太宰治

小説家

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太宰治の名言

太宰治の過去の名言をまとめた名言集です。

  • それは世間が、ゆるさない。世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?
    そんな事をすると、世間からひどい目にあうぞ。世間じゃない。あなたでしょう?
    いまに世間から葬られる。世間じゃない。葬るのはあなたでしょう?

    出典:  人間失格

  • 私は確信したい「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と。

    出典:  太宰治「斜陽」

  • てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。

  • 恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。

  • 僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。

  • どんなに愛し合っていても、口に出してそれと言わなければ、その愛が互いにわからないでいる事だって、世の中には、ままあるのです。

  • 不幸せな人は、他人からかばわれたり、同情されると、嬉しいよりは、一層我が身がつらく不幸せに思われてくるものである。

    出典:  太宰治「新釈諸国噺」

  • 愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。

    出典:  太宰治「雌に就いてー太宰治選集」

  • 革命は、人が楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用しません。

  • 夫と妻は、その生涯において、幾度も結婚をし直さなければならぬ。お互いが、相手の真価を発見して行くためにも、次々の危機に打ち勝って、別離せずに結婚をし直し、進まなければならぬ。

    出典:  太宰治「ろまん燈籠」

  • 誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛ではない。

    出典:  太宰治「駈込み訴え」

  • 信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない。

    出典:  津軽

  • 僕は今まで、説教されて改心したことが、まだ一度もない。説教している人を偉いなあと思ったことも、まだ一度もない。

  • 一寸の幸せには一瞬の魔物が必ずくっついてまいります。人間365日、何の心配もない日が、一日、いや半日あったら、それは幸せな人間です。

    出典:  太宰治「ヴィヨンの妻」

  • 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。としたり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。私は別段、例の唯物論的論証法に媚びるわけではないが、少なくとも恋愛はチャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。

    出典:  太宰治「ヴィヨンの妻」

  • 論理は、所詮、論理への愛である。生きている人間への愛ではない。

    出典:  太宰治「斜陽」

  • 人間は嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。

  • 善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。善ほど他人を傷つけるものはないのだから。

    出典:  太宰治「美男子と煙草」

  • 怒涛に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛の実体があるのだ。

  • 「男女同権」とは、男の地位が女の地位まで上がったことなのです。

    出典:  「新潮現代文学20」

  • わが身にうしろ暗いところが一つもなくて生きていくことは、不可能だと思いました。

  • 何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。

  • 生と死、愛と憎しみ、光と影―人はこの二律背反を同時に生きなければならない。…たぶん、文学はそういう瞬間からしか生まれてこないのだろう。

  • 過ぎ去ったことは、忘れろ。さういっても、無理かもしれぬが、しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないのか。

  • 私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。

    出典:  太宰治「善蔵を思う」

  • 人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。

  • 毎日毎日が、奇蹟である。いや、生活の、全部が奇蹟だ。

  • 人は、本当に愛していれば、かえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものでございます。

  • あの谷の向こう側にたしかに美しい花が咲いていると信じた人だけが、何の躊躇もなく籐蔓にすがって向こう側に渡って行きます。

    出典:  太宰治「浦島さん」

  • 人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。

太宰治について

自虐的で退廃的な作風で人の偽善を問う小説を多く残した小説家。その作風に違わず、自らも何度も自殺を試みるという破滅型の作家だった。代表作に「逆行」、「ヴィヨンの妻」、「斜陽」、「人間失格」、「走れメロス」など。

1909年(明治42年)太宰治は現在の青森県五所川原市に生まれる。本名・津島修治。父は大地主で、多額の納税により貴族院議員も務めた津島源右衛門。1930年(昭和5年)東京帝国大学文学部に入学。東大在学中、太宰治は小説家を目指すことを決意し井伏鱒二に弟子入りした。この頃、バーの従業員の女性と大量の睡眠薬を服用して心中を図ったものの、女性のみが死亡し一人助かる。1935年太宰治は東大文学部を中退。同年、「逆光」が第1回芥川賞の候補作となるが、落選。再び首吊りによる自殺未遂を図り、治療で鎮痛剤パビナールを処方され中毒となる。2年後再び自殺未遂。1939年に結婚し私生活は安定。太宰治は「富嶽百景」、「女生徒」、「お伽草紙」などを書き上げる。故郷の青森で第二次大戦の終戦を迎えると上京し、「走れメロス」、「ヴィヨンの妻」などの優れた作品を生み出す。敗戦によって没落した貴族一家の破滅を描いた「斜陽」がベストセラーとなり、人気作家となる。以降、太宰治は「人間失格」、「桜桃」などを書き上げる。1948年、38歳のとき愛人と玉川上水で入水自殺を図り死亡。

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