古典は、内容が抽象的なものが多い。読むうえで大切なのは、内容に自分で解釈をつけていくことです。特に、書かれていることに違和感を覚えた時こそ、「どういうことだろうか」とよく考えてほしい。同意できる内容は、既に自分が分かっていることですよね。逆に違和感を覚えるものは、今の自分に分からないこと。そこを考えることに、意味があるのです。
養老孟司 解剖学者、著作家
この名言を見ている方にお薦めの名言
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読書しているときは、我々の脳はすでに自分の活動場所ではない。それは他人の思想の中にある。
ショーペンハウアー 哲学者
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薬は病気の人間を、数学は悲しむ人間を、神学は罪深い人間を生む。
マルティン・ルター 神学者・牧師
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弟子の賃金制度も思いついた。弟子は無給で働いている。仕事をするのに無休では勉強などしない。こんなことでは駄目だから給料だけは希望するだけ払い、その代わりに足袋を能率よくたくさんつくり、値段を安くする。こういう合理化案がまとまって実行に移した。いまなら無給から賃金制度に変えるのは何とも感じないが、当時としてはかなり思い切った考え方で、にわかに店費が激増したため、父からバカなことをしたと叱られた。しかし、それから皆働きがいがあるようになって能率が上がり生産も増え、同業者との競争に負けなくなった。
石橋正二郎 ブリヂストン創業者
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関連本をとにかくありったけ買う。それを片っ端から読んでいくと、原典というか、本当にしっかりした「教科書的な本」に出合うんです。他の本はすべてその本を参考に書かれていることがわかる。孫引きみたいな本はどうでもよくて、教科書的なタネ本を2~3冊、それさえちゃんと読めば、全体がわかる。
池上彰 ジャーナリスト、テレビ司会者
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自分が認める勇気がない時に他人から真実を指摘されると、動揺するものだ。動揺の度合いが強ければ強いほどその指摘にはリアリティがある。
村上龍 小説家、脚本家
養老孟司の他の名言
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個性だ何だ、世の中が言うから悪い。そんなもんないと思えば、何ごとも「奥様のおっしゃる通りでございます」とできるんです。第一、間違ったことを言ってこっちが変なことになったら、向こうも困るんだからね。でも大体間違ってないですよ。「あいつの言うことを聞いてひどい目に遭った」というのはない。
養老孟司
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テレビが普及していったときに、ジャーナリスト大宅壮一は「一億総白痴化」と言いました。でも、僕は逆になったと思います。「一億総インテリ化」。テレビが当たり前のものになってから、昔、言われていたインテリの欠点のほうが、社会の表面に出てきてしまったと感じています。つまり、体を使っていない。体を使って働くことをバカにする傾向は強くなっています。僕はそのことがむしろ心配です。
養老孟司
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同僚の足を引っ張ったり嫌がらせをするのも、適当な範囲であれば、人間の集団におけるごく普通の現象と言えるでしょう。しかし、度が過ぎていれば「問題児」ということになります。この種の問題が生じるのは、本質的には人が余っているからだと私は見ています。コンピュータの導入などあらゆることがスピード化・合理化された結果、実際には人が余っているということが、職場における人間関係のトラブルの陰に潜んでいるのではないかと考えていますが、仕事が本当に忙しくて必死に働いていれば、他人の足を引っ張ったり嫌がらせをしているヒマなどないはずでしょう。
養老孟司
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育つというのは、変わるということじゃないですか。教育の「育」は「育つ」ですよ。それを、コンピュータの容量が増えると思ってるんじゃないんですか。それでは「育たない」。
養老孟司
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気遣われてると相手がわかるようにすることは大事。僕は遠巻きから女房の面倒を見ているわけです。そのことに相手が気がついたら効きます。「ほかのこともそうしてくれてるのかな」と想像力が働くから。一つでも気づいてくれたら大もうけ。
養老孟司
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古典はただ読むだけなのに、必死に考えないと、なかなか先に進めない。つまり、古典は読み進めるだけでも頭を使うので、「考えることが苦にならない脳」を作ることができます。
養老孟司
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教養は「身につく」という言い方をするでしょう。まさにその通りで、知識を披露するだけならそれは、「鼻につく」と言われるのが関の山です。
養老孟司
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自分の内側、意識の中だけに住むのは現代人の病です。べつに、この本(著書「遺言」)でそれが治るなんて思っていません。でも、ちょっと立ち止まって、意識について考えてみるところから始めませんか、とお誘いしているのです。
養老孟司
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言葉にするのは情報化する能力だ。
養老孟司