ヴィクトル・ユーゴー

小説家、詩人

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

ヴィクトル・ユーゴーの名言

ヴィクトル・ユーゴーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人は軍隊の侵入には抵抗するが、思想の侵入には抵抗しない。

  • 世界に飛び出して、金など気にならないかのように働け、誰も聞いていないかのように歌え、傷ついたことのないかのように愛せ、誰も見ていないかのように踊れ。

  • 人間は皆、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー「死刑囚最後の日」

  • 我々の知性は受け取ったものによって育まれ、我々の心は与えたものによって育まれる。

  • 生きている者とは、闘っている者だ。高く険しい運命の山をよじ登る者のことだ。

  • 勇気ある者たちは、全財産を失ったとしても、勇気そのものを失うことは決してない。

  • 将来は人によって名称が異なる。弱き者にとっては不可能であり、小心者にとっては未知であり、勇敢なものにとっては理想である。

  • 進歩の激烈なものが革命と呼ばれる。革命が過ぎ去る時に人は認める、今まで人類は虐げられてきたと、そして人類は進歩したと。

  • 自分自身を恐れよ。偏見は略奪者であり、非行は殺人者だ。大きな脅威は我々の中にあるのだ。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」

  • 人は二つの方法によって生きる。つまり、社会に従うか、自然に従うかである。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー「光と影」

  • 愛することは、ほとんど信じることである。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー「秋の木の葉」

  • 人生最大の幸福は、愛されているという確信である。自分であるために愛されている、いや、もっと正確には、こんな自分なのに愛されているという確信である。

  • 喜びとは、苦悩の大木に実る果実である。

  • 強く辛辣な言葉は、その主張の根拠の弱さを物語る。

  • 善良であることは簡単だ。難しいのは公正であることだ。

  • どんな深い闇の夜も終りが来る、そして太陽は昇るのだ。

  • 第一歩は何でもない。困難なのは、最後の一歩だ。

  • 愛に満ちた偉大な行動は、小さな親切を施すことを習慣とする者によってなされる。

  • 幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食べられはするが、ごちそうにはならない。無駄なもの、無用なもの、余計なもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それが私は好きだ。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル」

  • 人間の意識とは、もろもろの妄想・欲望・意図が混然と雑居しているところであり、夢想のるつぼであり、恥ずべき思考の巣窟なのである。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」

  • 不運は人格をつくり、幸運は怪物をつくる。

  • 人間は鎖を引きずって歩くためではなく、翼を広げて天高く翔ぶためにつくられているのです。

  • 自分自身ですべての生活を維持していく栄誉を有する者はいない。

  • この世界の人々に強さが足りていないというのは間違いだ。足りていないのは意思なのだ。

  • 意見は変えても良いが、原則は変えてはいけない。葉は生え変わっても、根はそのままでなければならない。

  • 忍耐はいつも、勝利を得るための秘訣である。

  • 空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。

  • 革命の意味を知りたければ、それを進歩と呼ぶのだ。進歩の意味を知りたければ、それを明日と呼ぶのだ。

  • 労働は生命なり、思想なり、光明なり。

  • 無学な者には可能な限り教育すべきだ。誰もが無償の教育が受けられないのは社会の過失である。社会は自身が生み出した闇について答える責任がある。心が闇に飲まれれば、罪が犯される。罪を犯した者が有罪なのではない、闇を生み出した者が有罪なのだ。

ヴィクトル・ユーゴーの名言を見ている方へお薦めする名言

ヴィクトル・ユーゴーの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ヴィクトル・ユーゴーについて

ヴィクトル・ユーゴーは19世紀に活躍したフランスの詩人、劇作家、小説家、政治家。個性や自我の自由な表現を尊重するロマン主義の代表的作家とされる。戯曲「エルナニ」、「レ・ミゼラブル」、抒情詩「静観詩集」、小説「ノートルダム・ド・パリ」などで知られる。フランスの国民的作家となっていたユーゴーは、その知名度を生かして政治家としても活動。当初はナポレオンを支援したが、のちに対立して弾圧を受け、ベルギーで19年間もの亡命生活を送ることになった。

1802年2月26日、フランス共和国東部の都市・ブザンソンで生まれる。父はナポレオン軍の軍人でナポレオンの熱狂的支持者のジョゼフ・レオポール・ユーゴー。一方で、母ソフィー・ユーゴーはナポレオンと対立するカトリック教会を支持しており、父と母は政治思想の違いから反目し合うことが多かったという。父は転勤や短期の赴任が多くヴィクトル・ユーゴーの生後すぐに一家はマルセイユに移住。その後も家族を連れてナポリ、ローマ、マドリードなどに短期滞在したという。

ヴィクトル・ユーゴーは若くして文学の才能を開花させ、17歳の頃にフランスの国立学術団体「アカデミー・フランセーズ」の詩のコンクールで優勝。1822年初の詩集「オードと雑詠集」を出版。「オードと雑詠集」は当時の国王ルイ18世に激賞され、政府に支援を受けるようになる。この年幼馴染のアデール・フシェと結婚。翌年初の小説「ハン・ディスランド」を出版。1829年戯曲「エルナニ」を書き上げると講演は大成功、ヴィクトル・ユーゴーは戯曲家としても名声を高めていった。1834年詩集「オランピオの悲しみ」を発表。

その後、ユーゴーは作家として築いた知名度と人脈を生かして政界に進出。当初はナポレオンを支持し、フランスの共和制に尽力する。しかし、徐々に独裁色を強めるナポレオンとの亀裂が生まれるようになり、ナポレオンの政敵となっていった。1851年ナポレオンが軍事力で議会を解散させると、ヴィクトル・ユーゴーはフランスを追われ、ベルギーに亡命。ベルギーに移住したユーゴーは再び作家としての活動を活発化させ、小説「小ナポレオン」、詩集「懲罰詩集」、「静観詩集」などを出版。そして1862年名作として名高い戯曲「レ・ミゼラブル」を発表した。1870年ナポレンが失脚するとヴィクトル・ユーゴーはフランスに帰国。帰国後も精力的に創作活動を続けたが、1885年に死去した。享年83歳。