柳田國男

民俗学者

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

柳田國男の名言

柳田國男の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今人はまさに笑いに飢えている。

    出典:  柳田國男「不幸なる芸術・笑の本願」

  • 学問は興味から、もしくは好奇心からはいったものがもっとも根強い

  • 我々が空想で描いて見る世界よりも、 隠れた現実の方が遥かに物深い

  • 学問は結局、 世のため、人のためでなくてはならない。

  • 学問だけは、幸いに其の方法さえ誤らなければ、行く行くこの人類の苦悩を、済い得るものと信ず。

  • 一国の学問をになう力――学問に活力を賦与するものは、 むしろ学問を職業としない「俗人」の学問活動ではないだろうか。

    出典:  「現代政治の思想と行動」

  • 学問をするならば活きた学問、 目の前の学問から片付けて行かねばならぬ。

  • 本を読むということは、大抵の場合には冒険である。だからまた冒険の魅力がある。

  • 歴史が教える最も実際的な知恵は、民族が進展の可能性を持っていることである。

  • 自分の故郷を殺さないと、人は一人立ちできない。

  • 日本の男子には妙な習癖があって、不景気な考え方や引っ込み思案な意見を持っていくと否定され、明らかに無謀な積極政策を提案すると、大抵は威勢がいいの進取的だのと言って誉められる。

  • 私はいつも現在にとらわれている

  • 言葉さえあれば人生のすべての用は足りるという過信が行き渡り、人々は一般に口達者となった。

    出典:  「涕泣史談」

  • 人の人格があるように、村には村格がある。

  • うずもれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学。

  • 今の時代は心を軽んじて言葉を愛し、思わぬことでも言ってしまおうとする世の中である。

  • 民俗学を古い昔の穿鑿から足を洗わせたい。現代科学の一つにしなければならない。

  • 言葉は土の中から生まれた。ことばを知らなければ土と人間の関係はわからない

柳田國男の名言を見ている方へお薦めする名言

柳田國男の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

柳田國男について

柳田國男は日本の民族学を創始した民俗学者。日本国内の各地を旅して民俗・伝承を調査し、それらを出版して日本の民俗学の確立に尽力した。代表作に「遠野物語」、「蝸牛考」、「石神問答」、「海上の道」がある。「遠野物語」では岩手県遠野市の神、妖怪、年中行事などについての民間伝承を整理した。「蝸牛考」は日本各地でのカタツムリの呼び名を調査し家方言周圏論を展開。「石神問答」は見本で崇められる各種の石神を考察。「海上の道」は日本文化の起源を沖縄の南方に求め、日本民族の渡来について言及。

1875年(明治8年)現在の兵庫県神崎郡に、儒学者・医者の松岡操の六男として生まれる。学生時代は文学に興味を持ち、歌人・松浦辰男に入門。第一高等中学校在中、柳田國男は「文學界」「國民之友」「帝國文学」などに歌や詩を投稿していた。東京帝国大学に入学後の1897年(明治30年)田山花袋、国木田独歩らと「抒情詩」を刊行。

1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業すると柳田國男は農商務省に入省。1901年(明治34年)かつて飯田藩の藩士だった柳田家の養子に入る。1910年(明治43年)新渡戸稲造らと郷土文化の実地調査と研究を行う「郷土会」を結成。1920年(大正9年)貴族院書記官長となっていた柳田國男は退官して東京朝日新聞社客員論説委員となる。翌年には国際連盟委任統治委員に就任。その傍ら郷土文化の研究も進め、雑誌「郷土研究」を刊行。柳田國男は郷土文化研究の成果を「遠野物語」、「蝸牛考」、「石神問答」、「海上の道」などで出版し、日本の民俗学の創設に寄与した。1962年(昭和37年)心臓衰弱により死去。享年87歳。