竹中平蔵
経済学者、政治家
竹中平蔵の名言
竹中平蔵の過去の名言をまとめた名言集です。
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世界最高の生活水準を維持しようと思ったら、それにふさわしいだけの能力を付ける必要がある。そうでなければ、生活水準が下がるのは当たり前です。もはや、そういう世界になっているんです。それが嫌ならば、努力するしかない。
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「ここまでしかできていない」と考えるか、「ここまでできた」と考えるかで見え方は180度変わる。
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日本の自動車産業はなぜ強いか。それは世界と競争してきたからです。日本の農業はなぜ弱いのですか。それは競争をしてこなかったからです。
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世界に何が貢献できるかを考えることが、グローバルな考え方を持つことにつながります。
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あなたには「貧しくなる自由」があります。でも「貧しくならない自由」もある。何事も、自分で決めるということです。大事なことは、チャンスを自分でつかむこと。
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働く立場として世界に目を見やれば、今なお日本はいい国です。勉強しようと思えばできて、ちょっと働いたら車が持てる。それは世界から見れば夢のような国です。その素晴らしさを若い人は再認識してほしい。だからこそ、新しいことを恐れず、積極的に挑んでほしい。
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既存のものに新しいものを持ち込もうとしたとき、必ず反対意見が出ますが、ある時は説得して、ある時は権力をもって反対派を抑える。そして組織を進化させていく。それがまさにイノベーションのプロセス。
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企業は人財と資金とノウハウの生きた集合体ですから、資金やノウハウが十分にあっても、人財がなければうまくはいきません。
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「自分の目で将来を見ることができる」「説明する力を持っている」「組織を動かす力を持っている」。この3つが、リーダーの条件。
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絶対に理想を忘れるな。自分は何をやりたいのか、夢を追え。その代わり、自分の足元もちゃんと耕せ。それがいつか必ず結びついてくる。
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何かを選択するということは、間違いなく別の何かを捨てることなのです。
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「日本が輝きを取り戻す時代はもう来ない」と考える向きもあるようですが、それは私たちの努力次第でしょう。日本の先行きは暗いとよくいわれますが、優秀な人材と技術を日本は持っている。それを活用して、もっと世界に出ていくべきなのです。日本の人口は減少傾向にありますが、世界の人口は増え続けています。大事なことは、チャンスを自分でつかむことです。
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これまで日本は、常に変化してきた。むしろおかしいのは、今の日本です。変化に対して、ものすごく臆病になっている。それは現状が快適だからです。日本は快適すぎて、変われないでいる。しかし未来を切り拓くためには、変化を恐れてはならない。
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組織が大きくなるほど、細部まで情報が行き渡りません。しかし、業績を上げている会社は、物事に対する姿勢が上から下まで徹底しているものです。
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日本が急激な変化が不得意だと言われていますが、実際は逆で急激にしか変われない。明治維新もそうでした。明治維新は世界に誇るショック・セラピーで、日本はショック療法の国なのです。
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手を打たなければならないなら、追い詰められてから慌てるよりも前もって準備して手を打った方が良い。対策が遅れれば遅れるほど、それを是正するためのコストは多く掛かる。
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人生の糧になるのは小さな失敗を繰り返すことです。いかに大きな失敗をせずに、小さな失敗を許容できるかがベンチャーの成長にとっては重要です。
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チャレンジするという言葉が経営の全て。とにかく批判せずにやってみる事が重要。
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諦めて成功する努力を止めてしまえばすべては終わり。自分が諦めないかぎり、終わりは来ない。
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日本はもともと、非常にオープンな国だった。だけれども、今は極端に内向きになっている。だから歴史から学ぼうと言いたい。
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日本はパーツで良いものを持っていても、システム化するのが苦手です。自動運転車を見ても、確かに日本のセンサーは優れています。しかし、道路交通法で「車の運転は人が行うもの」と定められているため、公道で実験できません。これではイノベーションは起きない。日本はそういった弱さが克服できていません。
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私の最初のキャリアは政府系の銀行でした。そこで多くの企業の審査をして、1つだけ学んだことがあります。それは、いい企業というのは社長から末端の従業員まで同じことを言う。同じ問題意識を持っており、コミュニケーションが図られています。
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コロンビア大学のインドから来た留学生がフォーチュン500の経営者・CEO全員にアンケート調査を行いました。「あなたが大会社のトップになれたのはなぜだと思いますか」という質問をしたところ、一番多かった回答は、「自分のやりたいことを仕事にしたからだ」という答えだったそうです。
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良い経営者は皆、共通して話し上手です。自分が良いことを考えているだけではなく、周りの人を説得しなければいけません。
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ポピュリズムとは、政治家が「皆の言う事を聞いてあげますよ」という政治。健全な民主主義とは、リーダーが「皆辛いかもしれないけどこうしよう。そうすれば日本がこう変化できる」という政治。
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残業は目の前のことに取り組んでいるから、その瞬間は充実感があります。しかし、長期的に考えてみると、もっと別にすべきことがあるかもしれません。
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私は田舎の商店街の生まれ育ちだから、もとより失うものもありません。
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小さな問題でも、解決することで組織は大きく前進することがよくある。
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将来に不安を感じるよりも、不安とどう戦うかを考える方が、正しい姿勢。将来を切り開くには、不安ではなく、強い意志を持つことが大切。
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思いっきり戦って敗れた人には魅力がある。人生には、勝つ時もあれば負ける時もある。それはそれでいい。結果は、後からついてくるものなのだ。
竹中平蔵の名言を見ている方へお薦めする名言
竹中平蔵の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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引退ではなく、卒業だと。これは、新しい修造の始まりだと。
松岡修造 元プロテニスプレーヤー
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変化を迫られる状況は、知恵を絞る絶好の機会であり、全力投球できるチャンス。
玉塚元一 元ファーストリテイリング社長、元ローソン社長
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三つの敵意ある新聞は千の銃剣よりも恐ろしい。
ナポレオン フランス皇帝
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自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
芥川龍之介 作家
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生活するために、飯を食うために何とかする―というのではなくて、「そんなことしたら生活はできないよ」と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。ぼくは、お金は後からついてくると言ってあげたい。何を言われても夢を捨てないことだ。
西田敏行 俳優
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未来のことはわからない。しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずだ。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相、軍人、作家
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皆が良い人間ではないが、誰にでも良いところはあるものだ。簡単に人を判断してはいけない。どんな聖人にも過去はあり、どんな罪人にも将来がある。
オスカー・ワイルド 小説家、詩人
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国家は国民の使用人である。国民の主人ではない。
ジョン・F・ケネディ アメリカ合衆国大統領
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経験的に「いい」と思われることはみんながやるから、競合になってしまいますます厳しい状況になる。みんなが「いい」と思うことなどやる必要がなくて、むしろ、「そんなのだめだろう」と思うようなことに意味がある。
鈴木敏文 セブン&アイ・ホールディングスCEO
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勝利とは必ずしも戦いに勝つことだけではない。倒れた時に必ず立ち上がることが勝利だ。
ナポレオン フランス皇帝
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もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ。
フリードリヒ・フォン・シラー 劇作家、詩人、思想家
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己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。人生なんて食って、寝て、やって、終わり。
立川談志 落語家
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革新的技術には、常に問題点が有る。それらを補い最も活用した者が新時代を築く。
孫正義 ソフトバンクグループ創業者
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若い人は、もっと自分自身に期待していいんですよ。遠慮しないで自分に期待して、世の中を渡っていってほしい。日本を復興するのは年寄りじゃない。政治家でも、財界人でもない。復興の主役は若い人ですよ。
柳井正 ユニクロ創業者
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自由のない世界に対処する唯一の方法は、あなた自身の存在が反逆となるほど完全に自由に行動することだ。
アルベール・カミュ フランスの小説家
竹中平蔵について
竹中平蔵は日本の経済学者、元参議院議員。政府の役割をなるべく小さくすることを志向する新古典派経済学の経済学者で、小渕政権の経済戦略会議のメンバーとなって規制緩和を推進。その後、小泉内閣が発足すると、経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣、郵政民営化担当大臣を歴任した。小泉政権の閣僚在任中に参議院議員選挙に出馬し、議員となった。小泉政権退陣後は、参議院議員も辞任し、慶應義塾大学教授、パソナグループ取締役会長などを務めた。小泉政権では、規制緩和等を通じて日本の成長力を高めたとの評価もある一方、労働規制の過度の緩和によって非正規雇用が増加し、格差を拡大させたとの批判もある。
1951年和歌山県和歌山市生まれ。実家は靴屋で、兄にミサワホーム社長の竹中宣雄がいる。和歌山県立桐蔭高校を卒業後、一橋大学経済学部に入学。1977年、大学卒業後に日本開発銀行に入行した。1981年から米国留学し、ハーバード大学とペンシルバニア大学で客員研究員を務めた。1982年日本開発銀行から大蔵省財政金融研究室に出向し、次席主任研究官に任命された。1984年経済学の書籍「開発研究と設備投資の経済学」を発表し、人文科学・社会科学の優れた研究に贈られるサントリー学芸賞を受賞した。1987年大阪大学経済学部助教授に就任。1989年日本開発銀行を退職。ハーバード大学留学中に知り合ったジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授、及び国際経済研究所客員フェローの役職に就く。1994年大阪大学で経済学の博士号を取得。1996年から慶應義塾大学教授。
1998年小渕政権で経済政策を議論する経済戦略会議の委員に就任。森政権ではIT戦略会議の委員を務めた。2001年に小泉政権が誕生すると、小泉純一郎に請われて経済財政政策担当大臣とIT担当大臣として入閣。小泉政権の掲げる「聖域なき構造改革」の旗振り役として活躍した。その後何度か小泉政権の改造が行われたが、竹中平蔵は経済政策を担当する閣僚として働き、金融担当大臣、内閣府特命担当大臣を歴任。2004年には参議院議員選挙の比例代表で自民党から出馬し、トップ当選を果たす。参議院議員選挙後の内閣改造では、小泉政権が看板政策として掲げる郵政民営化も担当。郵政民営化担当大臣、総務大臣を務めた。2006年に小泉政権が退陣すると、竹中平蔵は政界引退を表明。任期を4年ほど残したまま参議院議員も辞任した。
政界引退後の竹中平蔵は、慶応大学総合政策学部教授、慶応大学グローバルセキュリティ研究所所長、日本経済研究センター特別顧問などの研究分野のほか、森ビル・アカデミーヒルズ理事長、パソナグループ取締役会長など実業界でも活躍している。