小林多喜二

小説家

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

小林多喜二の名言

小林多喜二の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 世の中は、幸福ばかりで満ちているものではない。不幸であるから幸福がある。そこを忘れないでくれ。

  • 困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。

  • 闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光のありがたさが分かるんだ。

    出典:  小林多喜二が恋人へ送った手紙

  • ささやかな普通の生活こそが「光」

    出典:  小林多喜二が恋人へ送った手紙

  • 資本家は――金利貸し、銀行、華族、大金持ちは、嘘のような金を貸しておけば、荒地は肥えた黒猫のような豊穣な土地になって、間違いなく、自分のものになってきた。

    出典:  小林多喜二「蟹工船」

  • 「人間の命をなんだって思ってやがるんだ!」 「人間の命?」 「そうよ。」 「ところが、浅川はお前たちをどだい人間だなんて思っていないよ。」

    出典:  蟹工船

  • おい地獄さ行ぐんだで!

    出典:  蟹工船

小林多喜二の名言を見ている方へお薦めする名言

小林多喜二の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

小林多喜二について

小林多喜二は庶民や労働者の直面する厳しい現実を描き、日本のプロレタリア文学を代表する小説家となった。特に「蟹工船」で知られる。その内容が不敬罪に問われ特別高等警察に逮捕されて拷問で死亡した。

1903年(明治36年)秋田県に農家の次男として生まれる。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、北海道拓殖銀行に入社。この頃から労働農民党の選挙活動を手伝い始める。1928年(昭和3年)、政府が共産主義者を弾圧した「三一五事件」が起こる。小林多喜二はこれに反発し、三一五事件での拷問の様子を描いた「一九二八年三月十五日」を発表。世間から注目を浴びるとともに、特高警察からは目をつけられてしまう。

翌1929年、小林多喜二は北洋漁業に従事する労働者たちの過酷な現実を描き、財閥と大日本帝国軍の癒着を暴いた「蟹工船」を発表。蟹工船は文壇で高く評価され、小林多喜二の名声は一気に高まることになった。しかし一方で天皇の軍である帝国軍を批判する内容が問題視され、不敬罪に問われてしまう。小林多喜二は拓銀を解雇され、日本共産党に入党。警察の目を逃れながら隠れて活動するようになる。1933年(昭和8年)スパイによって呼び出された小林多喜二は待ち構えていた特高警察に逮捕され、同日夜死亡が確認された。警察による発表によると死因は心臓麻痺であったが、遺体は全身が内出血するなど拷問の跡が残っていたという。享年29歳。