川端康成

小説家

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

川端康成の名言

川端康成の過去の名言をまとめた名言集です。

  • ささいなことが私たちを慰めるのは、ささいなことが私たちを悩ますからだ。

  • 今日の結婚は明日の喜びか悲しみかわからないのを、ただ喜びであれと祈り、喜びであろうと夢見る。

  • 夫婦というものは、どこか親子だよ。時には亭主が父親のつもりになったり、時には細君が母親のつもりになったり。それでないと上手くゆかない。

  • 日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね。

  • 誰にもかれにも、同じ時間が流れていると思うのはまちがいだ。

  • 自分の年とってゆくのを忘れさせてくれるのは子供しかないってことは、あらゆる生物の楽しい悲劇ですよ。

  • 一人のよき友は、地上のすべての宝玉よりも、どんなに勝っていることか。

  • 人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ。

  • 健全な愛は健全な人にしか宿らないものだよ。

  • 騙されないで人を愛そう、愛されようなんて思うのは、すいぶん虫のいい話だ。

  • たとえばどんなにいいことにしろ、それを知るべき年齢よりも早くそれを知れば、それは悲劇の色しか帯びない。

  • 死んだ者の罪を問わないのは、今は生きていてやがて死ぬ者の、深い真理かもしれませんよ。

  • 自分は「怠け者」であり、川端文学は「怠け者の文学」である。

  • 忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ。

    出典:  川端康成「眠れる美女」

  • この世で最も深い愛を、感謝するにも及ばないほど当然だと、子供に思わせるのみ、母というものは子に必要である。

  • 死んだ時に人を悲しませないのが、人間最高の美徳さ。

  • 二人の結婚は美しかった。なぜなら彼女は離婚する力を持っていたから。二人の離婚もまた美しかった。なぜなら彼女は友達となれる心を持っていたから。

  • 僕は生きている方に味方するね。きっと人生だって、生きている方に味方するよ。

  • 一輪の花は百輪の花よりもはなやかさを思わせるのです。

  • 犠牲を清らかならしめよ。自分を犠牲にした者は、自分を犠牲にしたことを忘れるのが、美しい犠牲の完成なのだ。

  • 霊魂が不滅であるという考え方は、生ける人間の生命への執着と死者への愛着とのあらわれでありましょう。

  • あの作品は睡眠薬を飲んで書いたから、私にも訳わからないんですよ。

  • どんな花かて、見る時と場所とで、胸にしみることがあるもんや。

  • 後に残ったものの反省や後悔は、死んだ人の重荷になりそうに思いますの。

  • 四十歳五十歳という風に、十を境にして生涯を区切ることは、一種の便宜であり感傷であって、半ばは人間の緩怠の性癖に過ぎないだろう。

  • そう、君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女房が恐ろしくてうちへ帰れないで、夜中に外をさまよっているのは、いくらでもいるんだよ。

  • 力を入れようと思った時には済んじゃっているんです。

  • 一生の間に一人の人間でも幸福にすることができれば自分の幸福なのだ。

    出典:  川端康成「拳の小説 一人の幸福」

  • 「ものは考えよう」は、ものを考えまいとする、ずるいごまかしですよ。

  • いかに現世を厭離するとも、自殺は悟りの姿ではない。いかに徳行高くとも自殺者は大聖の域に遠い。

川端康成の名言を見ている方へお薦めする名言

川端康成の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

川端康成について

川端康成は近現代の日本文学を代表する小説家。初期には作家として西洋の新衛文学を取り入れた新しい感覚の小説を書き、「新感覚派」の作家の一人として注目された。後期には人間の醜悪さや非情さを描きつつも、同時に美や愛など人間の素晴らしさも描き数々の傑作を残した。1968年日本人として初めてノーベル文学賞を受賞。

1899年(明治32年)大阪府大阪市北区生まれ。父は開業医であった。1920年川端康成は東京帝国大学文学部英文学科に入学。大学に入学すると同級生らと文学同人誌「新思潮」を創刊した。そこで発表した小説「招魂祭一景」が菊池寛らに高く評価され、川端康成の小説家としての名声は一気に高まった。1924年に大学を卒業すると横光利一、片岡鉄兵、中河与一、佐佐木茂索、今東光らと同人雑誌「文藝時代」を創刊。1926年には文藝時代で「伊豆の踊子」を発表。1929年東京朝日新聞に「浅草紅団」を連載。これが人気を呼び流行作家の仲間入りを果たす。その後「雪国」、「舞姫」、「千羽鶴」、「山の音」、「古都」などの傑作を残し、1968年に川端康成は日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した。1972年川端康成は自宅マンションでガス自殺しているのを発見された。遺書などは残っていなかったという。享年72歳。