有島武郎

小説家

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有島武郎の名言

有島武郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 愛と憎しみとは、相反する心理的作用の両極を意味するものではない。憎しみとは、人間の愛の変じたひとつの形式である。愛の反対は憎しみではない。愛の反対は愛しないことだ。

    出典:  有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」

  • 前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。

    解説:  札幌農学校から1期生が卒業するときの別れの言葉

  • 死にさえすれば、殊に若死にさえすれば、
    大抵の奴は天才になるに決まっているんだ。

  • 畏れることなく醜にも邪にもぶつかってみよう。その底に何があるか。もしその底に何もなかったら人生の可能性は否定されなければならない。

  • お前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、あるいはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。

    出典:  有島武郎「小さき者へ」

  • 私に取っては、私の現在はいつでも最大無限の価値を持っている。 私にはそれに代うべき他の何物もない。

  • 小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは心一つだ。

  • 愛を優しい力と見くびった所から、生活の誤謬は始まる。

  • 神を信じないと云うのは恐ろしい事だ。神を信じると云うのも恐ろしい事だ。

  • 己を主とする以上、他人にも同じ心持ちのあるのに注意しよう。

  • 私は私のもの、私のただ一つのもの、私は私自身を何者にも代え難く愛することから始めねばならない。

  • 自分というものと不分不離の仕事を見出す事。而して謙遜な心持でその仕事に没頭する事。

  • 向かおうとする私などにわずらわされていてはならない。たおれた親を食い尽くして力を蓄える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出していくがいい。

  • 憎しみとは人間の愛の変じた一つの形式である。

  • 労働をなさざる人に真性の快楽は決して与えられず

  • 私の経験が私に告げるところによれば、愛は与える本能である代わりに奪う本能であり、放射するエネルギーである代わりに吸引するエネルギーである。

  • 神は急がないのに、人だけは何を苦んで焦り急ぐのだ。

  • 不幸なそして同時に幸福な、お前たちと父と母との祝福を胸にしめて、人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け・勇んで。小さき者よ。

    出典:  有島武郎「小さき者へ・生れ出づる悩み」

  • 孤独なものは自分の掌を見つめることにすら熱い涙をさそわれる。

  • 痛ましい陣痛の苦しみであるとは云え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒やされなければならぬ苦しみだ。

    出典:  有島武郎「小さき者へ・生れ出づる悩み」

  • よく愛するものはよく憎む事を知っていると同時に憎むことのいかに苦しいものであるかを痛感し得るものだ。

    出典:  有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」

  • 容易な道を選んではならぬ。近道を抜けてはならぬ。

  • 愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし愛の本体は惜しみなく奪うものだ。

    出典:  有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」

  • お前たちの若々しい力はすでに下り坂に向かおうとする私などにわずらわされていてはならない。たおれた親を食い尽くして力を蓄える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出していくがいい。

    出典:  有島武郎「小さき者へ・生れ出づる悩み」

  • 私が子供に対して払った犠牲らしく見えるものは、子供の愛によって酬いられてなお余りがある。

  • 私にとっては現在を唯一の宝玉として尊重し、それを最上に生き行くほかに残された道はない。 私はそこに背水の陣をしいてしまったのだ。

  • お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。

  • 僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが、過去世があろうが、この一生が大事だと思いますよ。

    出典:  有島武郎「或る女」

  • 死ぬまで少年の心でいることのできる人は実に幸いである。

  • 諸々な力が男の心の中で奇跡を働く、
    然し女の心の中で奇跡を働くものは恋愛のみだ。

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有島武郎について

有島武郎は明治から大正にかけて活躍した日本の小説家、評論家。同人誌「白樺」に参加し、人道主義文学の代表的作家として活躍した。

1878年(明治11年)東京都小石川(現文京区)で大蔵官僚の有島武の長男として生まれる。1897年(明治30年)学習院中等全科を卒業し、札幌農学校(現北海道大学)入学。当時の札幌農学校はお雇い外国人の影響でキリスト教に改宗する者が多く、有島武郎も1901年キリスト教に入信。卒業後ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学ぶ。1907年(明治40年)に帰国し、札幌農学校が改組された東北帝国大学農科大学で英語を教える。この頃、キリスト教へ疑問を持ち信仰を捨てた。

その後志賀直哉、武者小路実篤らと出会い、1910年(明治43年)創刊の同人誌「白樺」に参加。「二つの道」、「或(あ)る女のグリンプス」、「宣言」などを発表。1914年(大正3年)妻の病気療養のため上京し、ほどなくして東北帝国大学農科大学を退職。1916年(大正5年)年妻が死去すると本格的に有島武郎は執筆活動に打ち込み、「カインの末裔」、「生れ出づる悩み」、「迷路」、「或る女」などを発表。1922年(大正11年)、当時社会に蔓延していた社会主義的な風潮に対し疑問を呈し、知識人のあるべき姿を問いかける「宣言一つ」を発表。さらに、資本家としてのあり方を示し、自らを改造するため北海道に所有していた有島農場を開放し、共生農園を建設した。1923年(大正12年)有島武郎は「婦人公論」記者で人妻であった波多野秋子と恋に落ちるが、夫に知られ脅迫を受ける。同年6月秋子とともに首吊り自殺で心中した。享年45歳。