北原白秋

詩人、歌人

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北原白秋の名言

北原白秋の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 自分の弱さを心から知り得たとき、人は真から強くなる。真の自分を見出す。

  • 他流を知ることは自己を知ることである。

  • 苦悩は我をして光らしむ、苦悩は我が霊魂を光らしむ。

  • 師は選ぶべきである。が、また弟子も選ばるべきである。

  • この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる。

  • 誰もみな善い美しいものを見たときに、自分もまた善くならなければならない。と考へる貴重な反省。最も秀れた精神に根ざしたものは、人心の内奥から涙を誘ひ、洗ひ清めるのである。

  • 言葉の一つ一つはかの黒の朱のてんとう虫の如く、羽立てて鳴る。微かに鳴る。言葉の一つ一つはすべてが生ける言霊である。生物である。

    出典:  北原白秋「北原白秋全集18 詩文評論4」

  • 二人デ居タレドマダ淋シ。一人ニナツタラナホ淋シ。シンジツ二人ハ遣瀬ナシ。シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。

  • 草を見る心は己自身を見る心である。 木を知るる心は己自身を識る心である。

  • 子供に還らなければ、何一つこのかたじけない大自然のいのちの流れをほんとうにわかる筈はありません。

  • 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク ナニゴトノ 不思議ナケレド。

北原白秋の名言を見ている方へお薦めする名言

北原白秋の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

北原白秋について

北原白秋は明治末期から昭和初期に活躍した詩人、歌人、童謡作家。新詩社の文芸雑誌「明星」で詩や短歌を発表して本格的に文筆活動を始め、やがて新詩社を脱退して「パンの会」の創立に参加。官能の解放を求める耽美派文学を展開した。

1885年(明治18年)海産物問屋や酒屋を営む商家に生まれる。中学生の頃から短歌を作り、雑誌に投稿していた。1904年(明治37年)早稲田大学入学。学業の傍ら詩作に励み、1906年北原白秋は新詩社に参加。新詩社で活躍していた与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知り合う。

1908年(明治41年)新詩社を木下杢太郎らとともに脱退し、若い詩人や洋画家らを集めてロマン主義・耽美的芸術運動の団体「パンの会」を創立した。1909年(明治42年)処女詩集となる「邪宗門」を、2年後には詩集「思ひ出」を発表。詩人・北原白秋として確固たる地位を築く。その作風滑らかな韻律と異国情緒・官能性豊かな象徴的作法が印象的で、ロマン主義を体現するものだった。その後も「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの眼玉」、「赤い鳥」などの童謡集、小説、歌集など意欲的に創作活動を行う。晩年は反自然主義のロマン主義から、自然賛美へと作風を転換した。1942年北原白秋は糖尿病と腎臓病により死去。享年57歳。