芥川龍之介

作家

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芥川龍之介の名言

芥川龍之介の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 要するにバカな女は嫌いです。ことに利巧だと心得ているバカな女は手がつけられません。

  • 私は第三者を愛するために夫の目を盗んでいる女には、恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛するために子供を顧みない女には、満身の憎悪を感じている。

  • 人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている。

  • 女人は、我々男子にはまさに人生そのものである。即ち、諸悪の根源である。

  • 周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。

  • 古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。

  • 僕は芸術的良心を始め、どういう良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである。

  • 人間の心には、互いに矛盾したふたつの感情がある。誰でも他人の不幸に同情しないものはない。ところが、その不幸を切り抜けてよくなると、なんとなく物足りなくて、少し誇張して言えば、もう一度同じ不幸に陥れてみたいような気持になる。

  • 矜誇、愛欲、疑惑、あらゆる罪は三千年来、この三者から発している。同時にまた、おそらくはあらゆる徳も。

  • 芸術のための芸術は、一歩を転ずれば芸術遊戯説に墜ちる。人生のための芸術は、一歩を転ずれば芸術功利説に堕ちる

  • 古来賭博に熱中した厭世主義者のないことは、いかに賭博の人生に酷似しているかを示すものである。

  • 芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪を絶した超人でなければならぬ。

  • 暴君を暴君と呼ぶことは危険だったのに違いない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはりはなはだ危険である。

  • 天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

  • 我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであろう。同時に又あらゆる男子の中にも..。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や厳畳に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであろう。

  • わたしは二三の友だちにはたとい真実を言わないにもせよ、嘘をついたことは一度もなかった。彼等もまた嘘をつかなかったら。

  • 軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう。

  • あそこにある玉子焼きはなんといっても、恋愛などよりも衛生的だからね。

    出典:  芥川龍之介「河童」

  • 良心は道徳を創るかもしれぬ。しかし道徳はいまだかつて良心の「良」の字も創ったことはない。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」

  • 人生は地獄よりも地獄的である

  • 天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。

    出典:  芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」

  • 生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え

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芥川龍之介について

多くの傑作短編小説を残した夏目漱石の門下生。小説のほとんどが短編小説で、代表作に「羅生門」、「鼻」、「地獄変」、「トロッコ」、「河童」、「歯車」など。

1892年(明治25年)芥川龍之介は東京都京橋区入舟町(現在の東京都中央区)に牛乳の販売業を営む新原家の長男として生まれる。生後7ヶ月で母が精神に異常をきたし、母の実家の芥川家に預けられて育つ。11歳で母が死去すると叔父(母の兄)の養子になり芥川性を名乗った。当時のエリート校である第一高等学校に進み、菊池寛、久米正雄、松岡讓、佐野文夫、土屋文明らと出会う。1913年(大正2年)東京帝国大学文学部英文学科入学。翌年、芥川龍之介は菊池寛、久米正雄らと同人誌「新思潮」を創刊。1915年(大正4年)松岡讓の紹介で夏目漱石の門下生となった。同年「帝国文学」上で「羅生門」を発表。1916年(大正5年)に「新思潮」で発表した短編小説「鼻」が夏目漱石に絶賛される。以後芥川龍之介は短編小説を中心に多くの傑作を残したが、1925年に胃潰瘍、神経衰弱により療養生活に入る。1927年のとき睡眠薬を飲んで自殺。享年35歳。芥川龍之介の死後、生前の友人で、文藝春秋社を創立した菊池寛が、龍之介の業績を記念して芥川賞を創設した。芥川賞は純文学の若手作家に送られる賞で、数々の有名作家を世に出した。