新渡戸稲造

教育者、思想家

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新渡戸稲造の名言

新渡戸稲造の過去の名言をまとめた名言集です。

  • ものごとには明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、自ずから愉快な念が湧いてくる。

  • 大学に入って何の職業に就いて、何ほどの月給をもらうかなどということは、そもそも末のことで、もっと大きなところへ到達しなければならない。

  • もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である。

  • いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、おのれに十五分の力があることがわかってくる。

  • この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない。

  • 信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。

    出典:  新渡戸稲造「武士道」

  • 大学の教育となってくると単純なる良民ということだけでなく、良民のリーダーを造るのである。

  • 武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。

    出典:  新渡戸稲造「武士道」

  • 名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。

    出典:  新渡戸稲造「武士道」

  • とにかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。

  • 武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。

  • 教育の多くは、あるきまり文句を教えられたとおりに機械的にくりかえすことであって、その意味については、若い魂は何一つ解っていないのである。

  • 勇気が人の精神に宿っている姿は、沈着、すなわち心の落ち着きとしてあらわれる。

  • バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である。

  • 人間は国家より大きい。人間は自分の内に、この世の国や、国家の一切の主張を超越するものを待っている。人間の無限の魂を、国家の限られた枠組の中に閉じ込めることはできない。

  • 人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。

  • 近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない。

  • 昔は士というと、一種の階級であった。今はそうではない。社会的の階級でなく、頭の階級である。相当な教育を受けたものは、みな士となるものである。学士などは即ち士だ。士格のものである。士は所謂指導者である。英語でいうリーダーである。

  • 勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る方の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。

  • 人は誰しもいったん安定した世界に身を置くと、精神もそれにならって俗化し、理想を忘れてだんだん怠惰になっていくようだ。青春時代に描いた夢や理想とは、かけはなれた生活をしながらも、自分を磨こうという気持ちすら忘れ、そのぬるま湯の心地よさにいつしか慣れて、満足に本も読まず、堕落した生活を送るようになっていくのである。

  • 死を軽蔑するのは勇敢な行為である。だが生きることが死ぬことよりつらい場合、まことの勇気はあえて生きることである。

  • なにがひとの魂を満たすのだろう。名誉を与えられても、それは空虚なものであることがわかってしまう。富を与えられたとて、飽きてしまう。知識を与えられると、さらに欲しくなる。ただ愛、純粋で無私の愛だけが、この永遠の疑問に答え、この無限の渇望を満たしてくれるのである。

  • 数世紀の試練を乗り越えた書物のなかに我々は、困窮における富、悲しみにおける歓喜、そして孤独における絆を見いだすのである。

  • 勇気がある人というのは、心の落着きが姿にあらわれているものです。

  • 真の学問は筆記できるものではない。筆記できる部分は滓である。真の学問は行と行との間にある。

  • 例えば、宗教家が神は存在すると言う。これは事実とは言えない。けれども真理である。

  • いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常に、「もう少しだ」と言って進むといい。やがて必ず前途に光がさしてくる。

  • 逆境にある人は常に「もう少しだ」と思って進むがよい。いずれの日か、前途に光明を望むことを疑わない

  • ちょっとした誇りと羞恥の心が入り交じった気分のまま告白する。私は少年のときから、「好き嫌い」を超越しようとつとめてきた。

  • 義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる。

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新渡戸稲造について

新渡戸稲造は札幌農学校教授、東京女子大学初代学長や東京女子経済専門学校(現・新渡戸文化短期大学)初代校長だった教育者で、国際連盟事務次長を務めたこともある。著書「武士道」(Bushido: The Soul of Japan)や五千円札の肖像で有名。

1862年(文久2年)現在の岩手県盛岡市生まれ。父は盛岡藩士だった。農学を学ぶため札幌農学校(現・北海道大学)に2期生として入学。当時の札幌農学校ではお雇い外国人の影響でキリスト教が広まっており、新渡戸稲造も同様にキリスト教にのめり込んでいたという。大学卒業後は北海道庁に勤務していたが、学問の道を目指して東京帝国大学(現・東京大学)に進学するが、ほどなく退学。1884年(明治17年)ジョンズ・ホプキンス大学に私費留学する。この頃、新渡戸稲造は正式にキリスト教友会徒の会員となった。ジョンズ・ホプキンス大学留学中に札幌農学校助教授に任命され、今度はドイツに渡ってボン大学・ハレ大学(現・マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)で学び、ハレ大学で農業経済学の博士号を得た。帰国後札幌農学校教授となる。その後新渡戸稲造体調を崩してしまいカリフォルニアで療養。この頃、日本の武士道精神の解説書「Bushido: The Soul of Japan」(日本名「武士道」)を英文で書き上げた。武士道はアメリカでベストセラーとなって各国語に翻訳もされた。帰国すると台湾総督府技師、京都帝国大学法科大学教授、第一高等学校校長、東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学学長、津田塾顧問などを歴任する。1920年国際連盟設立にあたって、国際的に知名度の高かった新渡戸稲造が事務次長のひとりに選ばれ、7年間にわたって事務次長を務めた。1928年(昭和3年)東京女子経済専門学校(のち新渡戸文化短期大学)の初代校長に就任。1933年出血性膵臓炎のため死去。享年72歳。