マクシム・ゴーリキー

小説家

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マクシム・ゴーリキーの名言

マクシム・ゴーリキーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 幸福はその手にあるときはいつも小さく見える。しかし、それがなくなった時、どれだけ大きくて大切だったのかを知るのだ。

  • いかなる事業といえどもその成否は、参加する全員が利益を得るシステムを、つくれたか否かにかかっている。

  • 過去の思い出にすがることは、現在の活力を失わせ、将来への希望を削ぐ。

    出典:  マクシム・ゴーリキー「Creatures That Once Were Men」

  • 本を読み続けなさい。でも本は本に過ぎないことを忘れてはいけない。あなたは自分で考えることを学ぶ必要がある。

  • 誰もが人を殺す。ある者は弾丸で、ある者は言葉で、皆がその行動によって人を殺す。我々は他人を墓へと送るが、それに注目することも、同情することもない。

  • 他人をあてにしてはならない。我々は皆、貰い受けるために生きているのであり、与えるために生きているのではない。

  • 真実を語ることはなによりも難しい。真実は純粋であるがため、個人や集団、階級、国の持つ嗜好と結びつかない。真実は無教養な人間には全く似合わず、彼にとっても真実は受け入れがたいものだ。

  • 政治は敵意の毒草が生える土壌だ。いぶかり、恥ずべき嘘、中傷、病的な野心、無礼が急速に、大きく育つ。

  • 仕事が楽しみなら人生は極楽だ。仕事が義務なら人生は地獄だ。

    出典:  マクシム・ゴーリキー「どん底」

  • 才能とは、自分自身を、自分の力を信じることだ。

    出典:  マキシム・ゴーリキー「どん底」

  • 信じるのだ。こんなちっぽけな人間でも、取り組む意志さえあれば、どんなことでもやり遂げられるということを。

  • 人生には二つの形態しかない。腐っているか、それとも燃えているか。

  • 行動を言葉にするよりも、言葉を行動に移す方がずっと難しいものだ。

  • 自分で自分を尊敬できるような生活、しなきゃならないということだ。

    出典:  マクシム・ゴーリキー 「どん底」

  • どんな些細な勝利であっても、一度でも自分に勝つと人間は急に強くなれるものである。

  • 人間は、自分の中になんの優位も感じられなければ、時に自分の劣悪さを切り札とすることを考え出す。

  • 全てのものごとには終わりがある。したがって、忍耐は成功を勝ち得る唯一の方法である。

  • 我々にとって最も冷酷な敵は自らの過去だ。

  • 自分の真の力を発揮できるのは、自分を信じている時だけだ。

  • 真の美というのは、真の知恵と同じく、およそ簡明で誰にでも分かりやすいものだ。

  • 貧者でさえも子供の頃は豊かさを持ち合わせている。朝から夜まで道の泥や排水にまみれ、裸で腹を空かして汚れた子どもたちであってもだ。子供は生まれながらにこの世の花を持つ、しかしその花は十分な栄養が与えられなければ、花を咲かせる前にしぼんでしまうのだ。

  • 話すべきことを全て話した者にとって、沈黙は恐怖であり苦痛である。しかし、なにも話していない者にとっては簡単で楽なものだ。

    出典:  マクシム・ゴーリキー「Twenty-Six and One: And Other Stories」

  • 人生が退屈であれば、悲嘆に暮れるような出来事さえも歓迎するようになる。

  • 善良な人間は愚かでも構わない。しかし、邪悪な人間は賢くなければならない。

  • 過去という馬車に乗ったままでは、どこへも行くことはできない。

  • なにもかもが容易になれば、人間はすぐに愚かになる。

  • 貧乏人の写真が新聞に掲載されるのは、犯罪を犯したときに限られる。

  • 今日も働いて食事をした、明日も働いて食事をした、そうやって毎年毎年働いて食事を続けるだけであれば、そこにはなにか立派なことがあるといえるだろうか。

  • 人間とは哀れむべきものではない。それは尊敬すべきものだ。

  • 良質な精神はいつも芸術の力によって目覚めさせられる。科学とはこの世の知識であり、芸術はこの世の精神だ。

マクシム・ゴーリキーに関連する名言

マクシム・ゴーリキーの残した名言を分析し、それらの名言の内容に近い名言を厳選して紹介します。

マクシム・ゴーリキーについて

マクシム・ゴーリキーは19世紀末から20世紀のロシアの作家。「どん底」、「フォマ・ゴルジェーエフ」、「母」、「世の中へ出て」、「アルタモーノフ家の事業」などが代表作。その作風には社会主義の影響が強く、ゴーリキー自身もマルクス主義の労働者サークルに参加していた。

1868年ロシアのニジニ・ノブゴロドで生誕。5歳で父、9歳で母を亡くし、染料工場を営んでいた母方の祖父に預けられた。11歳から働き始め、様々な職業を転々とした。ゴーリキーは社会主義活動にも参加し、1888年にはマルクス主義の宣伝活動に関わったとして逮捕されている。1891年から1892年に鉄道工場で働く傍ら書き上げた短編小説「マカール・チュドラ」が地方紙に掲載されると、その後は執筆活動に打ち込むようになり、主に地方紙向けに小説を発表し続けた。1898年最初の作品集を出版すると、これが好評を博し、ゴーリキーの小説家としての名声は大きく高まった。翌1899年最初の長編小説「フォマ・ゴルジェーエフ」を発表。家業を相続した男の破滅を描く同作は人気を呼び、小説家としてツェーホフやトルストイと並び称されるほどの人気作家となった。1902年にはゴーリキーの最大の代表作と言われる戯曲「どん底」を発表。同作はロシアの安宿を舞台に、ロシア社会の底辺にある住人たちの絶望的な不幸を描き出した。

1905年ロシア革命によって帝政が打倒されようとする中、ゴーリキーは帝政打倒の文章を作成したとして一時投獄された。翌1906年、労働者階級のありふれた母親が社会主義活動家になる姿を描く小説「母」を発表。同年、肺結核を患い、療養のためにイタリアに移住。移住後も執筆活動と政治活動を精力的に続け、1916年「世の中へ出て」、1924年「レーニンの回想録」、1925年「アルタモーノフ家の事業」を発表。1928年ゴーリキーは帝政打倒後のソ連政府から招待されロシアを訪れ、1933年にはロシアに移り住んだ。1936年死去。享年68歳。