名前を呼ばれて、おいでって言われて、飼い主のところに行けば、必ずいいことがあるから、行く、ぼくは、そういうのが、本当の信頼じゃないかと思うんです。
村上龍 小説家、脚本家
この名言を見ている方にお薦めの名言
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汝は汝たり、我は我たり。
吉田松蔭 教育者、思想家
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孤独であることは救われることである。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 画家、彫刻家
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君は奴隷か?それなら君は友とはなれない。君は暴君か?それなら君は、友を持てない。
ニーチェ 哲学者
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物書きは、内証のことはとにかく、外面は「誠実」が第一、そして取りこぼしをせぬのが第二に大事。「なんだあいつは。ひょっとしたら馬鹿か」などと言われたくありません。せっかくこれまで、それだけは、と隠し通してきた苦心がすっかり水の泡になってしまうではありませんか。
井上ひさし 劇作家、放送作家、小説家
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同じ言葉であっても、聞く人や時代によって受け取り方が異なる。また、同じ人であっても年齢や置かれた状況によっても感じ方は違ってくる。つまり、心に響く言葉というものは、人や時代によってさまざまなのです。
竹中平蔵 経済学者、政治家
村上龍の他の名言
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部下の悪いところにばかり目が行くのは性格ではない。誰にでもそういう一面、そういったときはあります。私の場合、気持ちが落ち込んでいたり、いやなことがあったりしたときに、他人の悪い面に目がいきます。苛立ってしまい、他人に当たりたくなるわけです。逆に、充実した時間を過ごし、達成感とともに心身ともに安らいでいるときは、基本的に他人に対して、優しくというか、寛容になることができます。だから、性格を直したり、変えようとするのではなく、まず自分が充実した時間を過ごしているか、仕事で達成感を得ているかを考えてみたらどうでしょうか。
村上龍
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失恋に限らず、死別や、別居などでもそうなのですが、別れたときの哀しみ、喪失感というのは、確かに耐えがたいものがあります。ただし、その哀しみや喪失感は、私たちにとって必要なものだという精神医学者や心理学者の指摘もあります。それは、失った人のことを、心に刻みつけるために必要なのだそうです。刻みつけるというか、心の中に、その別れた人の居場所というか、自分にとってどんな人だったのかを再確認するために、悲しみや喪失感が必要だということです。私たちは、生まれたときから、出会いと別れを繰り返して生きていくわけです。別れた人を、自分の心のどの部分に、どのような形でイメージとしてとどめるのか、それを定めるために悲しみや喪失感があって、辛く悲しいけど、「必要なのだ」と思えば、少しは違うかも知れません。
村上龍
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ひとりひとりに幸福というのがあって、それはひとりひとり違うもの。でも、なんとなく「幸福」というもの、「最大公約数的な幸福」というようなものがあって、それを求めなければいけない、という状態の方が怖いですよね。本当の豊かさ、本当の贅沢、本当の幸福、そういう文を僕は書いたことがない。それは読む人が、こういうことを贅沢というのだろうなとか感じることがあったとしてもね。
村上龍
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オープンにされた反省はすでに敗北。
村上龍
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ダメな経営者は事業が思うようにいかないとき、あるいは利益がなかなか出ないときに限って、新しいことをはじめようとします。基軸となる事業がうまくいっていないときに、新しいことをはじめるのは愚の骨頂で、絶対にうまくいきません。基本に返るというのは、徹底して自らの強みを活かす、ということでもあります。自らの強みをさらに強化して、必要なら資金や人材などをつぎ込み、リスクを取って勝負するというのがビジネスの鉄則です。
村上龍
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映画「フィラデルフィア」で、弁護士に扮したデンゼル・ワシントンが何度も使う台詞があります。「私を6歳の子供だと思って説明してください」というセリフです。要するに、「もっとわかりやすく説明してくれ」ということです。6歳の子供に何かを教えるのは大変です。6歳児の知識は限られていますし、むずかしい言葉もわからないし、つまらないと思うとすぐに飽きて話そのものを聞こうとしなくなります。覚えが悪い2人の部下に対し、折れるとか、持ち上げるとか、そんなことではなく、一度、「6歳児に教える」つもりで、話してみてはどうでしょうか。
村上龍
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日本は80年代に経済的な成熟期を迎え、バブル崩壊を経て、いまに至っています。たとえて言うなら、すごく元気に働いてお金を稼いでいる親父がいた。気に食わないところもあるので反抗していたら、20年前に倒れて寝たきりになってしまった。少しずつ確実に体は衰退しているけれど、延命治療のせいで、急にポコッと死ぬわけでもない。
村上龍
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基本的に、自分が何を望んでいるのかはっきりしない人に対してアドバイスはできない。
村上龍
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人生を賭けるような仕事というのは、探しても見つからないです。出会うものです。ただ、出会っても、それとも気づかずに素通りしてしまう人が多いようです。つまり、たとえ出会っても、「これだ!これしかない」というようなケースは非常に少ないんですね。「ん?これって何だ?」というちょっとした違和感に近いことが多い気がします。あれはいったい何だったんだろう、何でこんなに気になるんだろう、そんな感じです。
村上龍
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ある工業デザイナーから聞いた話が印象に残っています。彼は事情があって東京から故郷に戻り、しばらくずっと「東京にはあって地元にはないもの」ばかり考えていたのですが、あるとき「地元にはあって東京にはないもの」を探そうと思ったそうです。彼の場合、それは地元の伝統工芸でした。「地元にはあって東京にはないもの」とは、きれいな空気や海かもしれないし、新鮮で安くおいしい食材かもしれないし、住居費を含む安価な物価かもしれないし、密な人間関係や人情といったものかもしれません。「地元にはあって東京にはないもの」は、必ず存在します。
村上龍