オスカー・ワイルド

小説家、詩人

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オスカー・ワイルドの名言

オスカー・ワイルドの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 素顔で語る時、人はもっとも本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語りだす。

  • 社会は個人に対して極刑を加える権利を持つかのようにふるまうが、社会は浅薄わまりない悪徳を持っていて、己の行うことを自覚する力がない。

    出典:  オスカー・ワイルド「獄中記」

  • 恋はいつだって自分を欺くことから始まり、他人を欺くことで終わる。これが世間で言うロマンスというものである。

    出典:  オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

  • もっとも完全な社交術をもつためには、全ての女性に対して君が彼女を恋しているように話しかけよ。そして全ての男性に対しては彼が君にうんざりしているように話しかけよ。

  • 人間を善悪で区分けするなど愚かなことだ。人間は魅力的か、退屈かのどちらかである。

    出典:  オスカー・ワイルド「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」

  • 女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。男に欠点が多ければ、女は何もかも許してくれる、われわれの知性さえもだ。

  • 男は退屈から結婚する。女は物好きから結婚する。そして双方とも失望する。

  • あなたがどんな人でも好きだというのなら、それはあなたは誰にも関心がないということだ。

  • 二人の男が窓の外を見る。一人は道の泥を見て、もう一人は空の星を見る。

  • 夢は叶うと言う者たちがいる。でも忘れてはいけない、悪夢も夢であることを。

  • 美は人の注意をひきつける。人格は人の心をひきつける。

  • 人はいつも恋をしていなければならない。それが結婚してはならない理由である。

  • 独身貴族には重税を課すべきだ。結婚している男たちより幸せだというのは不公平である。

  • 我儘とはあなたが人生を望むように生きているということだ。我儘である人は、他人にも本人が望むように生きてもらいたいと願うものだ。

  • 満足とは全てを得ることではない、自分の持っているものに満たされることだ。

  • 若いときの自分は、金こそ人生で最も大切なものだと思った。今、歳をとってみると、その通りだと知った。

  • 自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから

  • 敵を選ぶときには、いくら注意しても注意しすぎるということはない。

  • 男はつねに女の初恋の人になろうとする。女は男の最後のロマンスになろうとする。

  • あなたの注目を惹くことは私の歓びだ。それは私にとってあなたの心を捕まえたということなのだ。

  • 全ての欲しいものを手に入れないなら、手に入れられない者の中で、本当は欲しくないものについて考えるといい。

  • 教育は素晴らしいことであるが、真に知る価値のあることは教えられないということも覚えておいたほうがいい。

  • 皆が良い人間ではないが、誰にでも良いところはあるものだ。簡単に人を判断してはいけない。どんな聖人にも過去はあり、どんな罪人にも将来がある。

  • 世の中には不正よりもさらに悪いものがある。それは、力を持たない正義である。

  • 人間の持つ思想は、誰か他人の思想であって、その人生は擬態であり、その情熱は借用である。

  • 愛情のない結婚は悲劇だ。しかしまるっきり愛情のない結婚よりいっそう悪い結婚が一つある。それは、愛情はあるが片一方にだけ、という場合だ。

  • よい決心というものには、ひとつの宿命が付きまとっている。よい決心がつくのは、いつも時すでに遅しとなってからという宿命だ。

  • 人々の大部分はその他大勢にすぎない。彼らの意見は他の誰かの意見なのだ。彼らの生き方は誰かの真似で、彼らの情熱も受け売りだ。

    出典:  アルフレッド・ダグラス卿へ宛てた手紙

  • 忘れてはならない。知る値打ちのあるものは、すべて教えられないものだということを。

  • 噂されるよりもっと嫌なことがひとつだけある。噂もされないことだ。

オスカー・ワイルドに関連する名言

オスカー・ワイルドの残した名言を分析し、それらの名言の内容に近い名言を厳選して紹介します。

オスカー・ワイルドについて

オスカー・ワイルドはアイルランド出身で、イングランドで活躍した小説家、詩人。多彩な執筆活動を行い19世紀末の文学を代表する作家である一方、派手な私生活でも知られた。男色が忌避された時代に男色家として生き、それがもとで収監されるなど波乱の人生を送った。

1854年アイルランド生まれ。父は医師であった。オクスフォード大学を主席で卒業。この年に初の詩集「ラヴェンナ」を発表。代表作に「ドリアン・グレイの肖像」、「サロメ」、「幸福な王子」、「ウィンダミア卿夫人の扇」。奇抜な格好と派手な言動で知られ、女性、男性両方と性的関係を持つ男色家でもあった。1891年41歳の時、貴族の子族で作家をしていた男性、アルフレッド・ダグラス卿と恋仲になったことで、その親クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスから告訴された。これによりオスカー・ワイルドは投獄され、破産宣告までされてしまう。2年後に5万文字に及ぶ謝罪文を書くなど謝罪の姿勢を見せたことで、釈放される。しかしながら、既に世間からは見放されており、これ以降は、作家としての活動はままならなかった。さらに病気も患ってしまい釈放から3年後の1900年、失意の中脳髄膜炎で死去する。享年46歳。