ロバート・フロスト

詩人

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ロバート・フロストの名言

ロバート・フロストの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 希望はあなたが歩む道の先にあるのではなく、その道の途中にあるのだ。

  • この世界の半分は、言うべきことがあるのにそれができない人で構成され、残りは言うべきことを持たないのに言い続ける人で構成される。

  • 私は壁を築く前に尋ねるだろう「なにを壁の中に入れ、なにを追い出そうとしているのか?」と。

  • 作者の目に涙なければ、読者の目に涙なし。作者に驚きなければ、読者に驚きなし。

  • 目隠しした馬のように範囲の限定された目的は、必ずその持ち主の視野を狭くする。

  • あなたたちは存在しないものを探している。それは始まりと終わり、そして新たな始まりだ。そのようなものは存在しない。この世界には途中しかないのだ。

  • 詩作とは感情が考えを巡らすことであり、その考えが言葉を見つけることである。

  • 私には守るべき約束がある。そして眠りにつく前に進むべき道がある、眠りにつく前に進むべき道が。

  • 道は森で二手に分かれていた。そして私は人がより通らない道を選んだ。そしてそれが全てを変えたのだ。

  • 私たちがある者を愛するのは、それがその者だからである。

  • 自由とは勇敢になることだ。

  • 頼まれごとはいつも受容せよ。与えられたものを受け入れ、それを乗り越えていくのだ。私の人生の目的は、いつも今起こっていることに逆らうのではなく、取り組むことだった。

  • 我々の人生に起こる他愛のないことは、人生における重要なものに我々をいざなう。

  • 1日8時間、誠実に働け。そうすればようやく人を使う立場になり、1日12時間働くことになる。

  • 家とは、あなたが帰らなければならない時に、受け入れてくれる場所である。

  • この世界は喜んで何かをする人で溢れている。ある人々は喜んで働き、残りの人々は喜んで働かせる。

  • 私の無意味さを許して下さい。私も意味があると思って話す無意味な人たちを許しているのですから。

  • 人生最後の呼吸であるかのように呼吸せよ。その呼吸が人生の本質の全てなのだ。

  • 教育とは、立腹したり自信を喪失したりせずに、ほとんどすべてのことに耳を傾けられる力のことだ。

  • 母親は子供を男に育て上げるのに20年かかるというのに、他の女性は20分で男をバカにしてしまう。

  • 銀行とは、天気のよいときに傘を貸し、雨が降り出すと返せという所である。

  • 料理ができるくせにやらない妻よりも忌々しいものがひとつある。それは、料理ができないくせに料理する妻である。

  • 人生で学んだすべてを私は3つの言葉にまとめられる。その3語とは「it goes on(それは続く)」ということだ。

  • 幸福とは長さの不足を高さであがなうもの。

  • あなたに何かが起こる前に、他でどれだけ多くのことが起こらなければならないことか。

  • 馬は死ぬ前に売ってしまうことだ。人生のコツは、損失を次の人に回すことだ。

  • 愛すべきものを愛し、憎むべきものを憎みなさい。この違いを見分けるには、頭が必要になる。

  • 社交家とは、女性の誕生日はいつも覚えていながら、彼女の年齢を忘れてしまう人のことだ。

  • 脳は不思議な器官だ。朝起きた瞬間に働きはじめ、仕事場に着くまで活動をやめない。

  • 愛というのは抑えきれない欲望を抱かれたいという、抑えきれない欲望。

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ロバート・フロストについて

ロバート・フロストは20世紀に活躍したアメリカの詩人。アメリカ北東部、ニューイングランド地方での人間と自然の対立を平易な文体で歌い、人気を博した。20世紀を代表するアメリカの国民的詩人とも言われる。代表作に「ボストンの北」、「少年の心」、「証しの樹」。ピューリッツァー賞4度受賞。

1874年3月26日サンフランシスコ生まれ。父ウィリアム・フロストはイングランド系で職業はジャーナリスト、母イザベルはスコットランドからの移民。11歳で父を亡くし、一家はイングランド北東部に位置するマサチューセッツ州に移り住み、父方の祖父の援助を得て暮らす。高校卒業後、ダートマス大学に2ヶ月だけ通ったのち、新聞配達、工場のメンテナンス係など様々な仕事に就いたがいずれも長続きしなかった。1984年初めての詩集「My Butterfly. An Elegy」を出版。1987年から1899年までハーバード大学に通うが、病気のため退学。その後教師をしたのち、1912年にイギリスに渡り、ロンドン郊外のビーコンズフィールドに居を構えた。イギリスではエドワード・トーマスらの詩人と交流を持ち、1913年に詩集「少年の心」、1914年に「ボストンの北」を発表して自然派のし人として認知度が高まっていった。

1915年ロバート・フロストはアメリカに戻りニューハンプシャー州の牧場に住みながら詩作に取り組んだ。1916年詩集「山の間」を発表。1923年詩集「ニューハンプシャー」でピューリッツァー賞を受賞。その後1928年「西へ流れる川」、1936年「遙かな山並」、1942年「証しの樹」でもフロストはピューリッツァー賞を受賞している。アメリカ人の抱く自然への慕情を描きつつ、人間の暮の矛盾を突いた作品が多い。1963年死去。享年88歳。