志賀直哉

小説家

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

志賀直哉の名言

志賀直哉の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 読んだだけ、聞いただけがただ残っていくという意味の物知りがいる。これは知恵というものにはならない。

  • 大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まなければならぬ。急がずに、休まずに。

    出典:  志賀直哉「暗夜行路」

  • くだらなく過ごしても一生、苦しんで過ごしても一生だ。苦しんで活き活きと暮らすべきだ。

    出典:  志賀直哉「らくがき三つ」

  • 自己嫌悪がないということはその人が自己を熱愛することのない証拠である。自己に冷淡であるからだ。

    出典:  「青草帖」

  • 求めてえられるものは幸福に非ずして快楽だ。

    出典:  志賀直哉「青臭帖」

  • 一つの考えというものは正しいか正しくないかだけで評価できない。正しい考えであって、しかも一顧の価値さえないものあるし、間違っていても価値を認めないわけにはいかぬ考えというものがある。

  • 誰にでも天賦はなにかしらある。これをやるために生まれてきたみたいな何かが。なかなか見つからないけど、それを見つけたら、焦ることはない。

  • 幸福というものは受けるべきもので、求めるべき性質のものではない。求めて得られるものは幸福にあらずして快楽なり。

  • 更にそこから生まれるもののなき博学はくだらない。知識のコレクションに過ぎない。

  • 正しく書く事によって初めて考えをより明瞭にかつ確実にすることが出来る。

  • 自分に才能を与えてくれるなら、寿命を縮めてもいい。

  • 金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。

  • 自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり感ずる。

  • 今の時代では色々なものが非常な進み方をしている。進みすぎて手に負えず、どうしていいか分らずにいる。思想の対立がそれであり、科学の進歩がそれである。

  • 心の貧しいことほど、惨めな状態があろうか。

  • 仕事は手段にあらずして目的だ。

  • 仕事は目的である。仕事をはっきりと目的と思ってやっている男には、結果は大した問題ではない。

  • 過去は過去として葬らしめよ

    出典:  志賀直哉「暗夜行路」

  • 人知におもいあがっている人間はいつかそのためむごい罰をこうむる事があるのでは なかろうか。

  • 自由な、調和のとれた、何気ない、殊に何気ないといふことは日常生活で一番望ましい気がしている。

  • 幸福は弱く不幸は強い

  • 素人か玄人かは、その仕事に対する作者の打込み方の相違だ。

  • すぐれた人間の仕事、する事、言う事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。

  • 自分を熱愛し、自分を大切にせよ

  • 彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想慰めになった。

  • 科学が無制限に発達するという事が困る。人間の特性というものは、これに伴って、進歩しないものだから。

  • 取らねばならぬ経過は泣いても笑っても取るのが本統だ。

    出典:  暗夜行路

志賀直哉の名言を見ている方へお薦めする名言

志賀直哉の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

志賀直哉について

明治から昭和にかけて活躍した小説家。武者小路実篤らと「白樺」を創刊。父親との確執をもとにした私小説で有名作家となる。自らの強烈な自我意識を明瞭な文体で表現し独創的なリアリズム文学を確立した。

1883年(明治16年)志賀直哉は、宮城県牡鹿郡石巻町に銀行員だった父・志賀直温と母・志賀銀の子として生まれる。2歳のとき一家で上京。学習院中等科、高等科を卒業。この頃、内村鑑三が足尾銅山鉱毒事件を批判した演説に感銘を受け、現地視察を計画。しかし、祖父がかつて足尾銅山の経営に参加していたとの理由により父に反対され、父との不和のきっかけになる。明治39年東京帝大英文学科入学。東大在学中、志賀直哉は志賀家の女中と恋仲になり、結婚を決めたが、父との反対によって叶わず、父との関係がさらに悪化した。

1910年(明治43年)東京帝大を退学し、志賀直哉は武者小路実篤、木下利玄らと文芸雑誌「白樺」を創刊し、「網走まで」を掲載。以降父との対立を私小説「大津順吉」、「和解」で描くとともに、「城の崎にて」、「焚火」などの短編を発表。夏目漱石の依頼で朝日新聞に掲載する予定だった私小説「時任謙作」が父との和解のため変更を余儀なくされたため掲載できず、それは後に「暗夜行路」として発表された。主人公時任謙作の強烈な自我が描かれる「暗夜行路」は、近代日本屈指の長編小説とも言われる。

。1941年(昭和16年)芸術院会員、1949年(昭和24年)文化勲章受章。1971年(昭和46年)死去。享年88歳。