吉野作造

政治学者、思想家

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吉野作造の名言

吉野作造の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人は機会さえ与えらるれば、何人でも無限にその能力を発揮するものである

  • いかなる思想にせよ、暴力をもって圧迫することは絶対に排斥せねばならぬ。

  • デモクラシーなる言葉は、少なくとも2つの異なった意味に用いられておるように思う。一つは「国家の主権は法理上人民にあり」という意味に、又もう一つは「国家の主権の活動の基本的な目標は政治上人民にあるべし」という意味に用いられる。

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吉野作造の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

吉野作造について

吉野作造は大正デモクラシーを主導した政治学者、思想家。東京帝国大学教授となり、「中央公論」誌上などで民本主義を唱え、普通選挙の実施、政党内閣制などを主張し、一方で軍閥を激しく非難した。

1878年(明治11)年現在の宮城県・大崎市生まれ。東京帝国大学に入学し、政治学を学ぶ。1907年(明治37年)東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。大学院に進む。1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学助教授となる。その後吉野作造は1910年から3年間欧米留学。1914年(大正3年)同大教授に昇進。この年、「中央公論」の編集主幹・瀧田樗陰の依頼で、同誌上に「学術上より見たる日本問題」、「民衆的示威運動を論ず」の二つの評論を発表。吉野作造は「中央公論」を通じて日本の政治のあり方に対する見解を表明した。1916年中央公論に「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表。大正デモクラシーの代表的な論客と言われるようになる。同年、民本主義を主張する学者、思想家を結集して言論団体「黎明会」を結成。1924年(大正13年)吉野作造は東京帝大教授の職を辞し、朝日新聞に入社し、編集顧問兼論説委員を務める。しかし、同社主催の講演および同紙掲載の論説が政府の怒りを買い、同年朝日新聞を退社して東京帝大法学部非常勤講師となる。東京帝大に戻った吉野作造は歴史研究団体「明治文化研究会」を組織。「明治文化研究会」石井研堂・尾佐竹猛・小野秀雄・宮武外骨・藤井甚太郎ら民間の研究者を中心に結成され、おもに明治憲法体制を検証することを目標とした。1927年女子経済専門学校(現・東京文化学園)教授兼理事に就任。1933年死去。享年55歳。