ヴィクトル・ユーゴー

小説家、詩人

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ヴィクトル・ユーゴーの名言

ヴィクトル・ユーゴーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人生は愛という蜜をもつ花である。

  • 力が足りないのではない、足りないのは意思なのだ。

  • 人間は一つの暴君を持っているというのです。すなわち無知を指すというのです。私はその暴君の終滅に賛成しました。その暴君は王位を生んだ。王位は虚偽のうちに得られた権力です。しかるに学問は、真実のうちに取られた権力です。人はただ学問によって支配さるべきなのです。

  • 時間の整然とした使い方は、その人の仕事すべてを貫き通す一筋の光のようなものだ。

  • 苦しみがある程度度を越すと、人間はある類の精神的無関心に襲われる。

  • 音楽は言ってはいけないが言わずにはおけないことを表現する。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「ウィリアム・シェイクスピア」

  • 一人の人の献身がすべての者に力と勇気とを与える。

  • 四十歳は青年の老年期であり、五十歳は老年の青年期である。

  • 女を美しくするのは神であり、女を魅惑的にするのは悪魔である。

  • 神が造ったのは水だけだ。しかし、人はワインを作った。

  • 愛が無くても与えることはできるが、与えることなしに愛することはできない。

  • 愛しすぎるということがないのと同様に、祈りすぎるということはない。

  • 女は弱し。されど母は強し。

  • 大丈夫は、ただ今日一日の用をもってて極となすべし。

  • 思慮は理性の労働であり、空想はその愉しみである。

  • 誤りから立ち上がり真実にたどり着くことは、滅多にないがとても美しいものだ。

  • この朝から時が経つごとに少しずつ、あなたをより愛するようになってきている。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」

  • 理屈は会話を行う知性であり、想像は創出を伴う知性である。

  • 宇宙は神秘だが、女たちの接吻はその神秘を説き明かしてくれる。

  • 海、それは刑罰がそれを受けたる者を投ずる社会的の酷薄なる夜である。海、それは際限なき悲惨さである。人の魂は、この深淵のうちに流れ込むとき屍となる。

  • 私は宗教に対しては宗教を持っている。

  • 人間を神の御使にするのは災難なのだ。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」

  • 他の誰かを愛すことは、神の顔を見ることだ。

    出典:  ヴィクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」

  • 私は貴族趣味であるが、行動は民主的である。

  • 哲学は思考の顕微鏡である。

  • 神は人間に適する者を知りたもうて、天を遠くに、すぐそばに女を置かれた。

  • 宗教と科学の2つは同一のものを表す二つの言葉である。学のある者、特に宗教を学んだ者でこれを疑うものはいない。これら2つは同じ事実を2つの側面から表現したものであり、その事実とは創造主だ。宗教と科学、これら二つが人間の知性の将来なのだ。

  • もしも私に良心というものが荒れば、いくら大事件が起っても、びくともするものではありません。

  • ある種の思考は祈りのようなものだ。身体でどんな態度を示そうと、魂はひざまづいている場合がある。

  • 子どもたちよ、泣かないでおくれ。私はそんなに遠くに行ってしまうのではない。

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ヴィクトル・ユーゴーについて

ヴィクトル・ユーゴーは19世紀に活躍したフランスの詩人、劇作家、小説家、政治家。個性や自我の自由な表現を尊重するロマン主義の代表的作家とされる。戯曲「エルナニ」、「レ・ミゼラブル」、抒情詩「静観詩集」、小説「ノートルダム・ド・パリ」などで知られる。フランスの国民的作家となっていたユーゴーは、その知名度を生かして政治家としても活動。当初はナポレオンを支援したが、のちに対立して弾圧を受け、ベルギーで19年間もの亡命生活を送ることになった。

1802年2月26日、フランス共和国東部の都市・ブザンソンで生まれる。父はナポレオン軍の軍人でナポレオンの熱狂的支持者のジョゼフ・レオポール・ユーゴー。一方で、母ソフィー・ユーゴーはナポレオンと対立するカトリック教会を支持しており、父と母は政治思想の違いから反目し合うことが多かったという。父は転勤や短期の赴任が多くヴィクトル・ユーゴーの生後すぐに一家はマルセイユに移住。その後も家族を連れてナポリ、ローマ、マドリードなどに短期滞在したという。

ヴィクトル・ユーゴーは若くして文学の才能を開花させ、17歳の頃にフランスの国立学術団体「アカデミー・フランセーズ」の詩のコンクールで優勝。1822年初の詩集「オードと雑詠集」を出版。「オードと雑詠集」は当時の国王ルイ18世に激賞され、政府に支援を受けるようになる。この年幼馴染のアデール・フシェと結婚。翌年初の小説「ハン・ディスランド」を出版。1829年戯曲「エルナニ」を書き上げると講演は大成功、ヴィクトル・ユーゴーは戯曲家としても名声を高めていった。1834年詩集「オランピオの悲しみ」を発表。

その後、ユーゴーは作家として築いた知名度と人脈を生かして政界に進出。当初はナポレオンを支持し、フランスの共和制に尽力する。しかし、徐々に独裁色を強めるナポレオンとの亀裂が生まれるようになり、ナポレオンの政敵となっていった。1851年ナポレオンが軍事力で議会を解散させると、ヴィクトル・ユーゴーはフランスを追われ、ベルギーに亡命。ベルギーに移住したユーゴーは再び作家としての活動を活発化させ、小説「小ナポレオン」、詩集「懲罰詩集」、「静観詩集」などを出版。そして1862年名作として名高い戯曲「レ・ミゼラブル」を発表した。1870年ナポレンが失脚するとヴィクトル・ユーゴーはフランスに帰国。帰国後も精力的に創作活動を続けたが、1885年に死去した。享年83歳。