ニュートン
物理学者、数学者、天文学者
ニュートンの名言
ニュートンの過去の名言をまとめた名言集です。
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プラトンは私の友、アリストテレスは私の友。しかし、最大の友は真理である。
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何かを理解するもっとも優れた方法は、いくつかの良い例を検証することだ。
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計算に夢中になっていて、さっき食べたのを忘れていた。
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神はすべてを数と重さと尺度から創造された。
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如才のなさとは、敵を作らずに自分を主張することである。
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たとえ相手がつまらない人物であっても、額面どおりに相手をこきおろすよりは、額面以上に相手をほめるほうが安全である。賞讃は非難ほど反発されないし、少なくとも嫌がられないからだ。
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相手がお気に入りの事柄をほめちぎれば、たちまち相手は好感を持ってくれる。ただし他人を引き合いに出してほめるのは、避けた方がよい。
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真実は沈黙と瞑想によって生まれる。
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私はただ、重心を原点にとると公式が適用できる事を見つけただけです。
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私は仮説を作らない。
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他の証拠が無かったとしても、親指が一本であることが私に神の存在を確信させる。
ニュートンの名言を見ている方へお薦めする名言
ニュートンの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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夢や目標を達成するには、1つしか方法がない。小さなことを積み重ねること。
イチロー プロ野球選手、メジャーリーガー
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今の若い芸人の番組なんかだと、最初のメインがなくて、遊びの部分ばかり多くてゲームになっている。本当は何をしたいのかが、どうもよくわからない。そもそも芯になる、やりたいものがないのか、15分とか20分の長くてしっかりとしたコントをつくるのが大変だから逃げているのか。そのあたりが、僕には不満なところだ。でも、そのつらいところをしっかりつくっておくと、ほかのコーナーが生きてくる。
志村けん コメディアン
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僕は何かに反応することや摩擦の結果でしか、自分の考えていることを超えられないんです。10代のころから、偶然性とかに結構ゆだねてきたんで。
又吉直樹 お笑い芸人、小説家
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日本人は相手を気遣うあまり、悪いこともしていないのに「すみません」と言うクセがあります。礼儀正しいことは日本人の長所ですが、ときとして、「すみません」は自分を弱める言葉になってしまう。
松岡修造 元プロテニスプレーヤー
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政治家でも経営がわかっていなければダメである。経営者でも政治がわかっていなければダメである。
松下幸之助 パナソニック創業者
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100メートル走をやっていた頃、記録が伸び止まり、自分がほんとうの一流ではないことに気づきました。そして、「だとしたら、身体的にトップではない人間でも勝てるものは何だろう」と考えるようになったのです。それから、自分の人生に対する考え方がより戦略的になっていったように思います。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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人に動かされて、今、ここにきた感じなんです。なんかね、おれには親友と呼べる存在はいないんだけど、お世話をしてくれる人があらわれるんですよ。自分からは近づかないんだけど、近づいてきてくれる人がいる。多分そうですね。
蛭子能収 漫画家、タレント
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忙しくて疲れていても、運動をして汗を流すと、その前とは気分がガラリと変わります。日本も、心理状況を変えることが必要なのです。トレーニングは、始めるには覚悟が要る。最初は辛い。でも終わったら気持ちがいい。大変なことをやり遂げないと、好転も起こりません。
新浪剛史 元ローソン社長、サントリーホールディングス社長
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将来に不安を感じるよりも、不安とどう戦うかを考える方が、正しい姿勢。将来を切り開くには、不安ではなく、強い意志を持つことが大切。
竹中平蔵 経済学者、政治家
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オレっていうのはね、メチャクチャ安心してないと気がすまない男なんだよ。でも、やってることは、常に不安だらけ。どういうことかって言えば、安心したいがために、行動する。だから、行動が早い。
矢沢永吉 歌手
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人は確信がないときほど独断的になる。
ジョン・ケネス・ガルブレイス 経済学者
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忘れてはいけないのは目標の数値化です。目標を数値化しない限りは、それを達成するための行動も具体化しません。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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私は「分配の女王」と言われていますが、五人いたら五人できちんと分けて食べたいんです。
黒柳徹子 司会者、女優、作家
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夢を持っている人は、それを追いかければいい。夢を持っていない人は、闘いはじめるべきです。闘わずして夢を持つことはできない。それから、夢を持っているけど、どうしたらいいかわからないという人は、必死になって考えたらいい。必死になって闘ったらいい。とにかくわからなくてもいいから、闇雲に前に向かって進んでいくべきでしょう。そして、それを持続させることが一番大切です。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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起こったことをすべて受け入れてしまいなさい。それも、よいこととして受け入れなさい。それが成功への第一歩です。
ジョセフ・マーフィー 著述家、宗教家
ニュートンについて
アイザック・ニュートンは、万有引力の法則で有名なニュートン力学の創始者。大著「プリンキピア」で天体の運動を万有引力の法則によって体系的に説明した。引力の発見者であることから、「ニュートン」は1キログラムの質量の物体を1メートル毎秒毎秒の加速度で加速する力を表す力の単位の名称ともなっている。さらに反射望遠鏡の発明、ニュートン環の発見など光学研究でも大きな業績を残し、数学者としても微分、積分での業績がある。
1643年グレートブリテン王国、リンカンシャー郡ウールスソープ=バイ=カールスターワース生まれ。父は農園主であったが、アイザック・ニュートンが生まれる前に死去。3歳まで母に育てられたが、3歳のときに母が再婚し、それからは祖母に養育された。1661年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学したニュートンは、数学、高額、原子論などを学んだ。ニュートンはトリニティ・カレッジで数学者のアイザック・バローに才能を認められ、指導を受けた。1665年に万有引力を発見し、微分・積分の基礎となる二項定理を発見。1667年にはケンブリッジ大学の研究員となった。1668年、自身が考案したニュートン式望遠鏡を完成させた。さらに1669年にはバローから職務を譲り受ける形でケンブリッジ大学の数学関連の教授職であるルーカス教授職に就任、1672年には最古の科学学会と言われる王立協会の会員となった。
1684年、41歳となっていたニュートンは、学者仲間のエドモンド・ハレーの薦めで、力学に関する自身の研究を一冊の本にまとめることを決意。寝食を忘れて執筆に没頭し、1987年に500ページを超える大著「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」を出版した。プリンキピアでニュートンは、物体の運動法則や宇宙の数学的な仕組みを解説した上で、万有引力の数学的法則によってそれらすべてを普遍的に説明できるとした。このプリンキピアによってニュートンの業績は世界中に広まり、力学に関する業績は「ニュートン力学」と呼ばれるようになる。
1696年政府から数学的素養を買われたニュートンは、王立造幣局監事に就任。さらに1699年には王立造幣局長に昇格した。1705年にはグレートブリテン王国からナイトの称号を得た。自然科学分野の学者がナイトに叙されたのは史上始めてだった。1710年からグリニッジ天文台監察の委員長を務めた。1727年死去。享年84歳。