北原白秋
詩人、歌人
北原白秋の名言
北原白秋の過去の名言をまとめた名言集です。
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自分の弱さを心から知り得たとき、人は真から強くなる。真の自分を見出す。
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他流を知ることは自己を知ることである。
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苦悩は我をして光らしむ、苦悩は我が霊魂を光らしむ。
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師は選ぶべきである。が、また弟子も選ばるべきである。
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この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる。
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誰もみな善い美しいものを見たときに、自分もまた善くならなければならない。と考へる貴重な反省。最も秀れた精神に根ざしたものは、人心の内奥から涙を誘ひ、洗ひ清めるのである。
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言葉の一つ一つはかの黒の朱のてんとう虫の如く、羽立てて鳴る。微かに鳴る。言葉の一つ一つはすべてが生ける言霊である。生物である。
出典: 北原白秋「北原白秋全集18 詩文評論4」
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二人デ居タレドマダ淋シ。一人ニナツタラナホ淋シ。シンジツ二人ハ遣瀬ナシ。シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。
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草を見る心は己自身を見る心である。 木を知るる心は己自身を識る心である。
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子供に還らなければ、何一つこのかたじけない大自然のいのちの流れをほんとうにわかる筈はありません。
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薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク ナニゴトノ 不思議ナケレド。
北原白秋の名言を見ている方へお薦めする名言
北原白秋の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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ここではみんな、すっかり笑うことを忘れてしまいました。おかげで、ちゃんとした笑いかたさえ、もうできなくなっている始末です。
アンネ・フランク アンネの日記の著者
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お金がないから遊べないんじゃなくて、遊ぼうとしないから遊べないんだ。
所ジョージ タレント、歌手
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鈍感であることって、大事じゃない?幸せにおいて。
マツコ・デラックス タレント
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私にとっての愛とは首にまとわりついた石のようなものだ。それは私を奈落の底に引きずり下ろす。しかし、私はその石が好きだ。それなしでは生きられないほどに。
アントン・チェーホフ 劇作家、小説家
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大疑は大進すべし、小疑は小進すべし、疑わざれば進まず。
朱子 儒学者
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私はいかに生きるかを考える間に、いかに死ぬかについて学んだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 画家、彫刻家
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幸福とは幸福を問題にしない時をいう。
芥川龍之介 作家
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体が太った原因は運動不足と食べ過ぎ、飲み過ぎでしたが、実は目標や夢を見失ってしまったことで、心までメタボになっていたんですね。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
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なんにでも興味を持つのは、行き先を見失った者たちだけだ。
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人間は、果てしなく賢明で、底しれず愚かだ。この壊れやすい地球に対してどう対処するのかは、ここ百年くらいで選択が決まる。でもこれは、やり直しのきかない、一度限りの選択になるだろう。
手塚治虫 漫画家
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この素晴らしい応用科学は労働を軽減し、生活をより豊かにしながら、なぜ我々に幸福をもたらしてくれないのか。答えは簡単である。我々がそれを有意義に利用するにいたっていないからである。
アインシュタイン 物理学者
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生きるか死ぬかは時機に任せよう。世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。
高杉晋作 長州藩士、維新志士
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仕事の中に喜びはある。何かを達成したという実感なしに、幸せはありえない。
ヘンリー・フォード フォード・モーター創業者
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傲慢でぶっきら棒で利己的になるのは、いともたやすいことです。でも私達は、もっと素晴らしいことの為に、創られているのです。
マザー・テレサ 慈善活動家、修道女
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他人と四六時中一緒にいるなんて、とても考えられない。ずっと1人でいたいの。
マツコ・デラックス タレント
北原白秋について
北原白秋は明治末期から昭和初期に活躍した詩人、歌人、童謡作家。新詩社の文芸雑誌「明星」で詩や短歌を発表して本格的に文筆活動を始め、やがて新詩社を脱退して「パンの会」の創立に参加。官能の解放を求める耽美派文学を展開した。
1885年(明治18年)海産物問屋や酒屋を営む商家に生まれる。中学生の頃から短歌を作り、雑誌に投稿していた。1904年(明治37年)早稲田大学入学。学業の傍ら詩作に励み、1906年北原白秋は新詩社に参加。新詩社で活躍していた与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知り合う。
1908年(明治41年)新詩社を木下杢太郎らとともに脱退し、若い詩人や洋画家らを集めてロマン主義・耽美的芸術運動の団体「パンの会」を創立した。1909年(明治42年)処女詩集となる「邪宗門」を、2年後には詩集「思ひ出」を発表。詩人・北原白秋として確固たる地位を築く。その作風滑らかな韻律と異国情緒・官能性豊かな象徴的作法が印象的で、ロマン主義を体現するものだった。その後も「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの眼玉」、「赤い鳥」などの童謡集、小説、歌集など意欲的に創作活動を行う。晩年は反自然主義のロマン主義から、自然賛美へと作風を転換した。1942年北原白秋は糖尿病と腎臓病により死去。享年57歳。