宮沢賢治

童話作家、詩人

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宮沢賢治の名言

宮沢賢治の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 真の幸福に至れるのであれば、それまでの悲しみは、エピソードに過ぎない。

  • 人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ。

  • すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かわいそうなものである。けっして憎んではならん。

  • ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく。

    出典:  宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

  • 諸君はこの時代に強いられ率いられて、奴隷のように忍従することを欲するか。むしろ諸君よ。あらたな正しい時代をつくれ。宙宇は絶えずわれらに依って変化する。潮汐や風、あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで、諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ。

  • 何がしあわせかわからないです。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら、峠の上りも下りもみんな、本当の幸せに近づく一足づつですから。

    出典:  宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

  • もう決してさびしくはない。なんべんさびしくないと言ったとこで、またさびしくなるのは決まっている。けれどもここはこれでいいのだ。すべてさびしさと悲傷とを焚いて、人は透明な軌道をすすむ。

  • 自分が真実から目をそむけて子どもたちに本当のことが、語れるのか。

  • あなたの方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが、わたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらとすきとおった風ばかりです。

  • 誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねぇ。

  • 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい

  • 人はやるだけのことはやるべきである。けれども、どうしてもどうしても、もうできないときは落ちついてわらっていなければならん。おちつき給え。

  • かなしみはちからに、欲りはいつくしみに、いかりは知恵にみちびかるべし。

  • 永久の未完成これ完成である。

  • 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

  • 我々が出来ることは、今を生きることだけだ。過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない。

  • 雨にも負けず 風にも負けず 褒められもせず 苦にもされず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 慾はなく 決して怒らず そういうものに 私はなりたい

  • 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

  • 人間は他人のことを思いやって行動し、良い結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づくほんとうの「幸せ」なのである。

  • ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいま、かんがえているのだから。

  • 無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐欺である。

  • どうも、ちょうどよく働くことほど、体に良い事は無いですな。

  • 諸君よ。紺色の地平線が膨らみ高まるときに、諸君はその中に没することを欲するか。じつに諸君はその地平線に於る。あらゆる形の山岳でなければならぬ。

  • 優秀な人間は議論や分析が先行し、それで終わってしまうことが多い。行動に移さねば意味がない。

  • いまこそおれは さびしくない たったひとりで生きて行く こんなきままなたましひと たれがいっしょに行けようか

    出典:  宮沢賢治「春と修羅」

  • さあ涙を拭いてきちんと立て。もうそんな宗教風の恋をしてはいけない。

  • 僕もうあんな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。

  • 一つずつの小さな現在が続いているだけである。

  • 誓って言うが、わたくしはこの仕事で疲れを覚えたことはない。

  • すべてがわたくしの中のみんなであるやうに、みんなのおのおののなかのすべてですから。

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宮沢賢治について

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」、「注文の多い料理店」などで知られる童話作家、詩人。生前の宮沢賢治はほぼ無名に近かったが、生前に雑誌への寄稿で縁のあった草野心平がその作品を紹介し、知名度が高まっていった。

1896年(明治29年)岩手県花巻市に父・政次郎、母イチの長男として生まれる。父は質屋兼古物商を営んでいた。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業。この頃、研究生として稗貫郡土性調査に出かけて肋膜炎を患った。1921年稗貫農学校(のちに岩手県立花巻農学校)の教員となる。宮沢賢治は教員としての仕事をしながら作家活動を始め、「蜘蛛となめくじと狸」、「双子の星」などの童話を完成させる。続いて「愛国婦人」誌に童話「雪渡り」を発表。さらに宮沢賢治は詩集「心象スケッチ 春と修羅」、童話「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」を刊行するがほとんど売れなかったという。1925年草野心平の同人誌「銅鑼」に参加。翌年病弱だったこともあって花巻農学校を退職し、宮沢賢治は親の所有する別宅で農業に従事しながら療養する。以降、農業をしながら作家活動を続け童話「グスコーブドリの伝記」を発表する。1933年急性肺炎により死去。享年37歳。