池波正太郎

歴史小説家、劇作家

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池波正太郎の名言

池波正太郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 矛盾だらけの人間がつくりあげている世の中というものも、また当然、矛盾をきわめているのだ。

  • 近頃の日本は、何事にも、「白」でなければ、「黒」である。その中間の色合が、まったく消えてしまった。

  • 人間の欲望は際限もないもので、あれもこれもと欲張ったところで、どうにもならぬことは知れている。一を得るためには、一を捨てねばならぬ。

  • 人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲んでいるものだ。

  • 日本は民主主義になって「自由」とやらを得たが、その「自由」という言葉の空しさを知ったばかりでなく、人びとの心は「詩情」を失って乾ききってしまった。人間という生きものがもつ矛盾は、尽きる事を知らない。得たものがあれば、必ず失うものがある。

  • 人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向かって歩みはじめる。死ぬために、生きはじめる。

  • おのれの強さは他人に見せるものではない。おのれに見せるものよ。

  • 男らしさとか女らしさという前にね、男も女も共通していちばん大事なことがあるんだよ。「人の身になって考える」ということ。

  • どこにも、甘ったれが増えるばかりだ。甘ったれの日本になってしまいつつある。

  • 便利という価値観に負けては、人間社会本然の大事な部分を見失ってしまう。

  • 人間は死ぬという事実こそが、自分を磨くための磨き砂だ。

  • 六十を過ぎると、あらゆる拘束が、あまり気にならなくなる。何とか切り抜ける智恵も若い時と違って頭に浮かんでくる。拘束を、楽しむ気分が生じてくる。

  • 生きているということの意味も、だんだんわかってくるでしょうね、ときどき「死」を思っていれば。

  • 自分一人だけ、わがまま勝手な事を言って威張りちらすというのは、亭主関白でもなんでもない。

  • 未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ。

  • 恋の迷路へは、「何処から入ってもよい」のである。

  • まことの人は、くだくだしく物を考え、迷う前に、先ず、動き出すものじゃという。

  • 気分転換がうまくできない人は仕事も小さくなってくるし、体も壊すことになりがちだね。

  • 全てわかったようなつもりでいても、双方の思い違いは間々あることで、大形にいうならば、人の世の大半は、人びとの勘ちがいによって成り立っているといってもよいほどなのだ。

  • 人間というやつ、遊びながら働く生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ。

  • 人間は、生まれた瞬間から死に向かって生きはじめる。そして、生きるために食べなくてはならない。なんという矛盾だろう。

  • 小説を書いてて商品だなんていうのは抵抗感じるっていう人もあるんだよ。金をもらって作家業というのに抵抗感じると。それだったら雑誌社に原稿を渡して金をもらわなきゃいいんだよ。

  • 人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目に触れさせぬため、また、次の悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んでいくものなのだ。

  • 人生の苦難に直面した男が求めるものは、酒と女に決まっている。この二つは、それほど男にとって貴重なものなのだ。

  • 剣道で「残心」という言葉がある。闘って、相手を打ち据えたとき、気をゆるめずに尚も構えをたて直し相手の出方を見る。これが残心だ。

  • つまらないところに毎日行くよりも、そのお金を貯めておいて、いい店を一つずつ、たとえ半年ごとでもいいから覚えて行くことが自分の身になるんですよ。

  • 人というものはな、おのれの長所を隠すことを工夫しなければいかぬよ。それでないと、おまえは自分の長所のために身を滅ぼすことになろう。

    出典:  池波正太郎「戦国と幕末」

  • たまにはうんといい肉で贅沢なことをやってみないと、本当のすきやきの美味しさとか、肉の旨みというのが味わえない。

  • たとえ、一椀の熱い味噌汁を口にしたとき「うまい!」と感じるだけで、生き甲斐を覚えることもある。

  • 明治維新を一概に評価はできませんが、田沼意次が狙ったことは、明治維新以後の薩長、つまり勤皇の連中がやったことと同じなんですよ。田沼は早く生まれすぎたんです。薩長は時代が熟した時期に、錦の御旗を掲げて強引にやったんですね。田沼の時代には、やろうと思っても周りが助けてくれない。

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池波正太郎について

池波正太郎は昭和後期から平成にかけて活躍した歴史小説家、劇作家。劇作家としてキャリアをスタートさせて、小説に進出。「錯乱」で直木賞を受賞。それ以降、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人藤枝梅安」、「真田太平記」などで人気作家となった。直木賞のほか、吉川英治文学賞、菊池寛賞も受賞。1986年には紫綬褒章を受賞している。

1923年(大正12年)1月25日現在の東京都台東区生まれ。幼くして両親が離婚し、母によって育てられる。小学校卒業後、株式の取引商に奉公に出る。その後ペンキ屋、旋盤工などを経験。第二次大戦後に池波正太郎は東京都の職員となり下谷区役所で働く。その傍らで劇作にも取り組み、1946年戯曲「雪晴れ」で読売新聞演劇文化賞に入選。東京都を退職して明治座などで公演していた新国劇のために戯曲を描き下ろし、「名寄岩」、「鈍牛」、「檻の中」、「渡辺崋山」、「剣豪画家」などが上演された。

1948年劇作家・小説家の長谷川伸に弟子入り。文芸誌「大衆文芸」に小説を投稿し、その中から「恩田木工」が直木賞候補となるも落選。1960年オール讀物で発表した「錯乱」により池波正太郎は直木賞を受賞。1967年に連載を開始した「鬼平犯科帳」がテレビドラマ化されて人気を博す。1972年発表の「剣客商売」、「仕掛人藤枝梅安」も同様にテレビドラマ化されて人気となる。「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人藤枝梅安(テレビでのタイトルは必殺仕掛人)」の3大シリーズは死の直前の1990年まで連載が続けられ、テレビドラマでも長きに渡って放送される大人気作品となっていった。1974年信州真田家の存亡をかけた闘いを描く「真田太平記」を連載開始。同作はNHKの大河ドラマにもなった。1977年3大シリーズなど一連の作品が評価されて池波正太郎は吉川英治文学賞を受賞。1986年紫綬褒章。1988年菊池寛賞受賞。1990年急性白血病により死去。享年67歳。