福沢諭吉

思想家、教育家

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福沢諭吉の名言

福沢諭吉の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 知識や見聞を広めるためには、あるときは人の意見を聞き、あるときは自分自身の力の限りを尽くして考え、あるときは書物も読まなくてはなりません。ですから、学問をするためには文字を知ることが必要なのですが、昔から世間の人が思ってきたように、ただ文字を読むことだけが学問だというのは大きな間違いです。

  • 学問の本質は学問を自分がどう活用できるかにかかっている。現実社会に応用できないような学問は無学と言われても当然である。

  • 人の表情は家の門のようなもので、広く人と交わって自由に客が訪れるようにするためには、まず門を開き、入口を掃除して打ち水をし、とにかく、来訪者が気持ちよく入れるようにすることが大切です。

  • 実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。

  • 一家の生計を立てるのも学問です。商売をするのも学問です。時代の動きを察知するのもまた学問なのです。和漢洋の書物を読むことだけが学問であるという考え方は正しくありません。

  • 行動だけが活発で判断力にかけているのは、舟に舵がないようなものだ。役に立たぬどころか、害を及ぼすことの方が多い。

  • 事業で一番大切なのは、信用できる人物を得て取り締まりの手を省くという事にある。番頭や手代が商売しながら取り締まりの事も兼ねるのは、大工と普請奉行と二役を勤めるのと同じことなのだから、たとえ給料を高くしても主人にとってはるかに得であり、結局、双方共に利益となるであろう。

  • 所詮、世の中の出来事は生き物と同じで、その動きを前もって予測することは不可能です。ですから、賢明な人であっても、案外愚かな失敗をする者が多いのです。

  • 人間にはそれぞれの立場がある。だからその分に応じてふさわしい才能と人格を備えなければならない。

  • 人は生まれながらにして貴財貧富の別なし。唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり、下人となるなり。

    出典:  福沢諭吉「学問のすすめ」

  • 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。

    出典:  福沢諭吉「学問のすすめ」

  • 世の中でいちばん楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつことです。

  • 自由と我儘との境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

    出典:  福沢諭吉「学問のすすめ」

  • 学問を志した以上、大いに学問に励むべきだ。農業に就くなら豪農に、商業に入るなら大商人になりたまえ。学生は小さな安定に満足してはならない。粗衣、粗食、寒暑に耐え、米をまき、薪を割り、それでも学問はできるのである。

  • 世間の教育家と称する者たちは、ややもすれば自分の信ずるところに偏りがちで、教育に極端に重きを置き過ぎ、ひたすら勉強勉強と唱えて、勉強さえすれば愚者も変じて知者となるようにはやし立てる者が多い。しかし、実際の教育の効能は、生まれ付き備わっている能力の生育を助けて、よい方向に導き、到達可能なところまで到達させるということだけにある。

  • 利益の側からだけ見ても、人の信用こそ商売での利益の根源なのだから、人に雇われる者は、自分の利益になる重要なことなのだと思って正直に働き、主人もまた、その正直の代償として報酬を多くすべきである。

  • 人間がもともと持っている、苦労を避けて安楽を好むという心をそのまま成長させていけば、善に従う道につながるであろう。やたらに悪いことをしようとして苦労する人は、不徳というよりもむしろ無知と評すべきである。

  • 学問の本質は、生活にどう活用するかということです。活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じです。

  • 進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。

  • 人間の暮らしにかかわるすべてのことを、得か損かのソロバン勘定で決定してはなりません。大切なことは、経済の法則を用いるべき場所と、用いるべきでない場所とを、区別することです。

  • 非常に重大な事から些細な事に至るまで、他人の働きにくちばしをいれたかったら、試みに自分の身をその働きの場所に置いて自分ができるかどうか振り返ってみなければなりません。

  • 世間の物事は、進歩しないものは必ず後退し、後退しないものは必ず進歩します。進歩も後退もせずに一か所にとどまっているものなどあるわけがありません。

  • 学生の中には、日本語は不便で、文章でも演説でも表現しにくいので、英語で書いたり話したりするなどと、取るに足りない馬鹿なことを言う者があります。この学生は、日本に生まれてまだ十分に日本語を使ったことのない男なのでしょう。母国語というのは、その国の物事が次第に複雑になるのに従って増加していくもので、少しも不自由を感じるはずのないものです。何はさておき、現代の日本人は、現代の日本語に習熟して話すことに上達するよう努力すべきです。

  • 人に交わるには信を持ってすべし。己れ人を信じて、人もまた己を信ず。

  • 世の中でいちばん寂しいことは、する仕事のないことです。

  • 日本人も西洋諸国の人民も、同じ天地の間にあって、同じ太陽、同じ月・海・空気を共にし、互いに通じ合う人情を持つ人民ではないか。余った産物は与え、外国に余っている物産はもらい、教え合い、学び合い、恥じたり自慢したりせず、互いに相手国の便利を考えて、その発展を願うべきであろう。

  • 難きを見て為さざるは、丈夫の志にあらず。

  • 人は生まれながらにして貴賤貧富の差があるのではありません。学問に励んだ賢人は、社会的に高い地位を得、経済的にも豊かになり、学ばなかった愚人は、貧しく、社会にも認めてもらえない人になるのです。

  • 国と国とは同等ですけれども、国民に独立の気力がなければ、独立国家としての権義を世界に広めることなど、到底、不可能です。

  • 昔から立派な人物で、心身を労して世のために尽くした人は、少なくありません。今日、そうした人物の心中を推測しますと、衣食住の豊かさだけで満足した人とは思われません。人間交際の義務を重んじて志したのは、高遠な理想にあったのです。

福沢諭吉について

幕末から明治中期の日本を代表する開明的思想家。蘭学、英学を学び、幕府の遣外使節の随員として欧米を訪問。それをもとに「西洋事情」を著しベストセラーに。さらに慶應義塾を開学した。一万円札の肖像画となっていることでも知られる。

1834年(天保5年)福沢諭吉は中津藩(大分県)藩士福沢百助の子として大阪の屋敷で生まれる。漢学を学び、若くして頭角を表す。19歳で長崎に赴いて蘭学を学び、翌年には大阪で蘭学者緒方洪庵の適塾に入門。その後福沢諭吉は江戸で蘭学塾を開く。幕府の使節団に随行して2度の渡米、1度の渡欧を経験する。それらの経験をもとに「西欧事情」、「世界国尽」などを刊行、大衆の啓蒙に寄与した。

1868年に福沢諭吉は江戸にしていた塾を移転し、名称を「慶応義塾」と改称する。この義塾での教育を中核として、国家の発展と繁栄を目的とした思想活動を展開。身分の上下関係なく学問を学ぶことが自身の独立、ひいては国家の独立につながると説いた「学問のすすめ」は17編の大作となり、発行部数は340万部に及んだという。1875年には自由な交流と競合による民心・衆心の発達が日本の文明国化に繋がると説いた「文明論之概略」を刊行。1879年、福沢諭吉は東京学士会院(後の日本学士院)を開設、初代会長となる。1882年には新聞「時事新報」を創刊。1901年(明治34)年死去。享年66歳。

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