三島由紀夫

小説家、政治活動家

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三島由紀夫の名言

三島由紀夫の過去の名言をまとめた名言集です。

  • われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所を認める。

  • 好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間の持ちうる最も不徳な欲望かもしれない。

  • 青春の特権といえば、一言を以ってすれば無知の特権であろう。

    出典:  三島由紀夫「私の遍歴時代」

  • 何のために生きているかわからないから生きていられる。

  • 人に笑われるなどということは全く大したことじゃありません。だから我々は大いに他人の失敗を笑うべきなのであります。

  • たいてい勇気ある行動というものは、別の在るものへの怖れから来ているもので、全然恐怖心のない人には、勇気の生まれる余地がなくて、そういう人はただ無茶をやってのけるだけの話です。

  • 微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは社会生活では当たり前のことで、日本のように個人主義の発達しない社会では、微笑が個人の自由を守ってきたのである。しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つている。

  • 「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。

  • 現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。

  • 男の虚栄心は、虚栄心がないように見せかけることである。

  • この世のもっとも純粋なよろこびは、
    他人のよろこびを見ることだ。

  • あらゆる改革者には深い絶望がつきまとう。しかし、改革者は絶望を言わないのである。

  • 人間の情熱は、一旦その法則に従って動き出したら、誰もそれを止めることはできない。

  • 三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味です。

  • 人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る。

  • あまりに永い苦悩は人を愚かにする。苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を疑うことができない。

  • 生まれて来て何を最初に教わるって、それは「諦める」ことよ。

  • 決定されているが故に僕らの可能性は無限であり、止められているが故に僕らの飛翔は永遠である。

  • 年をとらせるのは肉体じゃなくて、もしかしたら心かもしれないの。心の患いと衰へが、内側から体に反映して、醜い皺やしみを作ってゆくのかもしれないの。

  • 空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福が存在しない。

  • やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。

  • あらゆる種類の仮面のなかで、「素顔」といふ仮面を僕はいちばん信用いたしません。

  • 人生とは何だ?人生とは失語症だ。世界とは何だ?世界とは失語症だ。歴史とは何だ?歴史とは失語症だ。芸術とは?恋愛とは?政治とは?何でもかんでも失語症だ。

  • 裏切りは、かならずしも悪人と善人のあひだでおこるとはかぎらない。

  • 崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。

  • 言論の自由を保障する政体として、現在、われわれは複数政党制による 議会主義的民主主義より以上のものを持っていない。

  • 何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。

  • 生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。

  • 何かにつけて青春が未来を喋々するのは、ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしていないからにすぎない。

  • 男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。

三島由紀夫について

三島由紀夫は昭和に活躍した小説家、右翼活動家。唯美的で鋭い批評精神を発揮した小説で高い評価を得た。のちに右翼的思想に傾倒し、自衛隊基地で幹部を拘束して立てこもった末割腹自殺した。

1925年(大正14年)東京市四谷区(現在の東京都新宿区)生まれ。父は農林省官僚。中等科、高等科時代から小説や詩を書き文学にのめり込む。昭和16年(1941年)、弱冠16歳のとき「花ざかりの森」が「文藝文化」に連載され、激賞される。1944年東京帝国大学法律学科入学。大学卒業後は大蔵省に入省。

三島由紀夫は大蔵省入省後すぐに文章力を評価されて大蔵大臣のスピーチを書き「淡谷のり子さんや笠置シズ子さんのたのしいアトラクションの前に、私如きハゲ頭のオヤジがまかり出まして、御挨拶を申上げるのは野暮の骨頂でありますが…」と書き課長に怒られたエピソードは有名。入省後も仕事の傍ら文学活動を続けるが、過労と睡眠不足となり1948年に辞表を提出。本格的に作家業に専念する。

1949年三島由紀夫は小説「仮面の告白」を発表、1954年「潮騒」が新潮社から刊行されベストセラーとなる。以降「金閣寺」、「午後の曳航」、「春の雪」を発表。1970年三島由紀夫他4名で陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監部にて益田兼利総監を拘束、バルコニーで演説しアメリカに依存しない、日本の自主防衛と憲法改正を訴えた。しかしながら、集まった自衛官らは野次を飛ばし、三島由紀夫の声が聞き取れないほどであったという。自らの主張が受け入れられないと悟った三島は割腹自殺。享年45歳。

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