時にまたほかにあざけられることを恐れるものである。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉」

  • 創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命にまかせるより仕方はない。

  • 成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少なくとも成すに足ることを欲するのは。

  • 人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

  • 懐疑主義者もひとつの信念の上に、疑うことを疑わぬという信念の上に立つものである。

  • 運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉」

  • 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

    出典:  芥川龍之介「河童」

  • 世論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。

  • 古来政治的天才とは民衆の意思を彼自身の意思とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは彼自身の意思を民衆の意思とするもののことをいうのである。

  • 我々を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我々はほとんど損害のほかに、何の恩恵にも浴していない。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」

  • 道徳の与へたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与へたる損害は完全なる良心の麻痺である。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉」

  • 強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものはつねに強弱の中間者である。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉」

  • 自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。

  • 人間は時として、満たされるか満たされないか、わからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。

  • 民衆を支配するためには大義の仮面を用いなければならぬ。しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。

  • 最も賢い処世術は社会的因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習を少しも破らない生活をすることである。

    出典:  芥川龍之介「河童」

  • 我々の内部に生きるものを信じようではないか。そうして、その信ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。

  • 必要な思想は三千年前に尽きたかもしれない。我々はただ古い薪に新しい炎を加えるだけであろう。

    出典:  芥川龍之介「河童」

  • 我々人間の特色は、神の決して犯さない過失を犯すということである。

  • 危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。

  • 物質的欲望を減ずることは、必ずしも平和をもたらさない。我々は平和を得るためには、精神的欲望も減じなければならない。

  • 民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身も亦民衆であることを発見するのはともかくも誇るに足ることである。

  • 好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。

  • 恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。

  • 人生の競技場に踏みとどまりたいと思う者は、創痍を恐れずに闘わなければならぬ。

  • 人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さなければならぬ

  • 結婚は性欲を調節する事には有効であるが、恋愛を調節する事には有効ではない。

  • 我々のもっとも誇りたいものは我々の持っていないものだけである。

  • 人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称しがたい。しかし、とにかく一部を成している。

  • 我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである。

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芥川龍之介について

多くの傑作短編小説を残した夏目漱石の門下生。小説のほとんどが短編小説で、代表作に「羅生門」、「鼻」、「地獄変」、「トロッコ」、「河童」、「歯車」など。

1892年(明治25年)芥川龍之介は東京都京橋区入舟町(現在の東京都中央区)に牛乳の販売業を営む新原家の長男として生まれる。生後7ヶ月で母が精神に異常をきたし、母の実家の芥川家に預けられて育つ。11歳で母が死去すると叔父(母の兄)の養子になり芥川性を名乗った。当時のエリート校である第一高等学校に進み、菊池寛、久米正雄、松岡讓、佐野文夫、土屋文明らと出会う。1913年(大正2年)東京帝国大学文学部英文学科入学。翌年、芥川龍之介は菊池寛、久米正雄らと同人誌「新思潮」を創刊。1915年(大正4年)松岡讓の紹介で夏目漱石の門下生となった。同年「帝国文学」上で「羅生門」を発表。1916年(大正5年)に「新思潮」で発表した短編小説「鼻」が夏目漱石に絶賛される。以後芥川龍之介は短編小説を中心に多くの傑作を残したが、1925年に胃潰瘍、神経衰弱により療養生活に入る。1927年のとき睡眠薬を飲んで自殺。享年35歳。芥川龍之介の死後、生前の友人で、文藝春秋社を創立した菊池寛が、龍之介の業績を記念して芥川賞を創設した。芥川賞は純文学の若手作家に送られる賞で、数々の有名作家を世に出した。