ジョン・メイナード・ケインズ

経済学者

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ジョン・メイナード・ケインズの名言

ジョン・メイナード・ケインズの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 市場はアニマルスピリッツ(野性的な勘)によって動くのであって、理由によってではない。

  • 明確に間違っているよりも、おおよそ正しくある方が良いのだ。

  • 今日、経済学にとっての主要な課題は、おそらく、政府の「なすべきこと」と「なすべからざること」を改めて区別し直すことである。

  • 自分の代は絶対的ニーズの時代だが、孫の代には相対的ニーズの時代になるだろう。

  • 十分な結果を引き出すためには将来の長期間を要するような、何か積極的なことをしようとする我々の決意のおそらく大部分はアニマル・スピリッツ――不活動よりもむしろ活動を欲する自生的衝動――の結果としてのみ行われるものであって、数量的確率を乗じた数量的利益の加重平均の結果として行われるものではない。

  • 船は港にいれば安全だが、それでは船の用をなさない。

  • 投機家は企業活動の着実な流れに浮かぶ泡沫であれば、害にはならないだろう。しかし、企業活動が投機の渦巻きに浮かぶ泡沫になれば、深刻な事態になる。一国の資本の発展がカジノの活動の副産物になった時、資本を発展させる仕事はうまくいかない可能性が高い。

  • 私は、賢明に管理されるならば、資本主義は現在の視界に存在するいかなる代替的システムよりも、経済的目的を達成するのにおそらくより効率的なものにすることができると考えている。しかし私は、それは本質的には多くの点できわめて不快なものであるとも考えている。我々の問題は、満足な生活様式についての我々の観念を害することなく、可能なかぎりの効率的な社会組織を考案することである。

  • 全ての生産は、究極的には顧客を満足させるために行われる。

  • プロ投資家にとって問題なのは全投資期間に渡る利回りについてのベストの予測ではなく、一般投資家より一歩でも早く価格形成の変化を先取りすることである。彼らは長期保有のための評価ではなく、3ヶ月ないし12ヶ月先に投資家心理が市場に与える影響に関心がある。

  • 富の蓄積が社会的に重要でなくなったら、社会道徳に大きな変化をもたらすことになる。200年間我々を支配してきた偽りの道徳から離れることとなり、最も不愉快とされてきたことを最高の美徳とみなすようになるだろう。

    出典:  「The collected writings of John Maynard Keynes」

  • 経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには扇動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではない。

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ジョン・メイナード・ケインズについて

ジョン・メイナード・ケインズは20世紀前半に活躍したイギリスの経済学者。購買力に基づいた需要である、「有効需要」の概念を用いて財政政策や金融政策を用いた政府の総需要管理の重要性を解き、世界各国の経済政策に重大な影響を与えた。

1883年イギリス・ケンブリッジ生まれ。父はケンブリッジ大学の経済学者であるジョン・ネヴィル・ケインズ。エリート養成校のパブリックスクールであるイートン・カレッジを卒業後、ケンブリッジ大学に入学し、数学を専攻。1906年にケンブリッジ大学を卒業後は、政府の官僚となり、インド省に配属された。しかし、役人生活には馴染めず2年間働いた後にケンブリッジ大学に戻り、確率論を研究した。1909年、経済誌エコノミック・ジャーナルに初めての経済論文を掲載。内容はインド経済の不況についてであった。その後ケインズは1911年にエコノミックジャーナルの編集員になっている。1913年初めての著書「インドの貨幣と財政」を出版した。1915年第一次世界大戦勃発による経済の混乱に困った政府から要請され、イギリス政府の財務省で働く。ケインズは第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約締結にもイギリス財務省の代表として関わった。

その後ケインズは本格的に学者として活動し、1921年「確率論」、1923年「貨幣改革論」を発表。1925年には金本位制復帰を進める首相・チャーチルを批判する「チャーチル氏の経済的帰結」を発表。さらに1926年「自由放任の終わり」、1930年「貨幣論」を発表した。

1929年ごろからアメリカを震源地に始まった世界恐慌は、株価の暴落や失業率の急上昇を世界各国にもたらして経済を大混乱に陥れ、急激な景気変動が世界的な問題となっていた。そのような中で1936年ケインズは「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表。不況や失業が発生させるのは需要が足りないことによって、生産水準が低く抑えられるためであると説き、短期的な需要の創出のために政府が積極的に財政政策や金融政策を行うべきであると主張した。このケインズの主張は、その後世界各国が不況対策として積極財政、金融緩和策を行うにあたっての理論的裏付けとなって、世界中に大きな影響を与えた。1941年ケインズはイングランド銀行の理事に就任、1942年には男爵の爵位を受けた。1946年心臓発作により死去。享年62歳。