森鴎外

小説家、評論家、医者

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森鴎外の名言

森鴎外の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 開いている扉があったら足を容れよう。扉が閉じられていたら通り過ぎよう。

  • 友の変じて敵となるものあり。

  • 日の光を籍たれ。

  • 実に敵という敵の中で山の神ほど恐ろしい敵はない。

  • 死なないわけにはいかない、死ぬるまで弾力を保存したい

  • 富人を降って行く。

森鴎外の名言を見ている方へお薦めする名言

森鴎外の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

森鴎外について

森鴎外は明治から大正にかけて活躍した小説家、評論家、軍医。日本軍の軍医となって35年にわたって勤務し、陸軍軍医総監にまで上り詰めた。一方で精力的に執筆活動も行い、小説、外国小説の翻訳、評論などで活躍した。

1862年(文久2年)島根県に生まれる。森家は代々、津和野藩の典医を務めており、父も医者であった。1872円(明治5年)10歳で一家で上京。翌年には第一大学区医学校(現・東京大学医学部)予科に入学、1881年(明治14年)に森鴎外は第一大学区医学校本科を卒業し東京陸軍病院に勤務。

1889年(明治22年)1月3日、『読売新聞』の付録に評論「小説論」を発表し、さらに読売新聞でカルデロンの戯曲「調高矣津弦一曲」を翻訳して発表。文学活動を始める。翌1890年(明治23)年森鴎外は小説に進出し、短編小説「舞姫」を発表する。以降、日清、日露戦争に出征するなど軍医としての仕事を続ける一方で文筆活動も継続する。

軍医としては1907年(明治40年)軍医の最高位である陸軍省医務局長まで昇進している。代表作に「舞姫」、「ヰタ・セクスアリス」、「山椒大夫」、「青年」、「雁」、「渋江抽斎」、「安倍一族」など。1922年(大正11年)死去。享年60歳。